ゆうえんち・1 ギャグ ひどいバカップル



 向いてねぇっ……!!
 圧倒的に、向いてねぇっ……!!


「わぁー! うさちゃんだ!」
 黄色い歓声を上げて、駆け寄ってくる少女。
 見たところ、まだ小学校低学年くらいの幼い女の子が、カイジのーーもとい、ウサギの着ぐるみの足に、ひしっと抱きついてきた。
「うさちゃん、こんにちは! お名前はなんていうの?」
 二本足で立つピンク色のウサギは、体を覆う毛並みこそもふもふで愛くるしいけれども、よく見ると見開かれた大きな目は笑っておらず、張り付けたような満面の笑みには恐怖心さえ掻き立てられるほどだ。
 しかし、子供のピュアな瞳には、ちゃんとかわいらしい『うさちゃん』に映るらしく、女の子があどけない仕草で首を傾げて見上げてくる様子を、ウサギの口の部分から見下ろして、カイジは辟易していた。

 と、そこで母親らしき若い女性が、女の子の頭を撫でながら苦笑混じりに諭す。
「こらこら。そんなにしがみついたら、うさちゃん動けなくて困っちゃうでしょ?」
 女の子は大きな目をまん丸にして、「そっか! ごめんね、うさちゃん!」と元気よく言い、ウサギの足から離れた。
 カイジはホッとしつつ、手に持ったカラフルな風船の中から、ピンク色のを選んで女の子に差し出す。
「くれるの!? ありがとう!!」
 ぱあっと顔を輝かせ、女の子は渡された風船のヒモを、小さな手でしっかりと握りしめた。

 笑顔でぺこりとお辞儀をする母親に手を引かれ、ばいばーい、とカイジに向かって大きく手を振りながら、ゆらゆら揺れるピンクの風船とともに、少女はメリーゴーランドの方に向かって歩いて行った。
 小さく手を振りつつその背中を見送って、カイジはげんなりとため息をつく。

 圧倒的に、向いてねぇっ……!!
 朝から何百回と思ったことを、胸中でまた吐き捨てる。

 日曜日の遊園地は、園内に流れる陽気なBGMをかき消すほどの賑わいで、カップルや親子連れ、若い女の子の集団など、誰もがイキイキと楽しそうな笑顔で歩いている。
 そんな中、カイジは日雇いのアルバイトで、ウサギの着ぐるみに入り、子供たちに風船を配っているのだった。

 明らかに自分向きのバイトじゃないことくらい百も承知だったのに、チラシに書いてあった給料の良さと、噂に聞く休憩の多さに惹かれ、つい応募してしまったのが間違いだった。
 背中を玉のような汗が次々に流れていく感触に鳥肌をたてながら、カイジは後悔に唇を噛む。

 蓋を開けてみると、このバイトはかなりハードだった。
 暑いし蒸れるし動きづらいし、なにより、顔は見られないで済むにしても、客との心温まるふれあいが必須だということが、コミュ障のカイジにこのバイトを苦行たらしめていた。

 ……だが、そんなカイジを、さらなる苦痛が待ち受けていた。


「ウリャーッ!!」
 とつぜん、猿のような雄叫びとともに、猛烈なドロップキックがカイジの脇腹を直撃する。
「ハハッ、だっせー! なんだこのウサギ!」
 よろけて転びそうになるのをなんとか足を踏ん張って耐えたカイジの背中に、体感で40キロほどの重みが、容赦なくずしっとのしかかってきた。

