大晦日 ケモ耳しっぽ注意



 コンビニのバイト上がり、カイジは店から出ず、まっすぐ売り場へと向かった。
 カップ麺が並んでいる棚の前で、すぐ目についた緑色の容器のカップ麺を、ふたつ手に取る。
 それからちょっと考えて、ひとつを棚に戻し、代わりにその隣の赤い容器を取ると、レジへと向かった。


 会計を済ませて店の外に出ると、学生服姿の少年がカイジに気づき、ゆっくり近づいてきた。
「待たせたな」
 そう声をかけると、少年は静かに首を横に振る。
 その鋭い視線はカイジの手に提げたビニール袋にひたと注がれており、それに気づいたカイジはちょっと笑った。
「年越し蕎麦、買ってきた。帰ったら、一緒に食おうぜ」
 インスタントで悪ぃけど、と言いながら、ビニール袋の口を開いて中身を少年に見せてやる。
「ほら。お前好きだろ、『赤いの』」
 少年の切れ長の瞳が、わずかに丸くなる。
 もし狐耳を隠していなかったら、白くて大きなそれはきっとぴんと立っていただろうなと想像しながら、カイジは自分の選択が間違っていなかったことに、ホッと胸を撫で下ろしていた。


 去年、少年と年越しした時は、蕎麦をふたつ買って帰った。
 深い考えもなく『年越しといえば蕎麦だろう』ぐらいの気持ちで、インスタント蕎麦としては最もポピュラーであろう『緑のたぬき』をふたつ買ったのだが、帰ってみると少年は『赤いのがよかった』と、不満げに細い眉を寄せたのだ。

 少年に『赤いの』を食べさせたことはあったけれど、その時はいつものポーカーフェイスで、ただ黙々と麺を口に運んでいた。
 だから、少年がこのなんの変哲も無いインスタントうどんを、こんなにも気に入っていただなんて思いも寄らなくて、カイジはとても驚いたものだ。

 そのことを、ついさっきカップ麺売り場で思い出して、カイジは少年の分の蕎麦を『赤いの』に交換したのだった。


 この白狐の神さまは、意外に食い意地が張っている。
 今だって、きっと腹ペコなのだろう。宝石のような瞳が『赤いの』に釘付けになっているのを見て、カイジはクスリと笑う。
「早く帰ろうぜ」とカイジが促すと、少年は素直な子供のように、こくりと頷いた。
 真っ黒な夜空に冴え冴えと星が光り、寒さが沁み入るような帰路を、ふたりは並んで歩き出したのだった。






 年明けから三が日が過ぎるまでは、神さまの仕事が忙しく、少年はしばらくカイジの家に戻ってこられなくなる。
 だから、ふたりでゆったりと過ごせる大晦日のこの時間を、カイジは密かに、とても大切にしていた。
 ……目の前の小生意気な神さまが、実は自分と同じ気持ちでいるということには、すこしも気づいてはいなかったけれども。



 お湯を注いで三分で出来上がった蕎麦とうどんを、テレビを観ながらふたりで啜る。
「お前、本当にそれが好きだよな」
 蓋を剥がしてすぐ、ふっくらとしたキツネ色の油揚げに齧り付く少年に、カイジは呆れたような、感心したような口振りで言った。

 熱々の出汁をたっぷり含んだ油揚げを、冷ましもせずに口いっぱい頬張った少年は、細い麺を箸で持ち上げるカイジをチラリと見て、頭の上の白い耳をぴくりと動かす。

「……油揚げよりもっと好きなものも、あるけどね」
「……ん?」

 油揚げを咀嚼しながら呟かれた言葉を聞き取れず、カイジは首を傾げる。
 が、少年はもぐもぐと口を動かしながら、何事もなかったかのようにテレビへと視線を移した。

「……この人間たちは、いったいなにを賭けて勝負してるんだ?」
 紅組と白組に分かれての歌合戦を眺めながらそんなことを問うてくる少年に、カイジは箸を動かすのを止め、眉を顰める。
「べつに、なんにも賭けちゃいねぇよ………ギャンブルじゃねえんだから」
 そう言うと、少年はやや耳を下げ、
「なんだ、つまんねぇ」
 と白けた顔で呟く。

 カイジは呆れてため息をついた。
「『つまんねぇ』って、お前なぁ……人間はみんながみんな、お前みたいな博奕狂いってわけじゃねえんだよ」
「博奕狂いの人間に言われても、説得力がまるでねぇな」
 諭したつもりが少年にバッサリと切り捨てられ、カイジは口をへの字に曲げて閉口する。

 しんとしてしまったカイジを余所に、少年は行儀悪くテレビの画面を箸で指しながら、重ねて問いかけた。
「ギャンブルじゃねぇなら、こいつら、なにが楽しくてこんなことやってるんだ」
「それは……、」
 答えてやろうと口を開いたカイジだったが、咄嗟にうまい返しも考えつかず、ぽっかり口を開けたまま、固まってしまった。

 沈黙の中、コブシのきいた女性演歌歌手の歌声だけが、狭い部屋に朗々と響き渡る。

 やがて曲が終わり、拍手の音で俄かにテレビの中が騒がしくなった頃、窓の外、遠くの方から、微かに除夜の鐘の音が聞こえてきた。

「こっ……、今年ももう終わりだなっ……!」
 これ幸いと話題をすげ替え、カイジは少年に向かってわざとらしくヘラヘラした笑みを向ける。
「来年も、よろしくな」
 汗をかきつつ取り繕うように言うと、少年はジト目でカイジを見て、
「……誤魔化すの、下手過ぎでしょ」
 と、悪たれ口をきいたけれども、言葉や表情とは裏腹に、白い耳はぴんと立ち、ふさふさのしっぽも嬉しそうに大きく揺れていたのだった。






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