ゆうえんち・6





「で、コレかよ……」

 目の前に聳え立つ巨大な観覧車を見上げ、カイジはぽつりと漏らした。
 カラフルなゴンドラが、青空を背景に、ゆっくりと回っている。

 まさかアカギがこれをチョイスするとは予想だにしていなかったカイジは、かなり面食らい、わけもなく赤面した。
 乗り場の列は男女のカップルばかりで、そういう人たち御用達の乗り物に、アカギとふたりで乗り込んでいくことを想像するだけで、カイジは羞恥に取り乱しそうになる。

「アカギ……落ち着いて考え直せ。今ならまだ、引き返せる……」
 必死に平静を取り繕いながらのカイジの説得に、アカギは断固として首を横に振った。
「『リリカル』乗り越えたんだから、今さらアレごとき、怖かないでしょ……」
 平然とそう言いながらファストチケットを取り出すアカギに、カイジは半泣きのような顔で眉を下げる。

 正直、逃げられるものなら今すぐにでも逃げ出したい気持ちではある。
 しかし、やっぱり子供みたいに愉しそうなアカギの横顔と、掴まれたままの手首にじんわり伝わる体温が、カイジの足を踏み止まらせるのだ。

 ああ、オレはつくづく、こいつに甘い……
 項垂れるカイジの心中など見透かしているかのように、アカギは、
「ほら、行くよ?」
 と声をかけ、強引にその手を引いて観覧車乗り場へと向かうのだった。




 普通に並べば、五十分待ちの列。
 その隣を、アカギとカイジはスイスイと歩き、あっという間に搭乗口へとたどり着く。

 二枚のチケットをもぎりのお姉さんに渡し、べつのキャストの案内で、ふたりして背を屈めてオレンジ色のゴンドラに滑り込んだ。

「いってらっしゃい」というにこやかな声とともに扉が閉まると、カイジはハーッと深いため息をつき、体を緩める。
 ずっとうつむいて変に緊張していたせいで、首やら肩やら、やけに凝ったように感じられた。

 沈み込むように行儀悪くシートに座り、大きく伸びをすると、対面に座るアカギの足にカイジの足がコツンと当たる。
「あ、わり……」
 謝りながらアカギの顔を見て、カイジはドキリとした。

 アカギはまっすぐにカイジの顔を見つめていて、その眼差しの驚くほどのやわらかさに、カイジの心臓が早鐘を打ち始める。

 カイジは慌ててシートに深く座りなおし、窓の外へと目を向けた。
「すっ……すげぇ景色だなっ……!!」
 とっさにそう言ってはみたものの、まだ乗って一分も経っていないゴンドラはさほど地上から離れておらず、今さっき別れたキャストの表情さえ窺えるほどなのに、ツッコミどころ満載のカイジの発言に、アカギはただ、
「うん」
 と頷いて、そのくせ目線はカイジの顔に固定したまま、動かそうとしない。

 ちぐはぐなやり取りに、原因不明の汗をだらだらかきながら、カイジはひたすら、景色を眺めるフリをする。

 冷静になってみると、この狭い密閉空間に、アカギとふたりきり。
 いったんそれを意識してしまうと、とたんに空気がじわじわと張り詰めていくように感じられて、いつもならなんてことない沈黙も、やたらと耳につき始める。

 カイジはひそかに息を飲み、ともすればアカギの方へと向いてしまう意識を、遠くから聞こえるBGMや、徐々に高く開けていく風景の方に集中させようとする。

 しかし、横顔に注ぎ続けられる視線の圧にやがて耐えられなくなって、横目でぎこちなく、アカギの方を見た。
「景色……見ろって……」
 拗ねたように送られる目線と、赤くなった顔。
 二つも年上の男らしからぬその表情が、アカギの悪戯心をどうしようもなく掻き立てる。

 アカギがおもむろにポケットからタバコを取り出すのを視界の端で捉え、カイジは反射的にバッと立ち上がった。
「ばっかやろ……!! 禁煙だっつーの……!!」
 アカギの方へ身を乗り出し、その手を掴んで止めてから、至近距離で三日月のように細められる瞳に気がつき、カイジは慌てて元の場所に座り直す。

 カイジの動揺を示すかのごとく、微かに揺れるゴンドラ。
 くつくつと肩を揺らしながらタバコをしまうアカギに、カイジは窓枠に頬杖ついて、ぶすっとむくれた顔をした。
「人のことおちょくって、愉しいかよ……」
「愉しいさ。相手があんただからな」
 ますます渋い顔になるカイジを見て笑みを深め、アカギはようやく、窓の外へと視線を移す。
 カイジもぶつくさ言いながら、ようやく落ち着いて見られるようになった外の景色を眺め始めた。


