ELEVATOR 『白昼堂々』の続き


 休日の真昼。
 太陽の光が苦手なコウモリみたいに、ひっそりと息を潜めながら夜を待つホテル街。狭い路地の外れに、そのホテルはあった。

 灯りの消えた看板は、他のホテルのように毒々しい極彩色ではなく、シンプルな淡いブルー。同系色の建物の外観もシティホテル然としていて、このホテル街の中ではもっとも目立たない一軒だった。

 アカギが他のけばけばしいホテルでなく、このホテルを選んだことにカイジはホッとしていた。
 人通りのすくない時間帯であるとはいえ、男同士、ふたり連れ立ってホテル街を歩くだけでも居たたまれないのだ。
 斜め前を歩く男が、いかにもなホテルに足を向けようものなら、カイジは全力で逃げ出していたに違いない。
 もっとも、ファミレスでされたことのせいで前がキツくてまともに歩くだけで精一杯なカイジが、アカギから逃げ果せるかどうかは甚だ怪しくはあるけれども。

 街行く人の視線を気にするがあまり、始終うつむき通しで顔を上げられないカイジにはホテルを選択する余裕などなく、おとなしくアカギの後についていくことしかできなかった。
 つまり、ホテル選びはアカギの一存に委ねるしかない状態だったわけである。

 アカギはカイジを振り返りもしないで、入口の自動ドアの奥へと踏み込んだ。
 カイジが逃げるはずがないと、確信しているような足取りだった。

 ここならギリギリ、カイジの許容範囲だということまで計算に入れて、この地味なホテルを選んだのかも知れなかった。
 恨めしげに唇を噛みつつ、カイジは後に続いてそそくさと扉を潜る。




 エントランスも、建物の外装と同じブルーの壁紙で統一されていた。
 フロントに人影はなく、しんと静まり返っている。
 薄暗く絞られた照明の中、客室パネルが真夜中の自販機みたいにぼんやりと光っていた。
 こんな時間からラブホテルを利用する客は流石にそう多くなく、ライトの消えているパネルは四つしかない。

「部屋、どこにする?」
 振り返って尋ねてくるアカギに、カイジは落ち着きなくキョロキョロしながら言った。
「どこでもいいから、早く……」
 とにかく誰にも見られたくなくて、カイジがそう促すと、アカギはスッと目を細める。
「ずいぶん、積極的じゃない。『早く』だなんて」
 そんな軽口を叩くアカギを、カイジは大きな三白眼で睨め付けたが、憤りに任せて言い返したりはしなかった。
 こんな場所で言い争いなど、している場合ではないのだ。今は一刻も早く、人目につく可能性のある場所から逃げ出したかった。

『あとで殺す』と目で訴えてくるカイジに喉を鳴らしながら、アカギはパネルに向き直り、適当に四階の一室を選択した。

 選んだ部屋のパネルが消えたのを確認してから、傍にあるエレベーターへ向かう。
 部屋はオートロック式、支払いは部屋にある自動精算機で行うようだ。従業員と顔を合わせずに済むことを知り、カイジは心底救われた気分になった。


 上行きのボタンを押し、しばらく待つとエレベーターが到着した。
 ちいさな部屋のドアが開いた瞬間、サッと乗り込んで隅の方に陣取るカイジを、アカギは足を止め、暫しじっと見遣る。

 ようやく人目につかない空間に逃げ込めるとホッとしたのも束の間、開けっ放しのドアの向こう側で立ち止まってしまったアカギにギョッとするカイジだったが、その顔に浮かぶ性悪な笑みに気がつくと、腹立たしげな唸り声を上げた。
「早く! 乗れっつーの!!」
 小声でどやしつけながら、カイジはアカギの腕を強く引っ張って中に入れ、『閉』ボタンを連打する。

 もどかしいほどゆっくりと扉は閉まり、ようやくふたりきりの空間になった。
 心底ホッとし、カイジは深く安堵のため息をつく。
 だが、前髪をしとどに濡らす冷や汗を手の甲で拭おうとした瞬間、緊張の弛んだ体を物凄い力で左側の壁に押し付けられ、その目を大きく見開いた。
「……ッ!!」
 背中を強かに壁に打ちつけて呻きつつ、カイジは目の前の男を睨みつけ、突然の奇矯な行動を罵ろうとした。
 が、叶わなかった。アカギが強く両肩を押さえつけながら、ぶつけるような乱暴さで唇を重ねてきたからだ。