 ……声から判断するに、どうやらタチの悪い小学生男児の集団に、目をつけられてしまったらしい。

「おらーウサギ! なんか喋れよォ!!」
 カイジにドロップキックを食らわせたクソガキAが、脇腹の痛みに歯をくいしばるカイジの足、それも脛を狙ってゲシゲシと蹴りつけながら高圧的に言う。
 なんとかそれを避けたいと思うものの、背中にのしかかるクソガキBが全体重をかけながらカイジの首にしがみついてくるため、地面に膝をつかないように持ちこたえるのがやっとの状態で、脛蹴りを避ける余裕など、とてもじゃないけどありはしない。
「アハハハ……! そーだ、喋れ喋れー!」
「こういうのの中身って、きったねーオッサンなんだぜ! とーちゃんがそう言ってたもん!」
 すこし離れた場所から聞こえるクソガキCの声に、ギャハハと下品な笑い声が上がる。
「きったねー!」
「くっせー!」
「なんか喋れって、オッサン!」
 下品な言葉で罵倒され、動きづらい着ぐるみの上から容赦なくボコボコにされ続けて、黙って耐え続けていたカイジの我慢もついに、限界に達した。


 まるで熊のように雄々しく背を仰け反らせてクソガキBを地面に振り落とし、脛蹴りするクソガキAに素早く足払いを喰らわせる。
 体を起こし、突如豹変したウサギの様子に怯えるクソガキCにゆらりと近づくと、ウサギの頭を取り、怒りに血走った三白眼で見下ろして、ドスのきいた声で一言。

『ぶち殺すぞ……ガキめら……!』


 ……などと、どこかで聞いたような台詞を言えようはずもなく、そもそも客に、しかも子供相手に暴力を振るうなど言語道断で、カイジはクソガキどもの猛攻を額に青筋立てながら、ただひたすら耐え抜くしかなかった。
 周りを歩く人々も、このガキどもの横暴に眉を顰めはするものの、自分たちの力ではこのタチの悪い子供たちに太刀打ちできないと思うのか、みな足早に通り過ぎていくばかりであった。

「どうしたー? 反撃してみろよ、オッサン!」
 クソガキAに蹴られ続けている脛が、割とマジで痛い。
 背中にのしかかって首に腕を回すクソガキBは、どうやらカイジを本気で締め落とそうとしているらしい。

 不快な金切り声でワーワー騒ぎ立てられているのに、すこし離れた場所で見守っているはずの社員からはなんの助け舟もなく、カイジはイラつきを必死に押さえながら忍耐に忍耐を重ねていたが、やがて、体力の方が限界に近づいてきた。

 子供は、手加減というものを知らない。
 身動きすら満足に取れぬ状態で振るわれる一方的な暴力に、脂汗が滲む。

(ちょっと……マジ洒落になんねぇって! このままじゃ……落ち……)

 首を締め上げられているせいで呼吸も満足に出来ず、危うく目の前がブラックアウトしかけた、ちょうどその時。


「げっ!」
 という声とともに、脛蹴りがピタリと止む。
 クソガキAはなぜか、ちょっとビビったような顔でカイジから離れていき、それと同時に、首の締め上げも緩んでずっしりとした背中の重みも取り払われていく。
 どうやら、何者かがカイジのそばに立っているらしく、クソガキどもはその人物に圧倒され、暴力を振るう手を止めたらしい。
「おい……行こうぜっ……!」
「そっ、そうだなっ……!」
 カイジが体を折って咳き込んでいるうちに、さっきまでの威勢はどこへやら、クソガキ三人組はコソコソと逃げるようにしてどこかへ消えていった。

 ……助かった……。
 ふらふらする体をようやっと起こしながら、カイジは傍らに立つ命の恩人の方へと向きなおる。
 都合上、言葉で礼を言うことはできないが、せめて感謝の気持ちだけでも、伝えなければと思ったのだ。


 暗くて狭い視界の中、どうにかこうにか相手の姿を目で捉えーーカイジは凍りついた。

 前開きの青いシャツに黒いインナー。履き古されたジーンズと、白のスニーカー。
 嫌というほど見覚えのあるその出で立ちと、若さにそぐわぬ特徴的な白髪、鋭い輪郭と瞳、逞しいのにしなやかな体つき。

 その人物はまごうかたなき、赤木しげるその人であった。

(なんで、コイツがこんなとこにっ……!?)

