服を買う ギャグ キャラ崩壊注意





 ーーもう、帰りてえ……

 うつむきがちに、カラフルなグラデーションで彩られた棚の前を歩きながら、カイジは心中で呻いていた。
 止まらない冷や汗と、ため息。その元凶である中年の男は、カイジの後ろで物珍しそうにキョロキョロと辺りを見回しては、
「こういう店、初めて入ったなぁ」
 などと、暢気な声を上げている。


 シンプルな若者向けの服をメインに取り揃えている、ファストファッション店。
 白のピンストライプのスーツにピカピカの茶色い革靴という出で立ちは、その中で明らかに浮いている。
 周りの客から送られるあからさまな奇異の眼差しを一身に浴びながらも、男はそんなものまったく気にも留めない様子で飄々と歩いている。
 連れであるカイジの方がよほど辟易し、ちいさく縮こまっているのであった。

 急に気温の高い日が増え、必要に迫られて急いで衣替えしたはいいものの、着る服があまりにも少ないことに気がついたカイジは、Tシャツとジーンズでも新調しようと、なけなしのバイト代を持ち、よく使っているこの店に向かった。
 ……ら、こういう日に限って、道中でなぜか徹マン帰りの赤木しげるに出くわしてしまった。
 これから自分を訪ねるつもりだったと言う赤木に、服を買いに行くところだからアパートで待っていてくれと鍵を渡そうとしたカイジだったが、赤木は受け取らず、代わりに興味津々といった顔つきで『俺もついていく』などと宣ったのだった。

 思いがけぬ展開に焦り、カイジはなんとか赤木を説得して帰らせようとしたが、このワガママな男が一度こうと決めたことを覆すはずもなく、結局カイジが折れざるを得なかった。
 こうして、カイジにとっては地獄のような今の状況が出来上がったわけである。


(くそ……っ、せめて、こういう場所じゃなければ……っ)
 赤木に見られぬよう細心の注意を払いつつ、カイジは渋い顔をする。

 いつだって会いたいと思っている憧れの存在であり、また恋人でもある赤木に会えたのである。カイジだって、嬉しくないわけじゃない。
 でも、だからこそ、こういう展開になってしまったことが、非常に複雑なのだった。

 パチンコ屋でも競馬場でも、カイジが普段よく行く場所であれば、赤木もここまで悪目立ちすることはないはずなのだ。
 なのに、よりにもよってこの店。

 くっきりと鮮やかな色とりどりの服が並ぶ棚の前で、赤木の姿はまるで浮かび上がるかのようで、真っ白い灯台みたいに、どんなに遠くからでも一目で見つけられそうである。

 できるだけ赤木から離れて歩こうとするカイジの苦心を知ってか知らずか、赤木はぴったりとカイジの後をついてくる。
 まるで、カイジが親だと刷り込みされたヒヨコみたいだ。

 じっくり眺める余裕もないくらい、早足で棚の前を横切ってジーンズの棚へ向かうカイジの耳に、
「なんだ、やけに忙しないな」
 呆れ混じりの、のほほんとした声が飛び込んでくる。

 ーー誰のせいだと思ってんだよ。
 ぐるりと振り返ってそうどやしつけてやりたくなるのを堪えつつ、カイジはほとんど棚を見もしないままジーンズを一本手に取ると、速攻で方向転換してTシャツ売り場へと足を向けた。

 

 さまざまな柄のTシャツが並ぶ棚は、見ているだけで元気が出そうなくらいポップな色合いだ。
 まるでキャンディーワゴンのようにカラフルなその棚に、カイジは端から端までサッと視線を走らせたあと、濃紺と黒のTシャツを手に取った。

 碌に商品を見ることができず、目に入った中でいちばん無難なものを手に取るしかなかったが、仕方ない。
 なにせ今自分は、針の筵にいるようなものなのだから。

 その元凶のいる方へとチラリと目を向けると、赤木はカイジからすこし離れた場所で、ポケットに手を突っ込んで暇そうに突っ立っていた。
 さっきまであれだけ盛り上がっていた癖にもう飽きたのか、その横顔は今にも欠伸が漏れそうに退屈げだ。
 
