宅配便【その2】


『こんちはー××運送でーす!』

 溌剌としたその声で、カイジの意識は浮上した。
 カーテンの隙間から溢れる陽の光が眩しい。
 寝ぼけ眼で時計を見ると、すでに十一時を回っていた。

『こんちはー!! ××運送でーす!! お荷物のお届けに参りましたー!!』

 わずかに声量の上がった、二度目の呼びかけ。
 例によって、時間帯指定で雑誌を通販したことをぼんやりと思い出し、カイジは大欠伸しながら、のっそりと起き上がる。

 隣にいる男は、珍しく眠ったままだ。
 野生動物のように敏いその男ーー赤木しげるは、いつもならカイジが起きるよりずっと早くに起き出しているはずなのだが、今日のようなピーカン照りの日に限り、ごくたまに寝坊するという、妙な性質を持っている。

 今日、このタイミングでアカギより早く起きられたことに、カイジはホッと胸を撫で下ろしていた。

 前回、男を部屋に泊めたときも、宅配の荷物が届いたのだが、そのときカイジは深く眠りこけていて、業者の声すら耳に届かなかった。
 そして、先に起き出していたアカギが、勝手に出て荷物を受け取ったのだ。

 アカギにしてみれば良かれと思っての行動だったのだろうが、カイジは深く頭を抱えた。

 このところ、気になるパチンコ雑誌のバックナンバーを取り寄せるため、しばしばネット通販を利用しているカイジは、宅配業者の青年とも、ちょくちょく顔を合わせていた。

 いつもと違う男が出て来たことを、あの青年はどう受け取っただろう。
 ……ひょっとすると、アカギとのただならぬ関係に、気づかれてしまったのではないか?

 そんな懸念が頭から離れず、カイジは顔を赤くしたり青くしたりしながら、ぐるぐると思い悩んだ。
 アカギは自意識過剰だと鼻で笑ったが、気になってしまうものは仕方がない。

 アカギには『今後こういうことがあっても、ぜったいに勝手に出るな』と口酸っぱく注意しておいたのだが、面倒臭そうな生返事から、聞き流されていることは明白だった。

 これ以上、あの青年に妙なことを勘繰らせるわけにはいかない。
 そんな事情があるから、今回アカギよりも早く起きられたことは、カイジにとって、とても幸運であったと言えた。

 行儀よく仰向けのまま寝息をたてる男を、起こさないように細心の注意を払いつつ、カイジはベッドからごそごそと抜け出す。

 昨夜、床に脱ぎ捨てた服を素早く身に着けていくが、Tシャツだけがなぜか見当たらない。
 ベッドの中だろうか? しかし探している余裕はない。
 もうずいぶん、青年を待たせてしまっているのだ。早く出てやらないと、不在票をポストに入れて帰ってしまうだろう。

 仕方なく、カイジは目についたアカギの青いシャツを拾い上げ、素肌の上に纏う。
 カイジの方がわずかにガタイが良いのだが、ふたりの体格にさほど大きな差はないので、カイジはそのシャツをすんなりと着ることができた。

 前のボタンを煩わしげに留め、寝癖だらけの髪をおざなりに手で撫でつけながら、カイジは急いで玄関へと向かった。





 扉が開き、中から顔を出した長髪の男の姿を見て、小型犬に似たその青年は大きな目を丸くする。
 が、すぐに白い歯をこぼれさせると、

「こんちは、××運送です。伊藤開司さん宛に、時間指定のお荷物が届いております」

 ハキハキとそう言って、荷物の上の受領書を指し示した。

「ここにハンコかサイン、お願いします」
「……サインで」
 ぼそぼそと言う男の目が、落ち着かなさげに泳いでいる。
 青年がボールペンを手渡すと、男は丸い枠内に筆先を滑らせた。
 俯きがちなその様子を、青年はこっそりと観察する。

 男の着ている、半袖の青いシャツ。
 前回、この家に配達に来たとき、出て来た白髪の男が、同じ服を身につけていたような記憶があった。
 その男の印象があまりにも強烈だったので、服の色までよく覚えているのだ。

