宅配便 ただの日常話



 コンコンと二回、軽やかなノックの音。

『こんちはー××運送でーす、荷物のお届けに参りましたー!』

 ハキハキと威勢の良い男の声に、アカギはタバコを咥えたまま、ベッドの隣を見下ろす。
 そこで眠りこけている男をゆり起こそうと、肩に手をかけたところで動きを止めた。

 よほどいい夢でも見ているのだろうか。
 乱れた黒い髪をシーツの上に散らばらせ、仰向けですやすやと寝息をたてる男の顔があまりにも幸せそうで、なんとなく起こしてしまうのが躊躇われたのである。

 そうこうしているうち、ふたたび扉が叩かれた。
『こんちはー! ××運送でーす!』
 扉の外からの声はさっきよりこころもち大きくなったものの、昏々と眠りに耽っている家主の耳には、到底届く気配もない。

 平和そのものの間抜け面を眺め、束の間思案したあと、アカギはタバコを揉み消して、そっとベッドから滑り出る。
 昨夜、床に脱ぎ捨てたシャツとジーンズを身に纏い、緩慢な足取りで玄関へと向かった。







 鍵を回し、ドアを開けると、ひとりの男が段ボール箱を抱えて立っていた。
 よく日焼けし、細く引き締まった体に青いストライプのシャツがよく映えるその青年は、アカギを見て、大きな二重の瞳を丸くした。

 いつも出てくる長髪の男ではなかったので、ちょっとだけ面喰らったようだ。

 が、すぐに爽やかな笑みを浮かべ、
「××運送です。伊藤開司さん宛に、時間指定のお荷物が届いております」
 そう、ハキハキと言った。

 まだ少年のような童顔に、キラキラと澄んだ瞳と白い歯が眩しい。
 犬のような印象の青年だった。
 もっとも、同じ犬でもこの部屋の奥でぐうすか眠っている野良犬とは、まるで違う。
 しつけの行き届いた、血統書付きの小型犬、といったところだろうか。

 アカギが三和土に下りると、青年は荷物の上の受領書を指さした。
「ここに、ハンコかサインお願いします」
 ハンコ、と胸中で呟いて、アカギは考える。

 勝手知ったる恋人の家、ハンコの在処など当然わかってはいたものの、取りに戻るのも面倒で、
「……サインで」
 横着して、そう答える。

 わかりました、と言って、青年は胸ポケットからボールペンを抜き、アカギに手渡した。

 丸い枠の中にペン先を走らせ、手癖で『赤』の土の部分まで書いてしまったところで、アカギは固まる。
 一瞬の間ののち、ぐしゃぐしゃと黒く塗り潰してから、その下に『伊藤』と書き直した。

 明らかに妙なアカギの書き損じにも、当然だが青年はいっさいツッコむことなく、受領書とペンを受け取り、代わりに荷物と納品書を渡す。
 薄っぺらな四角い箱は、とても軽かった。おそらく、中身は本か雑誌か、DVDあたりだろう。
「ありがとうございましたー!」
 ぺこりと礼をした青年は、扉の閉まる瞬間まで、爽やかな営業スマイルをアカギに向け続けていた。


 軽快に遠ざかっていく足音を聞きながら、アカギは荷物とともに居間へと引き返す。
 卓袱台の上に荷物を下ろすと、ちょうど家主が目を覚ましかけているところだったらしく、ベッドの中から呻き声が聞こえてきた。

「おはよう、カイジさん」
 上から覗き込んで挨拶すると、カイジは顔を顰めてもぞもぞと身じろいだあと、寝過ぎで腫れぼったくなった瞼をうっすらと開いた。
「……はよ……」
 掛布で口許が隠れているので、声がくぐもって聞こえる。

 カーテンを引きっぱなしの窓の方に目線を投げたあと、カイジは欠伸混じりに訊いてきた。
「……今、何時?」
「十時。荷物、届いてるよ」
 卓袱台を顎で示しながら言うと、カイジは呂律の怪しい声で「にもつ……」と呟き、眉根を寄せて段ボール箱を眺める。
「あー……そういや、今日の午前中に指定してたんだっけ……」
 ようやく思い出した、という風に眉間の皺を解いたカイジは、いまいち目覚めきらない双眸でぼんやりと箱を見つめたあと、いきなりガバリと起き上がった。

 寝癖であちこち跳ねまくった髪が揺れ、赤い痕だらけの上半身が露わになったが、そんなもの気にも留めない様子で、カイジはアカギを見上げて問う。
「えっ!? まさか、お前が受け取ったのかっ……!?」
「そうだけど」
 他に誰がいるんだよ、と言外に失笑を匂わせれば、カイジは大きな目を一瞬のうちにまん丸にして、アカギに突っかかってきた。

「かっ、勝手なことしてんじゃねえっ……!!」
 勢いよくベッドから飛び出して、胸ぐら掴まんばかりの勢いで迫ってくるカイジの剣幕に、アカギは首を傾げつつ、冷静に答えてやる。
「勝手って……あんた、爆睡してたじゃない」
「そっ……それは、そうだけどっ!!」
「心配しなくても、中身なんて見てないよ」
 諭すようなアカギの言葉に、
「……そういう問題じゃ、ねぇんだよっ……!」
 消え入りそうな声で言って、カイジはなぜかうつむき、微かに赤くなった。

 その顔を見て、アカギはピンときた。
 要するに、あの宅配業者の青年に、勘付かれてしまったのでなないかと危ぶんでいるのだ。
 アカギがーー男が、自分の恋人であること。

 馬鹿馬鹿しい、とアカギは心中で冷笑する。
 日々何百軒とこなさねばならない宅配先のうちのたった一軒で、たまたまいつもと違う男が出てきたからといって、同性愛者だとか邪推するほど、宅配業者もヒマではなかろう。

 みんながみんな、あんたみたいにヒマってわけじゃねえんだよーー

 などと一蹴してやろうとしたアカギだったが、そこでふと思い立ち、悪い笑みにニヤリと顔を歪める。

「『伊藤』って、初めてサインしたよ」
「あぁ?」

 怪訝そうに片眉を上げるカイジに笑みを深め、アカギは歌うように告げた。

「旦那だって、思われたかも」
「速やかに死ねっ……!」

 嫌そうな顔でカイジは吐き捨て、アカギは低く喉を鳴らし、愉しそうに笑った。


「で? 中身はなに?」
「あぁ? べつに……ただの雑誌だよ」
「ああ……また、エロいやつ?」
「違ぇよっ……! パチンコ雑誌のバックナンバーだよっ……! つうか『また』とか言ってんじゃねえっ、殴るぞこの野郎っ……!!」
「ククク……」





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