 日曜日の遊園地に、アカギがいる。
 その風景は凄まじく異様で、驚きのあまりカイジは暫し呆然としていたが、刃物のような目でじっと見つめられ、とりあえずぺこりとお辞儀してみる。
 とりあえず感謝の意を示せば離れていくだろうと思ったが、予想に反してアカギは立ち去ろうとせず、カイジの顔をじっと見つめ続ける。

 な……なんか、めちゃくちゃ見られてる……。

 カイジの額に冷たい汗が滲む。
 まさか、中の人が自分であると気づいたわけじゃないだろうと思いたいが、なにせ相手はあのアカギなのだ。可能性は、充分にありうる。

 痛いほど注がれる視線にいたたまれなくなりつつも、カイジはアカギに動揺を悟られぬよう、努めて平静を装い、なにごともなかったかのように風船配りを再開する。
 しかしタイミングの悪いことに、こういうときに限って、カイジの周りには親子連れや小さな子供などウサギに興味のありそうな客はひとりもおらず、アカギ以外、誰もカイジに寄ってこようとすらしなかった。

 それもそのはず。
 今からちょうど十五分後に、すこし離れた場所にあるステージで、ミュージカル仕立てのキャラクターショーが開催される予定なのである。
 いくら必死に下手な愛想をふりまいてみても、ショーが行われるステージへと足早に急ぐ人々には、当然見向きもされない。

 困り果てたカイジは、相変わらずひたと自分を見据えて微動だにしないアカギの視線に耐え兼ね、なぜかアカギに向かって、赤い風船をおずおずと差し出してみた。
 カイジ自身、なにやってんだオレと自分にツッコまずにはいられない意味不明な行動だったが、このままじゃとてもとても気まず過ぎて、なにかしないではいられなかったのだ。

 アカギは風船をチラリと見て、すぐにカイジに視線を戻す。
 その双眸はウサギの目ではなく、口からこっそりと覗くカイジ自身の目の方をじっと見つめていて、客の側から中の人の顔は決して見られないような構造になっているはずなのだけれども、まるで自分が見えているかのようなアカギの視線にカイジはちょっと怯んでしまう。

 そのまま数秒、カイジと見つめあったあと、アカギはゆっくりと口を開いた。

「カイジさーー」
「すみませんっ、伊藤さんっ……!!」

 アカギの言葉を遮るようにして、若い男の声がかかる。
 息せき切って駆け寄ってきたのは、今日一日カイジの仕事を見守り、休憩などを言い渡す役目を負っている男性社員だった。

「これから行われるステージの方に、ちょっとしたトラブルがあって……。そっちに駆り出されちゃってたんです」
 ボーイスカウトの正装をメルヘンチックにしたような格好のその社員は、本当にすまなそうにペコペコと頭を下げる。

 その顔は汗だくで、ノンフレームの眼鏡が少し下にズレている。
 取るものも取りあえず、本当に急いで走ってきたのだろう。

 クソガキどもの襲撃に遭ったとき、助け舟がなかったのはこのせいだったのかと、カイジは思った。
 だが、あんまり男が申し訳なさそうに謝るから、カイジは怒る気も削がれ、男に向かって『構わない』というように手を振ってみせる。

 それを見て男は心から安心したように息をつき、手首に巻いた時計に視線を落とした。
「ショーと重なる今ならちょうど、売店が空いてるでしょうから、お昼の休憩にしましょうか。本当なら一時間って決まってるんですけど……、ちょっと長めに取っても、構いませんから」
 断りもなくほったらかしにしたことへの、せめてもの詫びのつもりなのだろう。


 男がカイジの持つ風船を引き受けた瞬間、カイジはそばにいたアカギの腕をむんずと掴み、着ぐるみだとは思えないような圧倒的スピードで、ドスドスとその場から離れていく。
 残された男は、ピンク色のウサギとそれに引き摺られていく白髪の男の後ろ姿を、呆気にとられたような顔で見送っていた。



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