太らせる



「カイジさん、太った?」

 いきなりの不躾な質問に、カイジはちょっとだけ顔をしかめ、鳥の唐揚げへと伸ばそうとしていた箸を止めた。
 対面に座るアカギのポーカーフェイスを睨むように見て、ひどく不本意そうにしつつも、頷く。

「お前が来ると、太る……」
 ぼそぼそと独りごとのように呟かれた言葉に、アカギは意外そうに眉を上げ、それからニヤリと笑った。
「幸せ太り?」
「ちっげぇよ……!」
 ……と、噛みついてはみたものの、アカギが来るとカイジは嬉しくてテンションが上がり、常にはないほど食も酒も進んでしまうからこそ太るのであって、つまりは、だいたいアカギの言った通りなのだ。
 カイジ自身それをわかってはいるものの、当然そんなこと、素直に認められるはずもない。

 アカギが訪ねてきてから、今日で一週間が経つ。今回の滞在は、そこそこ長い方だと言えた。
 だからこそ、毎晩の酒宴で日ごとにカイジが肥えていくのを、頬や胴回りの肉付きで、アカギにも見て取れるようになったわけである。

 顔が熱くなるのを仏頂面で誤魔化そうとしながら、カイジは箸を置いた。
 女性ほど気にはしないにしても、面と向かって『太った』などと言われれば、なんとなくつまみを食う気も削がれるというものだ。

 てんこ盛りの唐揚げと自分の顔とを、恨めしそうに見比べるカイジの視線に気づいたアカギは、ちらりと笑い、缶ビールをひとくち啜った。

「そう。カイジさん、オレがいると太っちまうんだ?」
「っ、そう言ってるだろっ……!」
 目を三角につり上げるカイジに、アカギは卓袱台に頬杖をつきながら、悪戯っぽく言った。

「じゃあ……もっともっと長居して、太らせたあんたをオレが食っちまおうかな」

 カイジは大きな目を丸く見開き、ぽかんとした顔で瞬きを繰り返す。
 が、すぐにいじけたような表情になり、視線を斜め下へと逸らした。
「そういう気休め、やめろよ……」
 ため息まじりにそうぼやくカイジは、アカギがすぐにいなくなってしまうことに、もはや慣れ過ぎているのだった。

 拗ねたような表情に、アカギは声をたてずに笑う。
 本人に自覚はないのだろうが、アルコールが入ると、カイジはずいぶん、素直になる。
 まるで子供のように唇を尖らせる年上の男を、愉しそうな目で愛でてから、アカギはぼそりと呟いた。

「気休めじゃねえよ……ああでも、一ヶ月じゃ、あんた太らせるには短すぎるかな……」
「いっ……!?」

 弾かれたように、カイジの顔が上がる。
 一ヶ月……? なにかの聞き間違いか……!?
 我が耳を疑うカイジだったが、含み笑いしながら自分のリアクションを窺うアカギの顔を見て、空耳ではないと確信した。

 一瞬、夢でも見ているかのようにぼんやりと呆けたあと、はたと我に返ったカイジは、アカギの方へ大きく身を乗り出す。
「おま、どうしてそれを早く言わねぇんだよっ……!!」
 まるで怒っているみたいに、勢い込んで迫ってくるカイジに、
「聞かれなかったから」
 アカギはしれっとそう答える。

「きっ、聞かれなかったから、ってなあ……」
 半ば怒り、半ば呆れたような口調で、カイジは呟く。

 確かに、『どうせすぐいなくなるのだろう』と勝手に決め込んで、アカギにどのくらいの期間滞在するのかなど、聞かなくなって久しい、けれども。

「それでもそういう大事なことは……」だの「心の準備が……」だのと、もごもご言っているカイジに喉を鳴らし、アカギもカイジの方へ身を乗り出す。

「あと三週間。世話になっても構わないかい?」
 アカギが問うと、カイジは元どおり座り直しながら、ぶっきらぼうに答える。
「……べ、つに……」
 三週間。あと三週間も、アカギがここにいる。
 そっけない素振りを装いながらも、カイジの頭の中はもはや『三週間』というワードでいっぱいで、気を抜くと口角が上がってしまいそうになるのを、頬の内側を噛んでどうにか耐えていた。

 当然、そんなわかりやすいカイジの心情などアカギには筒抜けで、意地悪く口端をつり上げながら、ぎこちなく逃げていくカイジの視線の先に回り込もうとする。

「……『べつに』?」
 それ以上顔を背けられなくなったカイジと目を合わせ、アカギが緩く首を傾げて問うと、カイジはちょっと唸ったあと、
「……いてくれ」
 項垂れて、観念したようにそう呟いた。

 耳まで真っ赤に染め上げて、ちょっと泣きそうになっているその顔を見て、アカギは苦笑し頬を掻く。

「参ったな……太らせるまで、待てなくなっちまった」
 卓袱台を回り込み、ほんのわずか厚みを増した腰を抱き寄せると、カイジは縮こまるように身を竦めた。
「今すぐ、食っちまってもいい?」
「……っ、アホっ……」
 消え入りそうな声。抵抗は、あってないような、かわいらしいものだ。
 低く笑いに肩を揺らしながら、アカギはまず手始めに、鮮やかに色づいたやわらかそうな耳たぶから、味見を始めるのだった。





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