『いい子』の条件 甘々 アカギさんが酔っ払っている話 カイジさん視点




 聖夜だというのに、悪魔がやって来た。

 扉を開けると玄関の前に立っていた、白い悪魔……のような男は、ニコリともせず「寒いね」とだけ呟いて、挨拶は済んだと言わんばかりに、ずかずかと人の家に上がり込もうとした。
 実に悪魔らしい傍若無人な振る舞いに、盛大に顔を顰める。
「『寒いね』ってお前、他に言うことあんだろ……」
「言うこと?」
 そんなやりとりをしている間にも、そいつはさっさと靴を脱いで部屋に上がってしまう。
 苦い気分でその姿を睨んでいると、男は「ああ、」と声を上げ、オレの顔を見た。
「……『メリークリスマス』?」
 抑揚のない声が、あまりにも似つかわしくない台詞を淡々と紡いだので、オレは顰め面を作ることも忘れ、固まってしまった。
 今日がその日だってことを、男が知っていたという事実だけでも驚きなのに、まさかそんな能天気な言葉が、男の口から出てくるとは。

 しばらくの間ポカンとしていたが、そのときふと鼻先を掠めた匂いにハッとする。
 噎せ返るほどのアルコールの匂い。こいつ、まさか酔っ払ってんのか……?
 素面ではないのだとしたら、『メリークリスマス』なんて似合わない台詞を吐くのも、まぁ、納得できなくもない。
 できなくもない……けれども。

「ちげぇよっ。オレが言いたいのはっ……、」
『久しぶり』だとか『世話になる』だとか。そういうことを、どうしてこの男はいつも言わないのか。
 喉許まで出かかった文句を、ため息に変えて吐き出す。
 なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。こいつ相手に、普通のことを要求するだけ無駄なのかもしれない。
 無理やりそう自分を納得させて、オレは男のあとに続いて部屋に入った。


 世間は煌びやかなクリスマスムード一色だが、オレの寂しい懐事情にはなんら影響がない。
「晩飯、これしかねぇぞ」
 卓袱台の上にカップ麺をドンと置いて告げると、男はあからさまに不満げな顔になった。
「あんたの作ったもんが食いたい」
「人に晩飯たかっておいて、ワガママ言うな」
 ぴしゃりと撥ねつけると、男の眉間に深い皺が刻まれる。
「……クリスマスなのに」
 ボソリとそんなことをぼやく男は、やはりものすごく酔っ払っているようだ。普段は血の気の薄い頬が、よく見るとうっすら桜色に上気している。
 何度か一緒に呑んだことはあるけれど、ここまでハッキリと男が酔っ払っているのを見るのは初めてだった。
 いったい、どこでどれだけ呑んできたのやら。きっと腹だってそんなに減っていないだろうに、この男はいついかなる時にこの部屋を訪れようとも、必ずオレの手料理を喰いたがる。
 さして旨くもないはずなのに。面倒な奴だ。
 もっとも、男の関心は出来上がったものの味よりも、男のために得意でもない料理をするオレの方にあるらしい。
 ますますもって、面倒くさいことこの上ない。



 卓袱台の上のカップ麺を、男はじっとり睨むように見たあと、
「じゃあ、代わりにあんたを喰うことにする」
 そんな、ふざけた宣言をした。

 不意打ちでそんなことを言われ、一瞬、言葉に詰まる。
「喰う、って……オレ、食いもんじゃねえんだけど」
 咄嗟にうまく言い返す言葉が見つからず、そんな間の抜けた返事をしてしまい、「知ってるよ」と可笑しそうに笑われた。
 カッと頬が熱くなる。

「そっちに行ってもいい?」
 卓袱台の向こうからかけられる、静かな声。
 いつもはオレの許可なんて取らずに勝手に側に来るくせに。いきなりそんなこと訊かれると、調子が狂う。
 あるいは返事など待たず、強引に動き出すのではと身構えたが、相手は胡座をかいて座ったまま、オレの顔をじっと見つめるだけだ。

