牽制 モブ注意 よくあるネタ アカギさんが子供っぽい
アカギとカイジが夜、安普請のアパートから呑みに出ようとしたとき、玄関を出たところで、ちょうど部屋の前を通りがかったスーツ姿の男と出会した。
「あ。ども……」
男より先にカイジのほうから声をかけたので、アカギはほんのわずか、目を瞠る。
男はカイジの方を見て、大きな黒縁眼鏡の奥の目を細めた。
「やぁ、伊藤くん。この間はどうも」
「……っす」
軽く顎を引くようにして、カイジは形だけ頭を下げる。
いやに馴れ馴れしい感じの男だと、アカギは思う。
しかしそれ以上に引っかかるのは、こういう人付き合いが苦手なはずのカイジが、ぶっきらぼうではあるが割と素直な様子で、男に対峙しているということだった。
男はどこにでもいる、中肉中背のくたびれた中年男といった風情で、おざなりに撫で付けられた白髪混じりの黒髪や、光沢をなくした革靴など、その印象はお世辞にもパッとしているとは言い難い。
けれども、細かな皺のたくさん寄った顔は柔和そうで、笑うときれいな歯列とともに、人好きのする表情が顔を覗かせる。
アカギが男をじっと注視していると、その視線に気づいた男がアカギの方をちょっと見て、カイジに尋ねる。
「お友だちかい?」
「まぁ、そんなとこです……」
ぼそぼそと聞き取りにくい声でカイジが答えた瞬間、アカギの細い眉がピクリと動いたことに、カイジも男も気づかない。
探るような不躾さを帯びるアカギの視線にもまったく動じない様子で、男はにこやかにカイジに問いかける。
「呑み会?」
「……はぁ」
「いいね、若いって。愉しそうだな」
そう言って笑いながら、男は無骨な手でカイジの肩をぽんぽんと叩く。
「気をつけて行ってらっしゃい。また、なんか送ってきたら、声かけるよ」
再度ぺこりと頭を下げるカイジにひらひらと手を振って、男は廊下を奥へと歩いていく。
そして、カイジのふたつ隣の部屋の鍵を開け、その中へと入っていった。
なんとなく、ぼんやりと男の姿を見送っていたカイジは、静かに扉の閉まる音を聞き、アカギの方に目を向けてちょっとビクッとする。
「おま、なんだその顔っ……!?」
眼光鋭く剣呑な表情で男の消えた扉を睨んだまま、アカギはぼそりとカイジに問いかけた。
「誰? あいつ」
地を這うようなその声に身震いしつつ、カイジはおずおずと答える。
「誰、って……見てのとおり、隣の隣に住んでるオッサンだよ。ちょっと前から、家出るときちょくちょく鉢合わせるようになって、顔見知りに……」
そこまで言って、カイジは様子のおかしいアカギに首を傾げながら、
「どうでもいいけど、歩きながら話そうぜ。いいかげん、腹も減ったし」
と促す。
すると、アカギもようやく踵を返し、カイジに並んで歩き始めた。
「『顔見知り』ね」
アカギがぽつりと呟くと、先に立って階段を下りているカイジが振り返って頷く。
「ときどき、野菜とかくれる。単身赴任中で、奥さんが送ってくるんだって」
「……へぇ」
「なんでも、オレが大学生の息子に似てるとかで、他人だとは思えねえんだってさ。……お節介なオッサンだよな」
呆れたように軽い調子で言うカイジの顔を、アカギは不穏な目つきで見つめる。
そんな視線にはまるで気がついていないかのように、カイジはだらだらと階段を下りながら、なんでもないことのようにこう続けた。
「でもまぁ、貰ってばっかってのも悪いからさ。ときどき、実家から送ってきたもんとか、たまに作り過ぎちまった料理とか、お裾分けしたりする」
「……」
階段を下りきったカイジは、ずっと黙りこくっているアカギを振り返り、眉間に皺を寄せた。
「……お前、話聞いてる?」
「聞いてるよ」
ゆらり、とドス黒いオーラを放つアカギに、カイジはますます怪訝な顔をする。
「え……なんか、機嫌わりぃ?」
「……べつに」
説得力のかけらもない刺々しい声だったが、カイジはムッとしつつも「あっそ」とだけ答え、それ以上なにも言わず、アカギの隣を歩き始めた。
心に穏やかならぬものを抱えながら、アカギはカイジの横顔を見る。
相手が同性だとか、子持ちの妻帯者だとか、そういった要素はこと恋愛において、なんの枷にもならないことをアカギは知っている。
表社会に比べ、そういうことがままある界隈でアカギは生きてきたのだし、現にアカギは、男であるカイジと恋仲になっているのだ。
