普通 まだ日の浅いふたり ギャグ


 スーパーマーケットを出たとたん、唐突にスッと差し出された白い手に、カイジは大きな目を数度瞬かせたのち、隣を歩く男を見遣った。

「……なんだよ、その手は」

 無言のままじっと見つめてくる鋭い視線に首を傾げつつ問うと、アカギはわずかに眉を寄せる。

「なにって……、荷物」
「は?」
「半分」

 ほぼ単語のみの短い返事にカイジは一瞬考え込んだが、すぐにアカギの行動の意味に気がつくと、あっと声を上げた。

「ひょっとして、持ってくれんのかっ……!?」

 仰天したように目を見開いて、カイジはアカギの方へと大きく身を乗り出す。
 それはカイジの両手に提げられたスーパー袋がガサリと音をたてるほどの驚きようで、アカギの眉間の皺が煩そうに深められた。

「この流れで、他になにがあるってんだ」
「…………」

 平らな声の無愛想な呟きに、カイジは目と口を大きく開いたまま、固まってしまった。

「なに、その馬鹿みたいな顔」
「いや……」

 普段なら怯んでしまうくらいの冷ややかな視線を送ってくるアカギの顔を、カイジは食い入るようにまじまじと見つめ返す。

「なんつーか……お前そういう気ぃ使えんだなって、ちょっと、びっくりした」

 高揚した口調。
 新たな発見に目をきらきらさせ、なんならうっすらと感動すら滲ませているカイジの表情に、アカギの顔が険しさを増す。
 軽い興奮状態にあるカイジはそれに気がつかない様子で、捲したてるように喋り始めた。

「お前って普通のやつじゃねえからさ。普通のことしてるのを見るとなんか、感動するっていうか」
「……」
「あ、こいつ切符買えんだ、とか。電話のかけ方知ってんだ、とか。敬語話せんだ、とかさ。そういう小さいことに、いちいち驚いちまうんだよな」
「……」

 付き合いはじめて、まだ数ヶ月。
 それもアカギの性質上、ふたりは頻繁に会えるというわけではない。
 だからカイジはまだまだアカギについて知らないことだらけなわけで、賭場での化け物じみたイメージしかないこの悪漢が普通のことをする姿が、珍しくて仕方がないのだ。

 それはまるで、幼い我が子がはじめて立ったとか歩いたとか喋ったとか、そういうことでいちいち驚いて喜ぶ親の気持ちさながらで、なんだか可笑しくなってきたカイジは、喋りながら息を漏らすようにして笑ってしまった。

「なに、笑ってるの」

 気の抜けたような笑いを聞き咎め、相変わらず不機嫌そうなアカギが問いかけてくる。
 くっくっと肩を震わせながら、カイジはアカギの顔を見て、答えた。

「もしかして、おふくろってこんな気持ちなのかもしれねぇ、とか、思ってさ」
「…………」

 そんなことを言うカイジの大きな瞳は、珍しいことに、笑いによる涙で潤んでさえいる。

 先ほどから微妙にアカギに対して失礼なことを言っては、ツボにハマったのか、ひとりで笑い続けているカイジ。
 だがその口調には、普通じゃない恋人の『普通』を、大切に愛おしむような響きも確かに含まれていて、それはとりもなおさず、始まったばかりの恋にカイジが柄にもなく浮かれている証拠でもあった。

 それに気がつかないアカギではなかろうが、いや、気がついているからこそ、これ以上ないほど機嫌を損ねたように鋭い目を半眼にして、カイジを睨みつけていた。



 ひとしきり笑い終えると、カイジは大きく息をついてから、口を開く。

「悪ぃな。それじゃ、お言葉に甘えて……」

 言いながら、荷物を提げた左手をアカギの方へ突き出すと、アカギはその手をちょっと眺めてから、黙って自らも手を差し伸べた。
 そのまま、荷物を受け取ってくれるものだとカイジは思い込んでいたのだが、その白い手は荷物を無視して通り過ぎ、ヌッと伸びてカイジの腰に回される。

 次の瞬間、ぐっと力強く抱き寄せられ、驚く暇もなくカイジはアカギの腕の中へと凭れ込んでいた。
 次いで、開きっぱなしの間抜けな口に押し当てられる、やわらかく乾いた感触。

「!!!!」

 ふたりの吐息の交わる距離に、瞬きもできずカイジが目を見開いていると、

 ぬるり。

 あたたかく濡れた生きもののような感触が唇を這い、カイジは泡を食って飛び上がった。

「…………ッ、」

 ものすごい勢いでアカギから体を離し、声も出せずに肩で息をする。
 真っ赤に燃える顔で、素早く辺りを窺った。
 幸い、周りに人はそう多くなく、ほんの一瞬のキスなど誰にも目撃されていないようだ。……おそらく。

 ホッと胸を撫で下ろしかけ、いやいやそうじゃねえだろっ……! とカイジは大きくかぶりを振る。

 キスなんて、まだ、片手で足りるほどしかしていないのだ。
 それなのに……、いきなり、こんな人目のある場所で。

「なっ……に、すんだテメェっ……!!」
「なにって」

 笑いとはべつの涙の滲んだ三白眼をキリキリとつり上げてカイジが責めると、アカギは悪魔のような顔でくつくつと喉を鳴らした。

「『普通』のことしただけでしょ。恋人同士なら」
「……!!」
 
 馬鹿にしたような言い方にカイジはカッと顔を赤くしたが、口を開く前に左手の荷物をサッと奪われ、さらに空いた手をアカギがぎゅっと握り込んで歩き始めたので、ひどく面喰らい、慌てた。

「馬鹿やろうっ……! てっ、手ェ離せっ……!!」
「なに言ってるの。これも、オレたちみたいな間柄なら『普通』のことでしょ」

 淡々と歩きながらそう言い放ち、アカギはカイジを振り返ってニヤリと笑う。

「あんた、オレが『普通』のことすると、感動するんだろ」
「〜〜〜〜ッ!!」

 怒りやら羞恥やらで顔をさらに鮮やかに染め上げ、カイジはアカギの手をぶんぶん振ってどうにか振り解こうとするが、出来ないどころかさらに強く握り込まれてしまった。
 アカギは前を向いたまま、歌うような口調でカイジに言う。

「帰ったら、恋人同士なら『普通』のこと、たくさんヤってやるよ。カイジさん」
「なっ……! なななんてことを大声で、お前はっ……!」
「なに? ……ソッチは、『普通』じゃ満足できないって?」
「ちげぇよっこのアホっ……!!」

 歩調の速いアカギに引き摺られるようにして、カイジは涙目で周りを気にしつつ、よたよたと歩く。
 恋人同士であるふたりの手は、結局アパートに着くまでずっと、きつく繋がれたままだった。







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