 呆れつつも、神域の男にあんな顔をさせてしまっているということが、カイジの心にわずかな雲をかける。
 勝手についてきたのは赤木の方だというのに、お人好しなカイジの心には罪悪感のようなものが芽生えてきて、カイジは周りを気にしつつ、コソコソと赤木に近づいた。

「あの、赤木さん……」
「ん?」
「これと、これ、どっちがいいと思いますか……?」
 
 こんなこと退屈しのぎにもならないとは思うが、カイジは二枚のTシャツを体の前に重ねるようにして赤木に見せ、訊いてみる。
 すると、赤木はカイジに向き直り、二枚のシャツとカイジの顔を交互に見比べ始めた。
「んー……」
 顎に手を当て、目を眇めるようにして唸る。
 その顔つきが存外真剣そうで、カイジはちょっとした感動を覚えた。

 あの赤木さんが、こんなに真面目にオレに似合う服を選ぼうとしてくれてる……!

 ちょっとドキドキしながらカイジが赤木の言葉を待っていると、やがて、赤木は鋭い双眸でカイジを見て、口を開いた。

「脱がせ易けりゃ、俺はどっちだっていいぜ」

 ーーオレのドキドキを返せ。
 深いため息とともに、カイジはヘナヘナと脱力する。
 気を遣った自分が馬鹿だったと、怒りと恥ずかしさで真っ赤になった顔で、赤木を睨みつけるようにして言った。
「じゃあ……試着してきますから」
「ん……? そうか」
 のんびりと頷く赤木に背を向け、カイジは店の奥へとズカズカ歩いていく。





 補正カウンターの前を通り過ぎ、鏡付きの小さな部屋が並ぶ通路までくると、カーテンの開いている一室の前で、カイジは立ち止まる。
 そしてぐるりと振り返り、
「なんでついてくるんだよ……っ!!」
 苛立ちを押し殺した声でそう怒鳴った。

 カイジの真後ろに立っていた赤木は、悪びれもせずにカラリと笑う。
「手伝いが必要かと思ってよ」
「いりません」
「まあそう遠慮すんなって」
 冷えきった態度も飄々とかわし、その場を離れようとしない赤木を睨み付けると、カイジはさっさと靴を脱いで試着室に入ってしまう。
 それから振り向きざまに再度、キッと赤木を見て、
「ぜったい、覗かないで下さいよっ……!」
 まるで恩返しをする鶴のようなことを言い、大きな音を立てて勢いよくカーテンを閉めた。


 ようやく訪れたひとりきりの空間で、カイジは大きくため息をつく。
 それから早速、嫌な汗で足にへばり付くようなジーンズを乱雑に脱ぎ捨て、売り場から持ってきた真新しいジーンズを取り出した。

 Tシャツは試着する必要などないが、裾直しのことがあるので、こちらはそうはいかない。
 硬い生地に足を通し、カイジはウエストを引き上げる。

 ……が、足が汗でベタついているせいで、まだこなれていないジーンズ生地は肌に吸いつくようで、膝まではどうにか入ったものの、太股から上がどうにも上がらなくなってしまった。

 サイズはまったく問題ないはずだ。苦心しつつも、思いきり力を込めてジーンズを引っ張り上げようとするが、余計に汗をかいてしまい、それでまた硬い生地が締まるという悪循環。

 顔を真っ赤にし、歯を食いしばりながら悪戦苦闘していると、
「手伝おうか? カイジ」
 いきなり声がして、カイジは文字通り飛び上がった。
 いつの間にか、カーテンの隙間から赤木がまるで子供か小動物のようにひょっこりと顔を出していた。カイジと目が合うと、ニヤリと笑ってみせる。

 心臓をバクバク言わせながら、カイジは見開いた目の眦をつり上げる。
「覗くなっつっただろ……! なにしてんだ、あんた……っ!!」
「うーん……あんな風に念を押されたら、逆に覗いてやらなきゃいけねえ気がしてな」
 朗らかにそんなことを言いながら、赤木はカイジの姿をしげしげと眺める。

 グレーの下穿きが丸見えの状態で前屈みになり、膝上の中途半端なところでつっかえているジーンズに手をかけ、汗だくで息を切らしている……そんな恋人の姿に、赤木の目が細まる。