 厄介な酔っ払いめ。いつもみたいにこちらの都合を無視して身勝手に振舞われるより、こっちのがよっぽどやり難い。
 目を細めてこちらを窺い見る男の、いやに素直そうな表情に舌打ちし、オレは渋々、こくりと頷いた。

 男はゆっくりと立ち上がり、卓袱台を回り込んでオレの傍に座る。
 酒の匂いと男の気配が近くなって、無意識に体を硬くしてしまう。
 緊張が伝わってしまっただろうか? 男は低く笑い、オレの腰を抱き寄せた。
「……こんなことしたら、余計に腹減るぞ」
「まぁ、そうだろうね」
 棘のある口振りに男はすこしも動じることなく、素直に認める。
「でも、腹を満たすために、するわけじゃねえから」
 淡々と。
 そんなことを言いざま、首筋に顔を伏せられ、思わず身を捩った。
 部屋が寒いせいか、それとも男が酔っているせいか、いつもより男の体温を高く感じる。

「っ……待てっ……、」
 熱い体に包み込まれて反射的に制止の声を上げると、男はピタリと動きを止め、オレの顔を見つめてきた。
 オレはものすごくびっくりして、思わず、男の顔を食い入るように見返してしまう。
 こんな場面で、素直に待つなんて。ますますもって、らしくもない。

 鋭い双眸から、こちらがたじろぎそうになるほど、真っ直ぐな視線が注がれている。
 間近で上目遣いになったその表情が、なに、と問いかけているように見えて、悪魔みたいな男が垣間見せたあどけなさに、不覚にも胸がキュッと引き絞られるような気持ちになる。

 そうせずにはいられないような、抗いがたい不思議な衝動が湧いてきて、オレは男の頬を両手でそっと包み込むと、自分からは滅多にしたことのないキスをした。

 しんとした部屋。つめたい空気。乾いた唇の感触。
 ちょっとだけ重ねて、すぐに離れる。

 ごく短いキスだったのに、男はちゃんと目を閉じていたらしい。
 雪白の瞼をゆるゆると持ち上げ、明るく透ける瞳でオレを捉えると、男はクスリと笑った。

「これって……、クリスマスプレゼント?」

 ……この、酔っ払いめ。
 お前、なんでそんなに嬉しそうにしてんだよ?

 どうにも調子を狂わされっぱなしだと苦々しく思いながら、半ば開き直って「そうだよ」と答える。
 開き直りついでに、白い頭をくしゃりと撫でてやると、男は低く喉を鳴らしながら抱きついてきた。

 まるで、大きな子供みたいだ。こいつ、酔うとこんな風になるんだな。
 なんだか可笑しくて、ふっと体の力が抜けていく。

 まぁ、年に一度なら。
 傍若無人な子供みたいなこの悪魔にも、クリスマスプレゼントというものがあっても、いいのかもしれない。

 細くやわらかい髪を指に絡めながら、
「来年も、いい子にしてろよ」
 と言うと、すこしの沈黙のあと、
「……『いい子』って?」
 子供のように素直な声が尋ねてくる。

 オレはちょっと考えたあと、口を開いた。
「……とりあえず、死なねえこと。あと、ときどき顔見せに来ること」
 我ながら、なんてゆるい条件だ、と思う。
 でも、それだけで十分だ、とも思う。
 目の前の男にとっては、これでもかなり厳しい要求なのだろう、と、わかってもいる。

 わかっているからこそ、来年もこの悪魔が『いい子』でいられたら、オレからは滅多にしないキスのひとつでも、してやろうなんて思ったのだ。

『いい子』の条件を黙って聞いていた男は、ただ緩く首を傾げるようにして、浅く笑った。
 その曖昧な笑みは、オレを茶化しているようにも、ちょっとだけ困っているようにも見えたけれど、頭を撫でている手を引き寄せられてキスされたので、オレはそれをじっくり見ることができなかった。





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