 カイジは目を白黒させながら、咄嗟に逃げを打とうとする。だが、アカギはカイジに体を密着させることでそれを完璧に阻止した。
「ん゛〜〜ッ!!」
 唇を塞がれたまま、非難の声を上げるカイジ。
 怒りにつり上がった目と間近で視線を絡め、アカギの淡い瞳に愉悦の色が滲む。

 ぬるりとした肉塊が潜り込んでこようとするのを、カイジは強く唇を閉じて拒もうとした。
 しかしそんなカイジの抵抗などアカギにはわかりきっていたようで、低く喉を鳴らして笑うと、カイジの足の間に己の右足を割り込ませてきた。

 未だ痛いほど勃起したままのソコを膝頭で撫でられ、カイジの体が反射的にビクリと跳ねる。
 一瞬の緩みは、熱い舌の侵攻を難なく許してしまった。
「んん゛、んーーッ……!」
 ほとんど悲鳴じみたカイジの声に、『行き先階ボタンを押してください』という無機質な声が重なる。
 アカギはカイジと深くキスしたまま、左手を伸ばして階ボタンのパネルを指先で探り、『4』のボタンを押下した。


 ごうん、と鈍い音がしたあと、ふたりを乗せたちいさな箱はゆるやかに上昇を始めた。
 カイジはアカギからなんとか逃れようと必死に藻掻いたが、ファミレスのとき同様、アカギの右足に自身の生殺与奪を握られているような状態のため、またしても碌な抵抗もできない。

 怒りに瞳を燃やすカイジを宥めるように、アカギは曲げた膝で猛ったモノをやさしく擦る。
 その一方で唾液の音が響くほど激しく口付けられ、上と下をまるで別人に責め立てられているような感覚に、カイジはパニックを起こしそうになる。

 カイジの口腔内でアカギの舌はまるで生き物のように這い回り、歯列を、舌を、漏れ出る吐息すらも食らうように舐め尽くしていく。
 唇と舌で交合するような、性急で野蛮な口づけに、やがてカイジの背筋は痺れ、腰のあたりが強烈に疼き始めた。


 じゅるじゅると水っぽい音を狭い部屋いっぱいに響かせながら、アカギは鼓膜からもカイジを容赦なく蹂躙していく。
 乾いていた口内に溢れるほど唾液を注ぎ込まれ、カイジは苦しげに眉を寄せながら必死にそれを飲み下す。それでも飲み込みきれずに零れた唾液が、いくつも筋を作ってカイジの口端からつうと流れ落ちた。

「ん……ッ、ぁふ……、」
 ひどく敏感になった口腔を性器のように犯され、カイジの体からはいつの間にかすっかり力が抜けてしまっていた。
 アカギはカイジの体を押さえつけていた右手を離し、指先でカイジの耳を擽るように撫でながら、角度を変えて口づけを深める。
 濁流のように激しいアカギの責めに翻弄されつつも、カイジは潤んだ目を横に流して行き先階ボタンを見る。

 幸いにして、アカギが手探りで押した行き先階ボタンは『4』以外光っていない。
 インジケーターの数字はたった今『1』から『2』に切り替わったところで、カイジの心に焦りが芽生え始める。

 早く、こんなこと止めなくては。
 他の客、もしくは従業員が、エレベーターを待っていないとは限らないのだ。
 扉が開いたとき、こんな淫らなことをしている現場を、誰かに見られでもしたらーー

 考えただけで、カイジはゾッとする。
 しかしその恐怖が、なぜかダイレクトに腰に響き、心とは裏腹にカイジの体は昂った。

 泣き喚きたくなるような状況のはずなのに、確かに興奮している自分がいるーー。

 その事実を認めたくなくて、カイジは弱々しく頭を左右に振る。
 だが陥落寸前の体は持ち主の意思を無視し、自ら進んでアカギに舌を差し出そうとする。

「ん……ぁ、は……ッ」
 能動的に舌を絡めると、くちゅりと唾液の音が鳴り、それは一方的に責め苛まれていた今までの水音とは、明らかに異質な音としてカイジの鼓膜を震わせた。

 ゆるゆると股間を刺激しているアカギの膝に、カイジは硬くなった性器を押し付ける。
 息を漏らして笑うアカギの、間近にある瞳が情欲にギラついているのを見て、カイジの喉仏が上下する。
 もはや歯止めなど利かない。
 快感に脳味噌が痺れ、もうなにも考えられなくなりそうだった。