 それを、なぜか家主が身につけている。
 それも、たいそう、乱れた着方で。

 ボタンをひどく掛け違えていることに、本人はおそらく気がついていないのだろう。
 不自然に撓んだブルーの布地の隙間から、健康的な肌色の平らな胸や腹が、チラチラと見え隠れしている。
 その肌の上に、虫刺されのような赤い痕が、点々と散らばっていた。

 同性にとってはおよそ嬉しくないその光景を眺めながら、聡明な小型犬はそこで思考を放棄した。
 客のことに下世話な憶測を巡らせるのはあまり趣味の良いことではないし、これ以上あれこれ考えると、笑顔が引き攣ってしまいそうだと判断したためだ。

 サインを終えた男からペンと受領書を受け取り、青年は爽やかに笑って頭を下げる。
「ありがとうございました!」
 まるで、心に引っかかるものなどなにひとつ目にしていないかのような、完璧な営業スマイルだった。

 曖昧に会釈を返す男の姿が、静かに閉まる扉の向こうに消えると、忙しい青年はもう次の配送のことで頭をいっぱいにしながら、軽快な足取りで階段の方へと駆け出したのだった。






 パタン、と扉が閉まると、カイジは深く息をついた。
 青年の様子は、いつもとなんら変わりなかった。
 そりゃあ向こうだって商売だし大人だし、腹の中でなにを思っていようがそれを露骨に顔に出したりはしないだろうけれども、兎にも角にも、カイジはちょっと、ホッとしたのだった。



 部屋へと戻り、荷物を卓袱台の上に置いたところで、後ろから声をかけられる。
「おはよう」
 振り返ると、いつの間に起きたのだろう、アカギが肘枕してカイジを眺めていた。

「……はよ。よく寝てたな、お前」
 言いながら、カイジはアカギに向き直る。
 すると、アカギは鋭い目をわずかに目を瞠ったあと、まじまじとカイジの姿を見ながら言った。
「……宅配便?」
「ああ」
 そう返事してから、カイジは慌てて付け加える。
「……エロいやつじゃねえからな」
 また謂れのないことで揶揄われてたまるかと、先手を打って釘を刺すカイジ。

 だが、アカギは他のことに気を取られているようで、なんとも形容しがたい表情でカイジをじっと見つめている。
 明らかに不審な様子にカイジが眉を寄せると、アカギはカイジの胸の辺りを眺めたまま、ぼそりと言った。

「……あんた、 その格好で出たの?」

 えっ、と短く声を上げ、下の方に視線を動かして、カイジは零れ落ちそうなほど目を見開いた。
「あああ……っ!?」
 派手にボタンを掛け違え、ところどころ肌が露わになっている己の姿に今さら気がつき、火がつくように真っ赤になる。

 こんなだらしない姿を、気づかず青年に晒していたなんて。
 いや……重要なのはそこではない。

 肌の上にぽつぽつと散らばる、赤い痕。
 青年は、コレに気づいたのだろうか?

 愛嬌のある小型犬の顔を思い出しながら、カイジはゴクリと唾を飲み込む。
 気づかれていない……と思いたい。
 だが、もし、気づいていたとしたら。

 あのキラキラとした笑顔の下で、青年は自分のことを、いったいどう思っていたのだろうか?
 ……想像するだに恐ろし過ぎて、考えたくもない。


 羞恥に呻いて頭を抱えるカイジを、アカギはなんとも複雑な思いで見つめていた。

 おそらく、ひどく急いでいたのだろう。
 素肌の上に自分のシャツを乱れた着方で身に纏い、布の間から卑猥な痕だらけの肌を覗かせる、その姿は正直、とてもそそるものがある。
 しかし、他の男にこんな姿を無防備に晒した迂闊さは、恋人として、非常にいただけなかった。

「……お仕置きが必要かな」

 カイジに聞こえぬよう低く呟いて、アカギはニヤリと笑う。
 劣情と独占欲とを沸々と瞳に滾らせ、ゆらりと起き上がる捕食者の姿に気がつかぬまま、カイジはひたすら、泣きそうな顔で己の迂闊さを悔いるのであった。






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