「どうやら苦戦してるようだし、やっぱり手伝ーー」
「出てって下さいっ……! この店から速やかにっ……!」
 目を剥いて怒るカイジの剣幕に、赤木はわざとらしく驚いた顔になり、心外だ、という風に眉を寄せる。
「おいおい……いくらなんでも、店を出る必要はねえだろ」
 ため息混じりに言われ、カイジは一瞬ぐっと言葉に詰まったが、
「い、言う通りにしねえと、うちに上げねえからなっ……!」
 半ば勢いでそう言い切ってしまうと、赤木の方に近づいてぐいぐいとカーテンを引っ張ろうとする。
 赤木は苦笑し、「わかったよ」と言って素直に一歩退いた。

 すかさずピシャリとカーテンを締め切り、カイジが肩で息をしていると、「外で待ってるからな」という声とともに、遠ざかっていく足音がカーテンの向こうから聞こえてきた。

 心底安堵したように、はぁ〜……とため息をつくカイジ。
 だが、額をしとどに濡らす汗を手の甲でぐいと拭うと、この暑い中、徹マン帰りの赤木を店の外へ追い出してしまったことへの罪悪感が、またも心に芽生え始める。

 ……いくらなんでも、店を出てけ、ってのは、ちょっと言い過ぎだったかな……

 一度そういう方向に心が傾いてしまうと、相手が赤木だということもあって、さっきまでの憤りはどこへやら、お人好しのカイジはもうソワソワと心が落ち着かない。

 とりあえず、さっさと試着と会計を済ませて外へ出よう。そして、ちゃんとふたりでうちへ帰ろうと、カイジは膝上で蟠ったままのジーンズに、急いで手をかけたのだった。







 裾直しを依頼し、会計を済ませてカイジは店を出る。
 自動ドアの開いた瞬間、ムッと押し寄せてくる熱気に顔を顰めつつ辺りを見渡すと、入り口脇の壁に背を預け、腕を組んで立っている白い男の姿が目に入った。

 当たり前なのだが、店の外に居てもかなり目立つ。店に入っていく人々からチラチラと視線を送られているが、相変わらず赤木は気にする風もない。

 自分のような青二才に叱られたくらいで律儀に店の外で待っているのが可笑しくて、カイジは笑いを堪えつつ赤木に声をかけようとする。
 だがそこで、制服姿の女子高生の集団が、遠巻きに赤木を見て嬉しそうにコソコソと肘をつつき合っているのに気づいてしまい、カイジの眉間に今日いちばんの深い皺が刻まれた。


 聞こえよがしに足音を立て、仏頂面で赤木の前をつかつかと横切る。
 店の中でのことを、まだ怒っていると思ったのだろう。自分を無視して通り過ぎようとするカイジの姿に気づいた赤木は、そのすこし後ろについて歩きながら、声をかけた。
「よぉ、兄さん。これから、俺と遊ばねえか?」
 飄々とした、いつもの声。それにホッとしつつも、カイジは振り返りもせずに硬い声で答える。
「ナンパかよ……恋人とか、いないんですか?」
「いや……嫁と、来てたんだけど」
 笑いを含んだ赤木の返答に、カイジは一瞬固まる。
 全力でツッコミたくなるのをどうにか堪え、わずかに朱の差した顔を前に向けたまま、赤木とのやりとりを続けた。
「……嫁さんは、どうしたんだよ」
「実は、ちょっとな……構ってほしくてちょっかい出したら、機嫌損ねてフラれちまって、この蒸し暑い中待ちぼうけだよ」
「可哀想ですね」
「だろ?」
「その嫁さんが。それと、あんたの頭が」
「……おいおい」
 冷淡に取り繕った態度、棘のある失礼な言葉もどこ吹く風といった調子で、大仰なため息をついてみせる赤木に、カイジは思わずちょっと笑ってしまう。
 その笑いで、心を翳らせていたほんのわずかな不機嫌さも、完全に吹き飛ばされてしまったようだった。

 それでも、カイジはひとつ咳払いして、緩んだ頬を引き締める。
「……夕飯。うまいとこ連れてってくれたら、許す」
 暑さのせいじゃなく赤くなった顔で振り返り、重々しくそう告げると、『嫁』に構われたがりな神域の男は大きく破顔し、こくりとひとつ、頷いたのだった。






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