洗濯物 ただの日常話 カイジ視点



 ペットは飼い主に似ると言うけれど、どうやら服にだって、似たようなことが言えるらしい。


 ハンガーで物干し竿に掛けた真っ青なシャツがひらりひらりと翻るのを、なんとなくぼんやり眺めていた。

 雲ひとつない今日の空を濃く煮出したような青色のシャツは、風もそう強くないのに、吊るしたそばから落ち着かなさげにはためき始めた。
 手を離すとすぐにでもひらひらとどこかへ飛んでいきそうだったので、慌てて洗濯バサミで右肩のところを止めると、ようやくすこし落ち着きを取り戻した。
 
 透き通る青空をバックにゆらゆら揺れては空を掻く、青いシャツ。
 ちいさな洗濯バサミで細い針金のハンガーなんかに止められ、自由を奪われたことが不満で、暴れているみたいに見える。
 その様子が、シャツの持ち主である男のことを彷彿させ、オレはちょっと笑ってしまった。

 もっとも、このシャツの持ち主は、洗濯バサミなんかでひとところに留めておけるほど、おとなしくもかわいらしくもないけれど。

 今回はどのくらいここにいる気なのだろう。自由奔放、風のようにどこまでも心の赴くまま生きるあいつは。
 束縛する気など毛頭ないけれど、欲を言えばやっぱり、すこしでも長くここに留まってくれると嬉しい。……と、心の中だけで思う。


 床に置いた洗濯カゴから、くたりと湿った白い靴下を取り出し、ピンチハンガーに吊るす。

 風はあたたかく、日射しが眩しい。
 南中に向けてぐんぐん高度を上げている太陽の輝きに、思わず目を眇めた。

 シャツでなくとも、こんな日はふらりとどこかへ出掛けたくてうずうずしてしまう。

 洗濯物干し終わったら、あいつとメシでも食いに行こうかな……

 そんなことを考えながら靴下を干していると、
「なに、ひとりでニヤニヤしてるの」
 後ろから声をかけられた。

 振り返ると、青いシャツの持ち主が、タバコを咥えて立っている。
 碌に着替えも持ち歩かないようなヤツなので、ほぼ一張羅であるあの青いシャツを洗濯してしまった今は、オレが貸してやったロゴ入りの黒いTシャツを身につけている。

『ひとりでニヤニヤしてる』って言い方に、そこはかとない悪意を感じてカチンときたから、洗濯物を干す手を止めて、意趣返しを試みてみる。

「いや……ペットは飼い主に似るらしいけど、服だって持ち主に似るんだな、って思うと、可笑しくて」
 わざとらしくニヤニヤしながらそう言うと、自分にとって面白くない展開になるのを敏感に察知したのか、男はちょっと眉を寄せた。
 その顔に気分を良くしながら、オレは風にそよぐ青いシャツを指さす。
「着るものにまで、放浪癖がしみついてやがる」
「……くだらねえ。人間ヒマだと碌なこと考えないって、本当なんだな」
 呆れたように言われたが、男の眉間にわずかでも皺を刻ませることができただけで、オレとしては十分痛快だった。
 気分良く、オレは洗濯カゴから緑のチェック柄のシャツを取り出す。

 パンパンと叩いて皺を伸ばし、ハンガーにかけて物干し竿に吊るす。
 すると、しっかりかけたはずなのに、どうしてか手を離した瞬間に肩の部分がずるずるとずり落ち、
「あ……!?」
 我ながら間抜けなオレの声とともに、緑色のシャツは窓の下の柵に、音もなくぺしゃりと落下してしまった。

 柵に引っかかって下まで落ちなかったことにホッと胸を撫で下ろしつつ、なにかの脱け殻みたいにくしゃっとなってるシャツをそそくさと拾い上げると、すぐ後ろからクスクスと笑い声が上がった。

「持ち主に似るって?」
 ……ヤツが今どんな顔してるか、振り返らなくてもわかる。
 だから振り返らずにいると、男は笑みを含んだ憎たらしい声で言った。
「なかなかどうして、言い得て妙かもね」
「……うるせぇよ……」
 クソっ……余計なこと言わなきゃ良かった……
 早々に墓穴ったことに顔が熱くなるのを感じながら、オレは乱暴な動作でシャツをハンガーにかけ直した。

 今度は青いシャツと同じように、右肩のところを洗濯バサミで止めて、物干し竿にかける。
 もう肩がずり落ちてこないことを確認してから、屈んで次の洗濯物を取り出していると、
「あらら……」
 後ろから、笑いを含んだ短い声が上がった。
 振り返ると、男はタバコを咥えたまま、鋭い目をちょっとだけ見開いている。
 その視線はオレを通り越して、まっすぐに物干し竿へと注がれていた。

 怪訝に思いつつ前を見て、拾い上げた洗濯物を取り落としそうになった。
 今吊るしたばかりの緑色のシャツが、気まぐれに吹いた強い風に煽られ、物干し竿の上をハンガーごと、まるで生きてるみたいに滑っていく。
 そして、風下で揺れる青いシャツにぴったりとくっつき、絡まるように重なって、仲睦まじく揺れていた。

 次に干すつもりだった自分のパンツを握ったまま、オレは硬直した。
 顔がかぁ〜っと赤くなっていくのがわかる。さっきの比じゃないくらいに。

 余計なこと、意識し過ぎだってわかってる。
 普通にしてればいいんだって、わかっちゃいるけど今さら自分に言い聞かせたところで、紅潮した頬が戻るわけでもないし、なにより聡い男はきっと、オレの動揺なんて手に取るようにわかっちまってるんだろう。

 耐え難いむず痒さに、オレはうつむいた。
 頼むからなにも言うなと念じたところで、背後の悪漢には届くはずもなく、

「持ち主に……」
「似てねぇっ……!!」

 ぽつりと男が言いかけた言葉を全力で遮り、憎らしい笑い声が響く中、オレはちょっと涙目になりながら、二枚のシャツを荒々しく引き剥がしたのだった。







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