 しばらくの間、ふたりは無言で、それぞれの窓の外に広がる風景を見つめていた。
 地上はだいぶ遠ざかり、音楽や人々の喧騒も、耳をすませば辛うじて聞こえる程度だ。

 唸り声を上げて疾走するジェットコースターをカイジが目で追っていると、さっき乗ったコーヒーカップが動いているのが視界に入る。
 ショーが終わったのだろう、貸し切り状態だったカップは満席となっており、乗降口の前には短い列ができていた。

 優雅に動くカップを見下ろし、さっきの自分たちをこんな風に眺めていた人もいたんだろうか、などと、カイジがぼんやり考えていると、唐突にアカギが言葉を発した。

「……忘れないで、いてえな」

 ひとり言のような呟きに、カイジはアカギの方を見る。
 アカギは外を眺めたまま、抑揚のない声で続けた。

「なんとなくだけどさ。今日のこと、忘れないでいたい、って思ったんだ。……こんなこと、滅多に思うこと、ねえのに」

 ぽつり、ぽつりと、まるで覚えたての言葉を話すように、ゆっくりと時間をかけて言葉を紡ぎ、ふ、とアカギは顔を上げ、カイジの方を見た。

「……なんでかな」

 ちょっと困ったような色を含む、苦笑い。
 白い陽の光に照らされるその表情を見た瞬間、カイジは心臓が止まりそうなくらい、心をきゅっと強く引き絞られた気がした。


 あぁ、オレ、こいつにすげぇ惚れてんだ。
 そんで、こいつも同じくらい、オレに惚れてやがるんだ。

 自惚れじゃなく直感的に、カイジはとうにわかりきっていたはずのそのふたつのことを、改めて、身にしみて痛いほど理解してしまった。

 なぜだか鼻の奥がツンとしてきて、カイジはあえて、ぶっきらぼうな口振りで言う。
「忘れたくても、忘れらんねぇだろ。……野郎ふたりでデートなんて、こんな酔狂なこと」
 無愛想でも、思いやりに満ちたカイジの言葉に、アカギはやわらかく睫毛を伏せ、「そうだね」と呟いた。

 それから、すぐに悪い顔になり、静かな笑いに肩を揺らし始める。
「しかしまぁ、念のため……今日の日の記憶を、より確固たるものにしておこうじゃない……」
 そう呟くや否や、アカギは大きく身を乗り出して、カイジに近づく。
「……ッッ!!」
 急なアカギの行動にカイジが驚いている隙に、アカギは身を屈め、両手をカイジの後ろの窓についた。
 あっという間にアカギの腕に囲われるような格好になり、カイジは頬から火を噴きながら慌て始める。
「ばっ、ばかやろうっ……! 人が見るだろうがっ……!」
 あわあわと顔を背けながら、怒ったように言うカイジを、腕を曲げ、カイジの足の間のシートの上に片膝で乗り上げることで、アカギはさらに追いつめる。
 唇が触れそうで触れない、ギリギリのところまで顔を近寄せ、アカギは音を消した声で囁いた。

「誰も見てやしねえよ。いいから、目、閉じなって……」

 むせ返るようなハイライトの匂いと、仄かに香る、アカギの匂い。
 窒息してしまいそうなそれらにクラクラしつつも、カイジはぎゅうっと目を瞑り、絞り出すような声で叫んだ。

「てっぺん……! てっぺんならっ、ぜったい、誰にも、見られねえ、っからっ……!!」

 哀れなほど震える声でそう言い切って、縮こまった肩で息をするカイジを、アカギは間近でじっくりと眺める。
 たっぷり三十秒はそうしたあと、アカギはそっとカイジから離れ、元いたシートにどっかりと腰かけた。

 思いとどまってくれたのか、とホッと胸を撫で下ろすカイジに向かって、アカギは片頬をつり上げる。
「焦らすね。まぁ、あんたとならそういうのも悪くない……」
 それから、いつの間にかカイジの髪から抜き取っていた黒いゴムを、くるくると指先で玩びながら、笑った。

「『てっぺん』まで、あと一分ってとこか? 焦らされた分まで、きっちり愉しませてもらうから、覚悟しときなよ……」

 いつもの悪漢めいた笑顔の下にも、やっぱりちょっと子供みたいな表情が潜んでいて、アカギのそういう顔に弱いカイジはもうなにも言えず、唇を噛んでうつむくしかなかった。

 ゆっくりと、観覧車は回り続ける。
 涙が出るほどふたりきりの空間で、どこにも逃げられないというスリル。

 胸が詰まって呼吸を忘れてしまいそうな緊張感にゾクゾクしながら、ゴンドラがてっぺんに到達するまでの一分を、アカギは笑い、カイジは泣きそうな顔で、それぞれひたすら、待つのだった。







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