キスマーク 学パロ モブ女がアカギに告ってます


 目を閉じて、ゆっくりと深呼吸を三回。

 ーー好きです。
 ーー私と、つきあってくださいーー

 シンプルにわかりやすく、あっさりと。
 淡いピンクのアイシャドウがうっすら塗られた瞼の裏で、何百回と行ったイメージトレーニングを、少女はふたたび繰り返す。

 と、そこで静かに教室のドアの開く音がして、少女は細い肩をビクッと震わせた。

「あ、赤木くんーー」

 姿を見せたのは、長身に白髪の特徴的な、少女の想い人。
 途端に落ち着きをなくす心拍を宥めるように、少女は胸に手を当てる。
 その間に、想い人は足音もなく少女に近づいて、目の前に立った。

「用って、なに?」
 わざわざ手紙を使って放課後の教室に呼び出すという行為の意味を、わかっていないはずなどないだろうに、憎たらしいほど淡々とした声で、想い人は言う。
 事務的な口調に怯みそうになりつつも、初めてまともに聞く声の、意外なほどなめらかな耳触りに、少女は恋する胸が高鳴るのを感じた。

 緊張で、顔が上げられない。
 声をかけることはおろか、姿を見かけることすら稀な想い人と、夕まぐれのがらんとした教室に、たったふたりきりでいる。
 そのことだけで少女はもう、心臓が破裂しそうなくらい嬉しくてドキドキして、ずっとこのままでいたいと思うけど、でもそういうわけにもいかないから、プリーツスカートの裾をぎゅっと掴み、意を決して顔を上げた。

「あの、赤木くーー」

 そこまで言って、少女は石のように固まってしまう。
 初めて見たとき一目で心奪われてしまった、切れ長のきれいな瞳に見つめられているというのに、少女は視線を想い人と合わせようとせず、なぜか頤のちょっと下の方を、大きく見開いた目で食い入るように見つめているのだった。


 お互い沈黙のまま、数秒が過ぎる。
 部活動の開始を告げるチャイムが鳴り、その音で少女はハッと我に返った。

「……なにもないなら、もう行くけど」
 冷たさすら感じさせるほど、そっけない声。
 鋭い双眸に射られ、少女はまごつきながら答える。
「あっ……うん、ごめんね。やっぱ、また今度で」
 必死で明るさを取り繕う声は微かに震えてしまっていたが、無情な想い人はなにも言わぬまま踵を返し、部屋を出て行った。


 焦がれ続けた後ろ姿を見送り、扉の閉まる音を聞いた瞬間、少女の視界がじわりと滲む。
 足が小刻みに震えて、とっさに傍の席に座り込んでしまった。

『また今度』なんて、二度と来ない。
 上気した頬が、熱い雫で濡れてゆく。

 少女は、見てしまったのだ。

 想い人の、長く白い首筋。
 そこに鮮やかにつけられた、花びらのような赤い痕をーー









「……初めっから、こうしときゃ良かったな」

 ぼそりとそう呟いたアカギに、買ったばかりの漫画から顔を上げぬまま、カイジが問いかける。
「ん……なんの話?」
 熱心に漫画を読み耽っているその横顔を見つめ、アカギはクスリと笑って答えた。
「女避け」
 ページを繰るカイジの手が、ピタリと止まる。
 アカギを横目でチラリと見て、カイジはすぐまた漫画に視線を戻した。
「……そういう言い方、やめろって」
 不愉快そうな口調だが、本当に機嫌を損ねたわけではないということが、アカギにはわかっていた。

 証拠は、明らかに泳いでいる目と、それを隠そうとして多くなる瞬き。
 この人は本当にわかりやすいと、アカギは口許を撓める。


 断るのも面倒な煩わしい告白から逃れる画期的な方法を、つい最近、アカギは発見したのである。
『女避け』などと呼ぶと、なんてひどい言い草だとカイジは怒るけれど、そう呼ぶにふさわしい効果があるのだから、仕方ないとアカギは思っている。
 変な期待をもたせて女の子を傷つけないようにしているなどと嘯けば、お人好しのカイジはしぶしぶ、納得したのだけれど、本当はアカギにとって誰が傷つくとか傷つかないとかいうことは、結構どうでも良かったりする。
 たったひとりを除いては。


 そのたったひとりの、ぶすっとした横顔に顔を近づけ、アカギは言う。
「薄くなってきたから、つけ直してよ」
 耳許で囁く声音に目の縁を赤く染めながら、カイジは動揺を隠しきれない様子で怒鳴った。
「嘘つけっ……! ちょっと前に、つけたばっかだろうがっ……!」
「遠くからでも見えるくらい、ハッキリしてたほうがいい」
 アカギがしれっとそう言うと、むくれたようなカイジの顔が、ようやくアカギの方へと向けられる。


 恨めしそうな目と目が合うと、アカギの顔に蠱惑的な笑みが浮かべられた。

「カイジさん」

 静かに名前を呼び、第二ボタンまで外された開襟の衿元を、わざとらしいほどゆっくりと寛げる。

 露わになった、白い首筋。
 開襟の衿に隠れそうで隠れない位置に残る、じわりと滲むような鬱血痕を、見せつけるようにしてアカギは横を向いた。

「……つけて」

 流し目を送ってねだれば、わかりやすい恋人はちょっとだけ息を飲み、泣きそうな顔になる。

 それでも、素直な二本の手は、アカギに向かってこわごわと伸ばされる。
 息がかかるような至近距離で、恨めしそうにアカギを一瞥してから、カイジは乱暴な動作で、その首筋に顔を埋めた。

 つめたい髪が、首筋を擽る感触。
 薄い皮膚を吸われるチリリとした甘い痛みに、アカギは目を閉じ、声を上げずに笑った。


 ものの数秒でカイジは顔を上げ、自分の吸った箇所が一拍ののち、はっとするほどきれいな赤に色づいていくさまを、伏し目がちに見守っていた。
 それから、ふと目線を上げ、ひどく満足げに笑うアカギの顔が目に入ると、照れ隠しのようにまた怒りだす。
「なにが……そんなに愉しいんだよっ……!」
「ん? あんたも、つけられてみりゃあわかるかもよ」
「いっ……いらねえっ!!」
 慌てて自分から離れようとする恋人を易々と抱き止め、アカギはふたりきりのときにしかぜったいに見せない笑顔で、笑う。

「今日、誰も帰ってこないんでしょ? そんなことオレに教えちまって、タダで済むなんて思ってないよね?」





 難攻不落の赤木しげるに特攻する女子の数が、ここ最近激減したのだと、一部の生徒の間では、もっぱらの噂になっている。





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