STAND BY ME 危険なふたり 不謹慎注意 過去拍手お礼




 遠くの方が陽炎の向こうにゆらゆら揺れる線路の上を、だらだらと歩く。
 隣から聞こえてくる口笛は、やけに音が澄んで高らかで、オレは相手の意外な特技を知った。

『スタンドバイミーやろうぜ、伊藤』

 そんな頭の悪い誘い方をされ、帰り道、枕木の上を歩いている。

 まだ日が高いが、べつにサボったわけではない。テストがあるので午後放課だっただけだ。
 ついでに言うと、死体探しの冒険に出かけているわけでも、もちろんない。


 相手は最近その古い洋画を観て、あるギャンブルを閃いたらしかった。
 線路の上を並んで歩き、電車が近づいて来たら、同時に立ち止まる。
 ビビって先に逃げ出した方の負け、という単純明快なルールだが、線路の中に入るという行為はそれ自体が犯罪で、お巡りにでも見つかる、あるいは写真を撮られてネットで拡散されでもすれば即、社会的な死が待ち受けている。

 常に危険と隣り合わせ。オレたちにうってつけの勝負なわけだ。
 だが実際、線路を歩いてみると電車はなかなかやって来ず、お巡りはおろか、オレたち以外の人の気配すらしない。
 電線の上のカラスやスズメだけが、このギャンブルの観客だった。

 このままだと、ただいつもと違う道を歩いて家に帰ったという間抜けな結果になること請け合いだったが、隣を歩く同級生はそんなこと気にも留めないみたいに、呑気な間抜け面を晒して歩いていた。

 流れる口笛は、線路を歩く映画の主題歌で、誰でも一度は聞いたことのあるフレーズを、繰り返し繰り返し、相手は吹き続けている。
 尖らせた唇から紡がれるなめらかな音の耳触りは悪くないが、サビに差し掛かると、大袈裟なクレシェンドとともにやたら情感を込めてくるのが、多少イラっとした。

「この映画、最後どうなるんだっけ」
 なんとなく手持ち無沙汰で、どうでもいいことを問いかけると、相手はちょっと首を傾げ、
「さあ。オレ、線路のシーンまでしか観てねえから」
 相手もどうでもよさそうにそう答えて、途切れたところから口笛を再開させた。

 相手の口笛と、ときおり囃し立てるような鳥の鳴き声だけを供に、しばらく歩いた。

 それにしても暑い。朝見た天気予報では、最高気温が二十五度を越えると言っていたっけ。
 まるで初夏のような春の日差しに灼かれながら、隣を歩く相手の横顔をチラリと見る。

 やたら長い睫毛と、通った鼻筋、青空に浮かぶ綿雲よりも白い髪。
 偶然同じ日に同じ学校の同じクラスに転校してきたこいつは、死にたがりの変人だった。
 その点に関してはオレも負けちゃいないが、目立つことばかりしているこいつと違って、オレは極力、目立たないようにしていた。
 ああいうのはひとえに自己との闘いであって、周りにひけらかすような真似はみっともないと思っていたから、こいつの軽薄さに正直、苛立ちもした。

 けれどこいつは、そんなオレの気持ちにまったく気がつきもしないみたいだった。
 そしてある日いきなり、オレに勝負を持ちかけてきやがったんだ。

 神社の石段を背にした、命懸けのジャンケン。
 幸いにして……なのか、お互いなんとか死ぬことはなかったけれど、それ以来、ふたりでつるむことが多くなった。
 命を懸けた、度胸試しのようなことばかりやっていた。
 外野は呆れたり馬鹿にしたりしてくるけれども、誰に後ろ指指されようと構わない。

 こんなことに意味なんてないってことは、誰に言われなくとも、オレたちがいちばんよくわかっている。
 ただ、オレはいつだって本気で、こいつもたぶん同じだ。それだけで十分だった。



 相変わらず、電車も人も来やしない。
 目の前には、どこまでも続く線路。それを見つめていると、なんだか世界にこいつとふたりきりになってしまったみたいな気がした。
 オレにとって、それは珍しい感覚ではなかった。
 前の学校で、今みたいに誰にも理解されないことを黙々としているとき、似たような気分になることがしょっちゅうあった。

 そのときはひとりきりだった。今は隣にこいつがいる。
 だから、世界にふたりきり。馴染みのある感覚だけれども、ひとりじゃないってことがなんだか、不思議でもあった。
 ……ひょっとして、こいつも同じように感じることがあったり、するんだろうか?

 茹だるような熱気の中、澄んだ音色のスタンドバイミーだけが、相変わらず延々とリピートされている。
 汗が頬の傷を伝って流れ、乾いた砂利の上に落ちた。
 また、イラつくサビのフレーズがやってくる。その直前、相手が息継ぎをする瞬間を見計らい、オレは隣を見て話しかけた。

「お前、スタンドバイミーの意味知ってる?」

 実は、ずっと気になっていたことだった。
 こいつはこの映画のタイトルの意味を知ってて、オレをこんな勝負に誘ったのだろうか?

 相手は大きく吸い込んだ息を持て余したみたいに、口をうすく開けたまま固まった。
 なんだか馬鹿みたいに見えるその表情を眺めていると、猫のような双眸がこちらを見た。

 目と目が合って、思い出す。
 転校初日の挨拶のときのこと。
 もっぱらこいつにばかり注目が集まる中、隣に立っていたこいつだけが、俺のことをやたら熱心な眼差しで見つめていた。

 そのときと同じ目だ。
 急に世界がしんとして、時が止まったみたいに感じられた。

 だが、相手がそんな目を見せたのは一瞬のことで、すぐに眉を寄せて視線を上に投げ、なにかを考えるような仕草をする。

「ん〜……」

 しばらくそうやって唸ったあと、相手はニッと笑って言った。

「知らない。……お前、知ってる?」

 淡い色の瞳が、太陽の光に透けて光っている。
 笑ってはいるけれども、どこか試すようなその表情が、相手の言ったことが嘘だと、なによりも雄弁に物語っている。

 熱風が、汗に濡れた体を撫でていく。
 オレは口を開き、相手と同じようにすこしだけ考えるような間をおいたあと、

「知らない」

 とだけ、答えた。

 相手の目が、愉しそうに細められる。
「そっか」
 それだけ言って、相手は前に向き直り、長い髪を熱風に吹き散らされながら、また口笛を吹き始めた。
 その横顔を数秒見つめたあと、俺もまた、相手の隣で黙々と歩き始める。

 たぶん、先に言ってしまったほうが負け。
 お互い口にしなくても、きっとそう思っている。

 ならば男の矜持にかけて、負けるわけにはいかない。
 あの馬鹿みたいな笑顔の下で、相手だって同じことを考えているのだろう。

 陽炎の向こうに霞む、果てしなく続く線路の先を見ながら、これから長く長く続くであろうこの賭けの行方について、オレは想いを馳せる。
 そうして、相手の口笛がサビに差し掛かったとき、下手くそな自分の口笛をそっと重ねてみると、相手はやっぱり馬鹿みたいな明るい笑顔で、オレを見て笑った。







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