 アカギの膝に擦られ、カイジのモノはジーンズの下でぬるぬるした液体をどんどん溢れさせている。
 口づけはますます大胆さを増し、ぴちゃ……じゅる……と唾液を啜る卑猥な音は鳴り止まない。

 こんな場所で、こんなキス。
 異常だとわかっているのに、わかっているからこそ、死にそうなくらい気持ちいい。
 エレベーターの上昇とともに、カイジのボルテージもぐんぐん上がっていく。

 互いの荒い吐息が混ざり合う。カイジの蕩けた視線が鋭い雄の目に絡め取られる。
 インジケーターの表示は『3』に変わっている。あとほんの数秒で、この箱は目的地に辿り着いてしまう。

 なけなしの理性を総動員させて、カイジはふたたびアカギから逃れようとする。が、呆気なく骨抜きにされた体ではもちろんそんなことできようはずもなかった。

 このまま、アカギとキスしたまま四階に着いてしまって、開いた扉の向こう、もしも誰かが立っていたらーー

 考えただけでゾクゾクして、下半身で脈打つものが暴発してしまいそうになる。
 息継ぎのために一瞬唇が離れたとき、カイジは堪らず声を漏らした。
「ふっ、ぅん……ぁ、アカ……」
 ひどく濡れ、甘えた響きのその声をアカギが唇で堰き止めた瞬間、高いチャイムの音とともに『四階です』という声がふたりの耳に響いた。

 いつの間にかエレベーターが止まっていたことに、カイジは気づきすらしなかった。
 扉は開き始めている、今さらアカギを引き剥がそうとしたってもう遅い。

 扉の向こうを見るのが怖いはずなのに、カイジの見開いた目はゆっくりと開いていく扉に釘付けになっていた。
 ドクン、ドクンと暴れる心臓がうるさい。恐慌と羞恥と快感とがマーブル状に混ざり合って、頭がショートしそうだ。

 焦らすようにじわじわと扉が動く。ふたりは濃厚に舌を絡めあったままだ。

 そして、ついに扉が開ききる。
 その瞬間、カイジは身を縮こまらせ、ぎゅっときつく目を瞑った。
 それから、こわごわと瞼を持ち上げて、視線の先を確認する。

 果たしてそこに人影はなく、ガランとしたホールの奥に、部屋へと続く薄暗い廊下がひっそりと息を潜めているだけだった。

 安堵のあまり、カイジは全身の空気が抜けてしまうようなため息をつく。
 今になってどっと汗が噴き出してきて、それが体を冷やすのとともに、カイジも急激に冷静さを取り戻していく。

 さっきまでどっぷりと脳内を満たしていた異様な興奮が、エレベーター内の濃密な空気とともに、扉の外へと逃げていく。
 すると、残るのは羞恥と己に愕然とする思いだけで、カイジは自分の流されやすさ、呑まれやすさにひたすら打ちひしがれるのだった。

 くちゅ……と音をたて、透明な糸で舌と舌を繋ぎながら、アカギは唇を離した。
「あらら……残念。誰かいるかな、って思ったのに」
 冗談か本気かわからない口振りで言って、アカギはカイジの額に額を押し当て、クスクスと笑う。
 激しい口づけの余韻か、その声は掠れ、軽く息が弾んでいた。

 魔法が解けたみたいに我に返ったカイジは、アカギの体を力尽くでぐいと押し退ける。
「な、に……、しやがるっ……!!」
 濡れそぼった唇をがむしゃらに拭いながら、カイジはアカギに吠えつく。
 だが、その声はアカギと同じように甘く掠れていて、迫力というものが欠片もなかった。

 おとなしく押し退けられながら、アカギはカイジの姿をじっくりと眺める。
 力の抜けた足で壁に凭れかかり、涙をいっぱいに湛えたままの瞳で強くアカギを睨みつけるカイジ。
 面白いほど真っ赤に染まったその顔の、劣情を擽る表情を嗜虐的な瞳で舐めながら、アカギはカイジに問う。
「歩ける? カイジさん」
「……」
 むっつりと押し黙ったままのカイジに、くつくつと笑いながらアカギは囁いた。
「抱き上げて、部屋まで運んでやろうか」

 次の瞬間、立っていることがやっとなはずのカイジの足から、驚くほど力強い前蹴りが、アカギに向かって繰り出されたのだった。






 

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