「会いたかった」 痒い話


「ひさしぶり」
「……おう」
「最後に会ったの、いつだったっけ」
「どうだったかな……」
「雪、降ってたよね、確か」
「……忘れた」

 アカギはコートを脱ぐ手を止め、カイジを見た。
 あまりにも返事がそっけないから、長く訪れなかったことを怒っているのかと思ったが、所在なさげに突っ立ったままあさっての方を向いているカイジの顔を見て、そうではないことを知る。

 おそらく、照れているのだ。
 水も漏らさぬ間柄とは言え、季節が移ろうくらいの長いあいだ、互いの顔すら見ることがなかったのである。
 普通の感覚を持ち合わせていないアカギはともかくとして、カイジが戸惑いのあまり、つい他人行儀になってしまうのも道理だといえよう。
 そこには言葉で言い表しようのない面映さも多分に含まれていて、明らかにアカギの方を気にしつつも、カイジはひとりギクシャクし、目すら合わせようとしない。

 アカギは口許をわずかに撓め、コートを脱ぐのをやめてポケットからタバコを取り出す。
 一本抜いて咥えながら、カイジに促した。
「黙りこくってないでさ、なんか、喋ってよ。電話越しじゃないあんたの声、もっと聞きたい」
 こんなことを臆面もなくサラっと言えるのは、カイジの反応を見るのが愉しいからだ。
 アカギはタバコに火を点けぬまま、黙って恋人の様子を見守る。

 カイジは狼狽えたように落ち着きのない表情を見せていたが、やがて、目を閉じて顔を上げた。
 覚悟を決めるように短く息を吸ってから、スッと瞼を持ち上げて、アカギの顔をまっすぐに見る。

 水分を多く含み、常に濡れているような意志の強い瞳に射抜かれた瞬間、アカギは時が止まったように感じ、鋭い目をわずかに瞠った。

 そのまま、なにか言おうとカイジは口を開きかけたが、アカギに吐息を奪われたせいで声にならなかった。
「……っ!」
 その荒々しさに、カイジは目を見開く。

 火のついていないタバコを指に挟んだまま、アカギはカイジの頬を両手で挟んで固定し、衝動に突き動かされるまま、文字通り貪るように口付ける。
 ヒトじゃない。欲望剥き出しの、獣のようなキス。
 白く焼き切れそうになった理性の片隅で、こんなにも激しいものが己の裡に眠っていたのかと、アカギは驚きを禁じ得ない。

 しかしその何倍も驚いているのは無論カイジの方で、短い睫毛を瞬かせながら、濁流に飲み込まれまいともがくみたいな覚束なさでなんとか抗おうとするも、うまく呼吸することすら叶わず、ついに苦しくなってアカギの背を拳で幾度も叩きつけたところで、ようやく解放された。

 額の触れ合う距離で、湿って乱れた呼吸が混ざり合う。
 どちらのものともつかない唾液で濡れ光る唇を拭うのも忘れ、カイジは涙を湛えた瞳でキッとアカギを睨んだ。
「お前……喋らせる気、あんのかよ……っ」
 声を聞かせろと言っておきながら、開きかけた口を容赦なく塞ぐ。
 己のデタラメな振る舞いをカイジに責められ、アカギは吐息に乗せて囁いた。

「ごめん……でも、」
 ーー会いたかった

 それは、ぽろりと唇の隙間から零れ出た言葉で、アカギ自身、意図して言おうとしたものでは決してなかった。
 だから己の耳がその声を拾っても、それが自分自身の口から発せられた言葉なのだと俄かには信じがたく、アカギは思わず、その言葉を零れさせた自身の唇を、確かめるように指でなぞる。
 しかし目線を上げれば、信じられないものを聞いたという風にぽかんと口を開けっぱなしにした間抜け面に、嫌というほど現実を思い知らされる。

 アカギはちょっとうんざりして、ため息をついた。
 今の言葉は、カイジの反応を愉しむためとか、そういった理由で吐いたものじゃなく、本人の意思に反してただただ無防備にほどけてしまった、いわゆる掛け値無しの本音に近い言葉だった。
 目が合っただけで軽く理性を吹き飛ばされ、あまつさえこんな言葉まで己の裡から引き出されてしまうほど、自分はこの人にダメにされちまってるのかと、アカギはほとほと己に呆れ果て、それから八つ当たりみたいにして、目の前にあるカイジの鼻をぎゅっと摘んでやった。
「……ッ!」
「ふふ……柄じゃねえな。こんなこと、オレに言わせんなよ」
「は、はぁ? さっきから、お前が勝手にーー」
 理不尽な物言いに赤い眦をつり上げるカイジを見て、アカギは低く笑い、手を離す。
 キスする前の軽口と、キスした後の台詞は、アカギにとってまったく質の異なる言葉だったのだが、アカギの心の動きなど知らないカイジには、当然どちらも同じ軽口に聞こえているようだ。
 それでいい。あんたに真実を知られるのは癪だと、アカギは目を伏せ、カイジから離れる。

 いきなりキスなんてされたせいで、カイジはアカギに感じていた面映さなどすっかり吹き飛んでしまったようで、あれだけ合わなかった視線がジロジロと不躾なまでに己の顔に注がれているのに薄く笑い、アカギは指に挟んだままだったタバコを咥え直した。
「ねぇ。キスする前、なに言おうとしてたの?」
 ライターを取り出し、火を点けながら問う。
 すると、カイジは口をへの字に曲げ、果たして意図的なのかそうでないのか、タバコに火が点くよりも早く、アカギに火を点けるような言葉を放った。

「そんなもん……先に、お前に言われちまったよ」




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