ちょっとだけ 『ごほうび』の蛇足


「ちょっとだけ」

 絆されやすい自分がついつい口にしてしまうその言葉を、逆手に取っておねだりしてくる小賢しい年下の恋人に、カイジは近ごろ、ほとほと手を焼かされていた。






「ね、カイジさん、お願い。ちょっとだけ。ちょっとだけでいいから」
 こんなときばかり、みゃあみゃあと鳴き喚く仔猫のような饒舌さで迫ってくるしげるに、カイジは口をへの字に曲げる。
「ダメだっ……! 明日、早いっつったろうがっ……!」
「だから、ちょっとだけだって」
「嘘つけっ……! お前のそれは、あてになんねぇんだよっ……!!」
 およそこの世でいちばん信用ならぬものは、しげるの『ちょっとだけ』を措いて他にないということを、カイジは最近になって、ようやく学習したのである。

 ちょっとだけならいいか、と許してしまったが最後、カイジが流されやすくしげるに大甘なのをいいことに、中坊とは思えぬ手練手管と巧みな甘言などを弄され、あっという間に抵抗の意思を丸め込まれて、なし崩し的に最後までコトを成されてしまう。

 つまり、しげるの『ちょっとだけ』とは、『気の済むまで』と同義なのであって、この白猫はちいさくても本当に油断も隙もない肉食獣なのだということを、その身にしみて痛いほどカイジは理解したのであった。



 卓袱台を挟んだ向こう側、身構えているような視線を送ってくるカイジに、しげるは静かに瞬きし、ため息をついた。
「そんなに、固くならなくても」
 すこし悄気たようにしおらしく肩など落としてみせるけれども、その本性を知っているカイジがすこしも警戒を緩めないとわかると、さっさと化けの皮を脱ぎ捨てて、不穏な笑みに顔を歪める。
「……せっかくなら、もっとべつの場所を硬くしてくれりゃあいいのに」
「!! お、お前ッ、なんて下品なことをっ……!!」
 さっと顔を赤らめて怒るカイジに、しげるは呆れたような冷笑を以て返す。
「なにを今さら……もっと下品なこと、これから山ほど、するんだから」
「だから、オレはやんねぇつってんだろ!! ……ちょっ、こっち来んなっ……!!」
 四つん這いでじりじりとにじり寄られ、カイジはとっさに立ち上がろうとするも、頭も足もふらついてままならず、結局もとの場所にぺたんと尻餅をついてしまった。
 座ったまま後ずさりながら、しまった、こんなに呑むんじゃなかったと、後悔の念が今さらのように心を覆い尽くすが、もはやあとの祭り。

 ベッドを背に追い詰められ、思いきり首を仰け反らせて迫りくる脅威から逃れようと足掻きつつ、カイジは必死に、
「おっ……おあずけっ……!」
 と叫ぶ。

 前回、一時的にではあるが効力を発揮して、出掛けに伸びてきた魔の手からはどうにか逃れることのできた、命令の言葉。
 だが、焦りに裏返った声ではなんの抑止力もないし、だいたい、わがままで身勝手な猫相手に、同じ手が二度通用するはずもない。

 目縁の大きなつり目を瞬かせ、まるで本物の猫のような格好で這ってカイジの顔を見上げると、猫の愛らしさとは程遠い顔で、しげるはニヤリと笑う。
 そして、鼠色したカイジのスウェットの上着の裾を思いきり引っ張り、その中にちいさな頭を、やにわにズボッと突っ込んだ。
「っちょ、おまっ……! なにして……ッ」
 突然の奇行に、カイジの口から悲鳴じみた声が上がる。
 やわらかい寝間着の生地の下で、不自然なまるい膨らみがもぞもぞと動き、くぐもった声が呟いた。

「……猫は、暗くて狭い場所が好き」

「はぁっ? っざけんなてめぇっ、……ヒッ!」
 怒声は変な形で上擦り、目を剥いて怒っていたはずのカイジの形相がヒクリと引き攣ったかと思うと、眉を下げて情けない顔で笑い始めた。
「ひ、ひひっ……くっ、くすぐってぇっ、バカ、やめろ、しげる、っ……!」
 無邪気に脇腹を擽る細い髪や唇の感触に、涙目でひぃひぃ笑い転げていたカイジだったが、しばらくののち、急にビクッと体を硬直させる。
「あっ! あ、アホっ……ンなとこ、舐めんなっ……! あっ……、んっ、ぅ……!」
 いつの間にか、布地の下のちいさな頭は胸のあたりまでせり上がってきており、無邪気、と形容するには些か不埒な行為を、カイジの膚に施していた。
 さっきまでとは明らかに性質の違う声を上げながら、カイジは仔猫の悪戯を阻止しようと必死に藻掻いたが、実らず、とうとう床に押し倒されてしまった。

 スウェットの中からもぞもぞと抜け出して、左右にぷるぷると頭を振ってから、しげるはふうと息をつき、カイジを見下ろす。
 頬を染めて噛みつかんばかりに睨め上げてくる獲物と目が合うと、白い毛並みをぼさぼさに乱したまま、しげるは獰猛に目を細めて舌舐めずりした。

「あんたの体にもあるでしょ、暗くて狭いとこ。……ソコにも、潜らせてよ」
「だ、からぁっ……!! 下品すぎんだろお前っ……! つうかそれのどこが『ちょっとだけ』、な、ん、んんーーッ……!!」

 ぎゃんぎゃんとうるさい負け犬の口をさっさと塞ぎ、ちいさいけれども一人前の雄である白い獣は、ゴロゴロ喉を鳴らすようにして、笑ったのだった。





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