とくべつ 赤木くんがアホの子



 大きな切れ長の猫目。
 それを縁取る、簾のような長い睫毛。
 太陽の光に梳かれて、きらきら光る白い髪。

 黙っていればさぞかし女子が放っておかないであろうその男は、しかしクラスのほとんどの女子(および男子)から敬遠されていた。

 命懸けの遊びに全身全霊をかけていることが、大きな理由のひとつ。
 こいつはおよそ他者には理解できないであろうその趣味を、転校初日から、衆目の前でこれ見よがしにやりやがった。
 当然、美形の転校生に沸き立っていたクラスメートは、油を一滴垂らされた色水のように、速やかに引いていった。それはもう、感動すら覚えるくらい、鮮やかで見事な引き方だった。

 クラスでいちばんの不良にすらドン引かれているのを目の当たりにして、目立ちたがりの鼻持ちならないやつなのかと思っていたが、違った。こいつは単なるアホなのだ。
 なんにも考えちゃいない。思いついたことをやりたいときにやる。それだけのこと。

 まあ、コイツの救いようのないアホさ加減など、べつにどうだっていい。
 しかし大きな問題は、他にある。




「あ、あの、赤木くん……」
 昼休み。
 眼鏡でショートカットのクラス委員長が、丸まった白い背中におずおずと声をかける。

「担任の村田先生、結婚するんだって」
「ふーん。で?」

 間髪入れずに、興味のなさそうな返事。
 冷たい声にびくっと肩を揺らし、委員長は早口で続ける。
「それで……、お祝いの花束買うために、カンパ募ってるの。あの……、」
 今にも消え入りそうな声。
 委員長はビスケットの缶を抱え込んだ両腕にぎゅっと力を込める。クラスメートから集めて回っていた小銭が、身じろぎに合わせてジャラッと音を立てた。

 赤木は相変わらずポーカーフェイスで黙ったままだ。無表情になったヤツの面にはやたら凄みがあるから、委員長は可哀想なほどしどろもどろになっている。
 まるで蛇に睨まれたカエルだ。と言っても、側から見ればもちろん赤木は委員長を睨んでなどいないし、本人にもそんなつもりは毛頭ないだろう。
 というより、このアホは状況をまるで理解していないように見える。
 それでも、アホ相手に委員長はやたらビクビクして、カンパのお願いをできずにまごついている。

 気がつけば昼休みの教室が水を打ったように静まり返っていて、クラスメート全員の視線が委員長と赤木に集まっていた。
 異様な緊張感の漂う空気の中、やがて委員長が唇を噛んで俯く。
 眼鏡の奥の瞳はうるうると潤んでいた。動揺したように教室の空気が動く。
 男子は青ざめ、女子は眉をひそめ、みんな同情と憐憫の眼差しを委員長に向けていた。
 教室を支配するこの重苦しい雰囲気に気づいていないのは、おそらく当事者であるたったひとりのアホだけだ。

 なんとなくいたたまれなくなって、オレは椅子から立ち上がった。
 椅子を引く音が思ったより大きく響いて、クラスメート達がびっくりしたような顔でオレを見る。

 くそっ……ヤツと違って、オレはできるだけ目立たず生きていたいのに。
 さっそく自分の行動に後悔しながらも、オレはそんな心情をおくびにも出さず、スタスタ歩いて教室を出ていった。



「……伊藤っ!!」

 後ろから名前を呼ぶ声。
 かまわず歩き続けると、バタバタと廊下を走る音が近づいてきて、背後から右手首を掴まれた。

 深く深くため息をつきながら、ゆっくりと振り返る。
「お前、どこ行くんだよ?」
 そこにあるのは、緩みきったしまりのない顔。
 子ども、あるいは仔犬のように、キラキラ輝く大きな瞳。
 キュッと上がった口角に、嬉しそうな声。

 さっきの教室で委員長を半泣きにしたヤツと同一人物だとは、とても思えない。
 その豹変ぶりは、見ているこっちが恥ずかしくなるほどで、なんでオレがこんな気分にならなきゃいけないんだとゲンナリする。

「ニヤニヤすんな」
「……ん?」
 聞こえなかったのか、ニコニコと首を傾げる赤木を睨みつけ、オレは冷たく言い放つ。
「オレの前でだけ、ニヤニヤニヤニヤすんなっつってんだよ」

 そう。
 コイツがこのだらしない表情を学校で晒すのは、今のところ、どうやらオレの前だけらしい。
 そのことに気づかされたのは、オレとコイツに関する、あらぬ噂を耳にしたからだ。

 いつもは無口で無表情な美形の転校生が、運命のように同じ日・同じクラスに転校してきたクラスメートの前でだけは、心を許した笑顔を見せる……

 実情を知らない同級生たちの間で、オレたちの関係はそんな風に要約されているらしい。
 それだけならまだしも、口にするのも憚られるような尾ひれ背びれがくっついている噂もまことしやかに語られているらしく、実際それを耳にしたときは、冗談でなく卒倒しそうになった。

 どう考えても、噂の元凶はコイツのこの豹変ぶりだ。
 オレは目の前にいる諸悪の根源に冷たい視線を投げる。
 普段からこのだらしない顔でクラスメートに接していれば、そういう良からぬ噂が立つこともないだろうに、どうしてコイツはこうなんだ。