無論、カイジがあの男とそうなるなんて可能性、万に一つもないことくらい、アカギはよくわかっている。
しかし頭では理解できていても、面黒く思う気持ちが拭えないのも、また事実なのだった。
アカギは相変わらず黙ったまま、仏頂面で歩く。
まさか、アカギが自分より遥か年上の、くたびれたサラリーマンなどに嫉いているなどとは思いも寄らないカイジは、『触らぬ神に祟りなし』などと心中で唱えながら、不機嫌そうなアカギをほったらかしにして、咥えたタバコに火を点けながら、のほほんと歩いている。
その様子にアカギが尚のこと苛立っている間に、ふたりはアパートの裏までやってきた。
振り返ると、カイジの部屋は真っ暗で、代わりにふたつ隣の部屋の灯りが煌々と点いている。
アカギが目を眇めてそこを眺めていると、部屋の窓がガラリと開いて、さっきの中年男が顔を出した。
どうやら、干しっぱなしだった洗濯物を取り込もうとしているらしい。
男は風に揺れるカッターシャツに手をかけて、アカギの視線に気がつくと、片手を上げて笑ってみせた。
アカギとカイジはちょうど街灯の下にいるし、ふたりは割と特徴的な身形をしているので、すこし離れた距離からでも、すぐにわかったのだろう。
そこでふと、アカギは立ち止まり、口を開いた。
「カイジさん、火、ちょうだい」
ポケットからタバコを取り出しながら言うと、カイジも足を止める。
「えー……お前、持ってきてねえの?」
「アパートに置いてきちまったみたい」
平然とそう答えるアカギに、カイジは呆れた顔をして、ジーンズのポケットを探り始める。
アカギはタバコを一本抜いて咥えつつ、それを手で制した。
「いいよ。こっちのが早い」
言いながら、アカギはカイジに近寄って、内緒話をするような距離で、含みのある笑みに顔を歪める。
アカギの意図に気づいたカイジは渋面になったが、仕方なさそうに舌打ちし、灰を地面に落としてからアカギに顔を近寄せた。
視点を定めるように顔を顰めて目を細め、赤く燃える先端を、火の点いていないハイライトの先に、押し当てるようにしてくっつける。
そのまま、深く吸って火の勢いを強めるカイジの顔を眺めながら、呼吸を合わせるようにして、アカギもまた、深く息を吸った。
チリチリと、微かな火の燃え移る音を聞きながら、アカギはちらりと目線を横に流して男の方を見る。
ぽかんと口を開けてふたりの行動を眺めていた男は、アカギの切るような瞳と目が合うと、遠目でもわかるほどはっきりと飛び上がったのち、ずり落ちそうになった眼鏡を押し上げながら慌てて洗濯物を取り込み、軋む窓を半ば強引に閉めきってしまった。
その様子を確と見届けてから、アカギはゆっくりとカイジから離れる。
「ーーどうも」
煙を吐きながら言うと、カイジは相変わらずの渋面でフィルターを噛んだ。
「いいかげん金取るぞ、マジで……」
「いいよ。一回いくら?」
悪びれもせずクスリと笑うアカギに、カイジは口をへの字に曲げる。
「お前、ちょくちょく出先に火忘れるの、ホントどうにかしろよな……」
ジト目でそんなことを言うカイジは、一部始終を男に見られていたことも、本当はアカギのポケットの中にはちゃんとライターが入ってることも、もちろん知らないのであった。
そういう些細な出来事があってから、一ヶ月後。
行きつけの呑み屋でアカギと酒を酌み交わしながら、カイジは思い出したように「そういえば」と呟いた。
「なんかあのオッサン、最近急によそよそしくなっちまってさ。野菜もくれねえし、顔合わせてもなんかコソコソ逃げるみたいにして部屋に引っ込んじまうんだよな……」
深くため息をついてから、ビールを一気に飲み干す。
酒の進むペースが速いためか、ちょっとふらふらしてきたカイジは、額に手を当て、酔いざましに小休止を挟もうと、テーブルの上のタバコを引き寄せる。
ひしゃげたパッケージから一本抜いて咥えて、火を点けてから難しい顔で一言、
「オレ、なんかしちまったかな……」
こう漏らしたカイジに、アカギは、
「なんもしてねえよ。あんたはね」
しれっと、そう答えた。
意味深な口振りに、カイジは不審げな顔をする。
その視線を受け、アカギはタバコを取り出しながら、ニヤリと笑って言ったのだった。
「カイジさん。火、ちょうだい」
終
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