お花見・1 ケモ耳しっぽ注意


 連勤明け、休みの日の朝。

「花見に行く」

 バイト疲れで春眠を貪っていた体を揺り起こされ、唸り声を上げながらうっすらと目を開けたカイジに、少年は淡々とそう告げた。

 埃っぽいカーテンの隙間から射し込む、白い日射しが眩しい。
 窓の外からは、のどかな鳥の声も聞こえてくる。

 しばし、カイジは少年を半眼で見つめたあと、
「……そうか。気をつけて……」
 と呟きざま、布団を深く被り直そうとする。
 しかしそれより一瞬早く、少年が布団を大きく剥いでカイジの二度寝を阻止した。
「てめぇっ……! なにしやがるっ……!」
「あんたも行くんだよ。決まってんだろ」
 冷たく言い放たれ、カイジはでかい図体をダンゴムシのようにきゅうっと丸めた。
「なんでっ……! オレは疲れてんだっつうの、寝かせろよっ……!!」
 子供のようにわぁわぁと喚き、カイジは梃子でも動かぬ意思を示すように枕をきつく抱きしめるが、少年が首根っこを掴んで軽く引いただけで、その体はあっさりと布団から引き摺り出される。
「いって……!」
 ベッドの上から床にドサリと落とされ、背中に走った鈍い衝撃にカイジは顔を歪めた。
「っのクソガキっ……! なんてことしやがるっ」
 怒りに目を見開いて牙を剥くが、少年は当然、そんなもの意に介した風もなく、
「さっさと着替えな。それとも……、今日こそ、無理やり従わせてやろうか……?」
 顎を上げ、居丈高にそう言い放った。

『無理やり従わせる』とはすなわち、あの怪しい神通力のようなものを行使するぞと脅されているわけで、カイジはゾクリと怖気立つ。

 初めて会ったとき、危うく少年を嫁として娶らされそうになった、あの力。
 普通の人間なら逆らうことなど到底不可能なそれに、カイジはなぜか多少なりと耐性があるらしく、意識をはっきりと定め、断固として抗う気持ちを強く持つことで、どうにかこうにか弾き飛ばすことができていた。

 けれど、あれをやり過ごすのはとても骨が折れるし、正直なところ、カイジは毎回、ギリギリのところでどうにか己を保っているに過ぎないのだ。
 ただの人間が神さまの力に抵抗するのだから、それも当然のこと。

 加えて最近、ギャンブルや遊びの合間を縫ってではあるが、少年は神さまとしての仕事をきちんとこなすようになってきていて、すこしずつ、でも確実に少年の中に蓄えられている神さまの力が、いっそうカイジをあの催眠術のようなものから逃れがたくさせているのであった。

 そういうわけだから、カイジはぎゅっと目を瞑り、少年の方を見ないようにして床の上で再度、体を丸める。
「へっ、やれるもんならやってみやがれっ……! お前の目さえ見なければ、あんなもんどうってことねえっ……!!」
 強がるようにカイジは啖呵を切る。
 実際、あの力の出所の大部分は少年の緋色に燃える瞳なので、それに魅入られさえしなければ惑わされる確率は格段に減るのだ。

 およそ成人男性とも思えぬような間抜けな姿で縮こまるカイジを冷えきった目で見下ろして、少年はぼそりと呟いた。
「……今月の家賃」
 少年の足元で、カイジの体がピクリと動く。
「電気代。ガス代。水道料。……いったい、誰が持ってやってるんだっけ?」
 少年が威圧的に言葉を重ねるたび、見えない重石がのしかかるように、カイジの口から潰れた呻き声が上がる。
 やがて、大きな体が小刻みにぷるぷると震えだし、ついに重みに耐え兼ねたかのように、カイジはガバリと起き上がった。
「わぁったよ……!! 行きゃあいいんだろっ、この悪漢っ……!!」
 涙目で、ヤケクソのようにカイジは叫ぶ。

 生活費を少年がギャンブルで稼いだ金に頼りきっている上、仮にも神さまである少年を『悪漢』呼ばわりするなど罰当たりにもほどがあるが、少年はそんなこと気にも留めないようすで、勝ち誇ったようにニヤリと笑った。

「早く支度しな。置いてくぜ?」
 やけに愉快そうな少年の声にぶつくさと文句を言いながら、カイジは渋々立ち上がる。
「酒とつまみ、お前の金で山ほど買い込んでやる……」
「そう言うと思って、もう用意してあるよ」
 すまし顔で、少年は両手に提げた大きな風呂敷包みを持ち上げてみせる。

 右手の赤い風呂敷包みは大きな巾着のような形で、左手の青い風呂敷は縦長の瓶包みだ。
 どうやら右手にはつまみやビール、左手には日本酒を提げているらしい。
「あんたは荷物持ちだ」
 神さま直々の任命に、カイジは渋い顔になる。

「花見って……いったい、どこでするんだよ?」
 まったく気乗りしない様子でのろのろとジーンズに足を通しながら、カイジは少年に問いかける。
 すると、少年は三角の耳をぱたりと動かし、
「神社だよ。夏祭りの時に花火見た、あの裏山」
 と答えた。
「えっ? あそこ、桜の樹なんてあったっけ……?」
 上着を羽織る手を止めて、カイジは眉を寄せる。

 あの鬱蒼とした雑木林が桜だったなら、少年の神社は今ごろ、花見の名所として有名になっていてもおかしくはないだろう。
 だが、そういう噂はいっさい聞かないし、祭りのときと正月以外はほとんど人気がなく、ひっそりと静まり返っているのがあの神社の常であると、カイジもよく知っていた。

 あからさまに怪訝そうな顔をするカイジに、
「まぁ、行ってみればわかるよ」
 そう言って、少年はふさりとひとつ、白いしっぽを揺すってみせた。



[*前へ][次へ#]

16/38ページ

[戻る]