 廊下に出ている同級生たちの視線が集まっているのを感じる。オレは舌打ちして、掴まれたままの右手首を振りほどいた。
 
 オレがイラついていることにようやく気がついたのか、赤木の大きな目がゆっくりと見開かれていく。
 アホみたいな笑みが凍りつく。わけがわからない、といった風に、薄い唇がわなないた。

「……だっ、て……お前は、特別なんだから……他のやつと違う顔して、なにが悪い……んだよ……」

 震えるその声がいやに大きく響いた気がして、オレは慌てた。

 ……だから、そういう周囲の誤解を招くような言い方、やめろって。
 コイツの言う『特別』は、命懸けの遊びに全身全霊をかけている同志という意味に他ならない。
 決して、断じて、他意なんてないのだ……と、大声で周りに言い訳したくなる。
 周囲を窺いながら赤木を咎めようと顔を上げて、オレは絶句した。

 目の前のアホが、無駄に長い睫毛を羽ばたかせるようにして、やたら素早い瞬きを繰り返し始めたからだ。
 とっさにフォローしようと口を開きかけたが、こうなってからではもう遅い。
 みるみるうちに端正な顔がくしゃりと歪み、アーモンド型の両眼から、大粒の涙がぼろぼろと溢れ始めた。

 頭痛がしてきて、オレはこめかみを押さえる。
 呆れるほど、コイツの涙腺は緩い。
 ゲームに勝てば嬉し泣き、負ければ悔し泣き、今みたいにちょっとでも素っ気なくすれば悲しんでさめざめと泣く。小学生か。
 しかも、コイツがこんな風に泣くのも、どうやらオレの前でだけらしい。

 また変な噂を立てられでもしたらかなわないと、周囲が異変に気づく前に、オレは泣きじゃくる赤木を引きずるようにしてその場から逃げだした。
 とっさに相手の手を引いて衆目から逃れるという己の行動こそ、あらぬ誤解を招く種になりかねないということに、間抜けにも廊下を走っている最中オレは気づいた。
 が、もう後の祭りだ。




 階段の踊り場まで来ると、掴んでいた赤木の手首を解放した。
 赤木は真っ赤な顔で鼻をすすっている。コイツは泣くと顔が赤くなるのだ。
 いつもは血の気のない頬が桜色に上気している。その上に、はらはらと零れ落ちる透明の粒。
 宝石みたいだとか、一瞬思ってしまった自分に嫌気がさして、オレは長いため息をつき、天を仰いだ。

 ため息に反応してビクッとしている赤木に向かって、ちいさく声を投げる。
「……悪かったよ」
 いきなりの謝罪に、赤木はキョトンとした顔で、大きくしゃくりあげた。
 なんとなくバツが悪くて、その間抜け面から目を背ける。

 
 コイツはきっと、なんにもわかってない。
 オレが本当は、なにに対してこんなにイラついているのかなんて。


 腹が立ったんだ。
 コイツは普通にしているだけなのに、勝手に怯えて泣きそうになっている委員長に。
 教室にいる連中が、遠巻きにコイツを見る目に。

 腹が立った。コイツは、そんな風に見られるようなヤツじゃないのにって。
 確かに、とんでもないアホで鼻持ちならなくて、世間の常識に照らせばかなりヤバい奴だけど、そんな怪物みたいに見られる筋合いないのにって。
 
 だから教室にいるのが嫌になって、席を立った。オレの前だけでニヤニヤすんなって、コイツを責めた。
 オレに見せる豊かな感情表現の十分の一でも、他のヤツらの前で発揮していれば、あんな風に見られることもないだろうにって、なぜだかオレが悔しくなって。

 それになにより、当の本人がそんなことまったく気にしていなさそうなのが、いちばんムカついた。
 お前、それでいいのかよって。お前なら、みんなともっとうまくやっていけるかもしれないのに、このままじゃ、お前にはずっとオレだけしかいないだろって。

 そう、本音を口に出せたら良かった。
 だけどそれを言ったら、コイツは平然と『お前だけいればいい』なんて返してきそうで、それが怖かった。
 もしもそうなったら、きっと嬉しく思ってしまいそうな自分がいて、怖かった。



「お前って、わけわかんねぇ……」
 いつの間にか、赤木は泣き止んでいたようだ。
 濡れた頬をゴシゴシと拭いながら、クスンと鼻を鳴らしてぼやく声に、「お前にだけは言われたくねぇよ」と毒づく。

 騒がしかった廊下から、いつの間にか声が絶えている。始業が近いのだろう。
 ぐちゃぐちゃとこんがらがった思考を投げ出すように息を吐いて、オレは赤木の顔を見た。
「……五限フケて、屋上行こうと思ってたんだけど。お前も来る?」
 屋上への階段を顎で示せば、赤木はぽかんとした顔で瞬く。
 鼻水を垂らしたままの間抜け面が、スローモーションのように、眩しいくらいの笑顔に変わっていく。

 この学校で、オレだけしか見ることのできない笑顔。
 赤木は素直な子どもみたいに、コクリと大きく頷いた。

 ふたりきり、廊下で向かい合ったオレたちの頭上を、五限目の始業のチャイムが流れていった。







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