六年 しげカイ→アカカイ 短文



 寂れた夜の駅の改札口。
 東京駅からの最終電車が吐き出した、疎らな人々の姿を、カイジは咥えタバコのまま、目を眇めて眺めていた。


 左手を上着のポケットに突っ込んで、白い煙の向こうの疲れた顔たちを、暇そうな顔で流し見る。
 ICカードを読み取る機械音や、時折聞こえる話し声、速さと高さのまちまちな靴音が耳をすり抜けていく中、やがてカイジの唇に挟まれていたタバコが、ぽろりと落ちて床に転がった。
 だが、カイジはそんなことに気が回らないみたいに、ぽかんと口を浅く開いたまま、眠たげだった目を驚きに見開いて改札の向こうを見つめていた。

 食い入るようなその視線の先に、人影がひとつ。

 特徴的な外見のその若い男は、亡者のような人々の隙間を泳ぐように歩いて改札を抜け、まっすぐカイジの方へと向かってくる。
 誰もがちらりと男の方を見て、すぐさま興味を失ったかのように足取りを速める中、男は徐々に歩調を緩めてカイジの前で足を止めた。

 向かい合うふたりの背丈はさほど変わらず、瞬きもせずにフリーズしているカイジの顔を真正面から見て、男が口を開く。
「……待った?」
 ほんのすこしの遅刻を詫びるみたいな、軽い調子の台詞。
 それを耳にした瞬間、カイジの太い眉がピクリと動き、ゆっくりと眉間に深く皺が刻まれていった。
「『待った』なんてもんじゃねえよ……わかってんだろ……」
 不機嫌そうに顔を歪めてボソリと呟くと、男はクスリと笑う。
 酷薄そうな薄い唇を皮肉げに撓める、その笑い方は最後に会ったときからすこしも変わらず、それが尚のこと腹立たしくて、カイジはチッと舌打ちをした。
「なに、笑ってやがんだよ……」
 床に落ちたタバコを靴の底でグリグリ踏み消しながら訊くと、男はシニカルな浅い笑みを浮かべたまま、淡々と言った。

「あんた本当に、オレのこと好きなんだなって思って」
 
 大きな目の縁をぴくりと引き攣らせたあと、カイジは黙ったまま屈み込む。
 冷たい床の上のひしゃげたタバコを摘み上げながら、そのついでみたいにしてぽつりと吐き捨てた。

「なにを、わかりきったことを……そうじゃなきゃ、誰がお前みたいな遅刻魔、六年も待ち続けるかよ」

 今から、ちょうど六年前のこの日。
『今晩泊めて』と電話してきた少年は、いつまで待ってもカイジの許へやって来なかった。
 電話越しの声を聞き間違えたかと、それから一週間、少年がいつも乗ってくる最終列車を最寄り駅で待ってみたけれど、降りてくる人々の中に、カイジが少年の姿を見つけることは、ついぞできなかった。

 そのときの少年にいったいどんな事情があったのか、カイジには知る術すらなかった。ただ、相手は普通の少年ではなかったから、こういうことがいつか起こるのではないかと、心の中で覚悟もしていた。

 それから長い時間が経って、流石のカイジも半分は諦めてしまったけれども、残ったもう半分の気持ちは少年を想って性懲りもなく疼いてしまうから、毎年、最後に『泊めて』と言われたこの日が来ると、最終列車を待つために最寄り駅に足を運んでしまうのを、やめられなかったのだ。



 屈んでいた体をもとに戻すと、六年分大きくなった白髪の少年は、鋭い目をわずかに丸く見開いていた。
 面喰らったみたいなその表情を見て、カイジはニヤリと笑い、携帯灰皿をポケットから取り出す。

「なに、鳩が豆鉄砲食ったみてえな顔してんだよ」
 丸いケースの中にタバコを入れて蓋を閉じると、パチン、と蓋の閉まるちいさな音のあとに、男はボソリと呟いた。
「あんた……なんか、変わったな」
 淡々とした声に滲む意外そうな響きを聞き咎め、カイジは軽く声を上げて笑う。

「六年の間にデカくなったのは、お前だけじゃねえんだよ。オレは確かにお前を待ってたけど、だからってずっと、ここに立ち止まってたってわけじゃねえ」

 この六年。
 少年はきっと、想像を絶するようなさまざまな出来事に遭遇してきたのだろう。
 けれどそれは、カイジだって同じなのだ。

 裏の世界を生き抜いてきた少年は、纏う雰囲気だけで他を圧倒するような大人の男に成長していたけれど、自分だって地に這いつくばってもがきながらも、多少なりと進化してきたはずだとカイジには確信できていた。
 
 決して平坦ではなかった、六年間の道のり。
 それを乗り越えてきた自分の姿や言動は、男の静かな瞳にいったい、どんな風に映っているのだろう。

 まるで不意打ちを食らったような、なんとも言えない男の表情は、六年前の少年の頃ですら、カイジに見せたことのなかった顔で。
 再会した今夜、初めて見ることができたその表情が擽ったくて嬉しくて、カイジは頬を緩ませたまま踵を返すと、振り向きざま、男に明るく声をかけた。

「ほら、ぼうっとしてんなよ。ーー早くしねえと、置いてくぜ?」





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