夏風邪・1 ケモ耳しっぽ注意



「待たせたな、帰ろうぜ」

 背後からかけられたその声が、数時間前まで聞いていたいつもの声とは、まるで別人のようにガラガラに嗄れていたので、少年は振り向きざま、
「ヘンな声」
 そんなどストレートな言葉を、同居人の男に向かって投げた。

 不躾な少年の発言に、男ーーカイジはちょっと咳き込みながら、眉を寄せる。
「ん……なんか、風邪貰っちまったみたいで……」
「ふーん」
 そっけなく言い放つと、少年はさっさと帰ろうと、カイジの先に立って歩き出す。

「今日の晩飯なに?」
「んん……どうしようかな……」
 カイジが唸りながら目線を上に投げたそのとき、ふたりの背中に声がかけられた。
「カイジさ〜ん! 忘れ物っスよ〜!」
 振り返ると、いかにもチャラそうな金髪の若い男が、カイジに向かってブンブン手を振っている。
「あっ、やべ……傘、持ってきてたんだった」
 金髪の男が手にしている黒い雨傘を見て、カイジは思い出したかのように呟くと、慌てて踵を返した。

「悪い……ありがとな、佐原」
 カイジが近づいて傘を受け取ると、佐原は「もー、しっかりして下さいよ〜カイジさ〜ん!」などと、わざとらしく口を尖らせてみせる。
 それから、ふと視線を少年の方へ向け、じっとその顔を見つめた。

「……この間カイジさんが話してた、『一緒に住んでる少年』って、この子っスか?」

 そう言って、佐原は物珍しそうに少年の頭のてっぺんからつま先までをジロジロと見る。
 一見、軽薄そうに見える男のつり上がった瞳を、少年が瞬きもせず見返していると、ふたりの傍らでカイジが驚いたような声を上げた。
「佐原、お前、コイツのこと見えて……」
「? はい?」
「い、いや、なんでもねえ……」
 ハッとして口籠るカイジを怪訝そうに見て、佐原は聞こえよがしにため息をつく。
「『親戚の家出少年』なんて、養ってる余裕あるんスか〜? 自分の生活だけで、いっぱいいっぱいのクセに」
「よ、余計なお世話だっつうの……!!」
 慌てた様子で少年の顔をチラチラと伺いつつ、カイジは佐原をどやしつける。

 佐原はニンマリと笑い、わざとらしくカイジにも聞こえるような大声で少年に諭した。
「こんな大人になっちゃダメっスよ〜。早く家に帰らないと、悪い影響ばっか受けちゃうっスからね」
「こ、こらっ、佐原っ……!!」
 目を怒らせるカイジに、ハハハッ、と明るく笑い、佐原は大きく手を振りながら、軽い足取りでふたりの側を離れていった。

 嵐が去ったあとのようにぽつねんと取り残されたふたりは、しばし無言で佐原の消えた方向を見やっていたが、やがて、少年が先に口を開いた。
「あの人間、オレのこと見えてた」
 その言葉に、カイジも頷く。
「ああ、驚いた……。お前のこと見える奴って、かなり珍しいよな?」
 神さまである少年の姿を視認できる者は、滅多にいない。
 カイジはそれができる数少ない人間の内の一人だったが、まさかこんな身近に、同じことをできる人間が居ようとは、思ってもみなかった。

 驚きを禁じ得ないカイジに対し、少年はクールな表情を崩さない。
「まあ、あんたと違って、完全に見えてるって訳じゃないみたいだけど」
「……は?」
「今までも、外であんたを待ってる間に、店の中から視線を感じたことはあった。でも、毎回じゃない」
 少年はそこですこし考えるような間を置き、ふたたび口を開く。
「だいたい……五日に一度くらい。たぶん、本人の勘が冴えているときだけしか見えてない」
「へぇ〜……気付かなかった……」
 感心したように、カイジは目を丸くした。
「確かに……異様に鼻が利くようなとこあんだよな、あいつ……」
「……ねぇ、それより」
 ぶつぶつと一人ごちているカイジの顔を覗き込むように見上げ、少年は低い声で言う。
「あんた、あの人間にオレのこと、なんて喋ってたの?」
「……あっ!」
 しまった、というような顔になるカイジに、少年は半眼になった。
「『親戚の家出少年』とか、聞こえたんだけど」
 不機嫌そうな顔でじりじりと詰め寄られ、カイジは辟易しながら答える。
「だっ……だってしょうがねぇじゃねえか……! 本当のこと、話すわけにはいかねぇだろっ……!」

 バイト上がりに少年の好物であるチキンを、自分の分とあわせてふたつ買って帰るようになったカイジだったが、目敏い佐原が『肉食系の彼女でもできたんスか〜?』などとしつこくからかってくるので、やむを得ず、無理のない範囲で、嘘を混ぜながら少年のことを話したのだ。

「ほ、ほらっ……! お前の好きなヤツ、買ってきたから……!」
 誤魔化すようにビニール袋からチキンを取り出すカイジを、少年は睨むように見据えていたが、
「……晩飯、ハンバーグがいい」
 有無を言わさぬ声でそう呟いて、ひったくるようにチキンを奪った。



[*前へ][次へ#]

25/38ページ

[戻る]