merry Christmas




 聞き慣れた声が、自分の名を連呼している。
 その騒がしさに、闇に沈んでいたアカギの意識が、ゆっくりと浮かび上がった。

 鉛のように重い瞼を上げると、まず襲ってきたのは、普通の人間なら『目覚めない方がマシだった』などと思ってしまうであろう激痛。
 うめき声を上げることすら叶わず、指一本動かせない状況の中、紗のかかった視界が捉えたのは、大きな目を限界まで見開いて自分を見つめる男の顔だった。

「いっ……、生きてたっ……!!」

 開口一番そう叫んで、男は心底ホッとしたような笑みを浮かべる。
 その一言で、アカギの中に自分と男を取り巻く状況が、息苦しいほどの鮮やかさをもって蘇ってきた。



 いつ、どこで恨みを買ったのか定かではないが、とにかくふたりを憎んでいるらしい連中に追われ、逃げた果ての断崖からふたりで飛び降りたのだ。
 必ず助かるという見込みがあったわけではない。ただ、あの場ではそうするより他なかった。相手は三十人程度、銃を持つ者もいたのだ。

 そしてどうやら、ふたりは賭けに勝ったようだ。
 しかもこうして、はぐれずに陸へ上がることができている。
 無論、お互い傷だらけではあるが、十二月の冷たい海に断崖から飛び込むということの無謀さを考えると、これは奇跡的な結末だといえた。




 状況を把握すると、塩水でずぶ濡れの体が、体温調節のため小刻みに震えていることにアカギは気づく。
 寒いという感覚はなかった。もはや限界点を通り越し、麻痺しているのかもしれない。
 よく見ると男の長い髪も雫が垂れるほど濡れそぼっていて、傷のある頬は血の気が失せて青白かった。


 アカギはゆっくりと息を吐き、唯一痛まない眼球だけを動かせるだけ動かして、周りを見渡す。
 どうやら、ここは海のそばであるようだ。
 さっきからひどい耳鳴りがすると思っていたが、どうやらそれは潮騒だったらしい。
 
 
 
 顔を覗き込んでくる男に目線を移す。
 アカギと目が合うと、男はふわりと白い息を吐き出し、笑った。

「オレの人生でこんな、クリスマスツリーの下でキスなんてベタなこと、する日が来るなんて思わなかったぜ」

 そう言われて初めて、自分たちが大きなモミの木の前にいることに、アカギは気がついた。
 その樹はたくさんの電飾で飾られていたが、時間が遅いため明かりを灯しておらず、巨大な黒い影となって闇に溶け込んでいた。
 だから、圧倒的存在感を放つはずのその姿が、アカギの目に入らなかったのだ。

 
 ーー人工呼吸なんざ、キスのうちに入らねえ。
 きれぎれにアカギが軽口を叩くと、ひどく掠れて聞き取りにくいその声にじっと耳を傾けていたカイジが、ふはっと噴き出した。
 
「お前といると、ほんっと、飽きねぇ」

 くっくっと肩を揺らしながら、男は目端を濡らす涙を拭う。
 すると、それが呼び水となったかのように、透明な雫が男の両目からぼろぼろと溢れ始めた。
 驚いたように自分の頬を触っていた男の顔が、ややあって、くしゃりと歪む。

 そのまま、男は咽ぶように泣き始めた。
 泣き声が掠れているのは、きっと、ずっと自分の名を呼んでいたせいなのだろう。
 そんなことをぼんやりと考えながら、アカギは男の肩越しに見えるクリスマスツリーを見上げる。
 
 イルミネーションなど灯っていない、ただの巨大な影のような樹の下。
 おまけに、お互い生死の境を彷徨ってきたばかりの、傷だらけの濡れ鼠だ。

 ロマンティックな雰囲気のかけらもないけれど、なんだかとても自分と男に似つかわしい気がして、アカギはすこし笑う。
 痛みを耐えて手を伸ばし、アカギが男の頬に触れると、今度は人工呼吸ではなく、男はアカギに口づけたのだった。





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