お人好しと猫

 うららかな早春のある日。

 赤木は珍しく、太陽の高いうちからカイジの部屋を訪ねた。
 が、この時間帯ならいつも家でゴロゴロしているはずの家主は、いくらノックをしても顔を出さない。
 タイミングが悪かったかと諦めて階段を下りたところで、か細い鳴き声を赤木の耳が拾った。

 耳を澄ますと、その声はたった今下りた階段の裏から聞こえてくる。
 赤木がひょいとそこを覗くと、そこには長い黒髪の男が、背中を丸めてしゃがみ込んでいた。

「……カイジ?」
 赤木が声をかけると、ビクッと肩を揺らしたあと、
「あ痛ッ……!!」
 と叫ぶ。

 その拍子に、男の腕の中から真っ黒な毛玉がぴょんと飛び出して、軽やかに地面に着地した。
「あ、赤木さん……?」
 まん丸な目で自分を見上げてくるカイジに、赤木は右手を軽く挙げる。
「よぉ。驚かせちまって悪かったな」
 言いながら、すこし離れた場所で自分たちの方をじっと見つめている黒い生き物の方に目を遣った。

 ほっそりとした、上品な黒猫だ。長いしっぽの先だけが、雪に覆われているみたいに白い。
 逆三角形のシャープな顔の中で、澄んだグリーンの双眸が賢そうに光り、赤木とカイジの様子を窺っている。

「怪我、してるみたいだったから……気になって……」
 捨て猫を拾ってきたのが親にバレた子供みたいに、バツの悪そうな様子でカイジはボソボソと呟く。
「それで、お前さんの方が怪我させられちまった訳か」
 赤木が言うと、カイジは黙って頷いた。
 右手の甲に走る何本もの赤い線が、黒猫の爪の鋭さを痛々しげに物語っている。それを左手で庇うようにしながら、カイジは恨めしそうに黒猫を睨みつけていた。

 カイジはどうやら、この跳ねっ返りの黒猫にお節介を焼こうとして、こっ酷くやられてしまったらしい。
 相変わらず甘いこったと、赤木は苦笑する。

「その猫、どっかで飼われてるんじゃねえか?」
「えっ……?」
 弾かれたように見上げてくるカイジの視線を受け止め、赤木は話を続ける。
「野良にしちゃあ毛並みも荒れてねえし、顔も綺麗だ。体つきも、良いもん食ってそうだしな」
 カイジはハッとしたような表情になる。

 赤木の言うとおり、黒猫は首輪こそつけていないものの、黒い毛並みは艶々としていて、全体的に汚れていない。
 ガリガリに痩せているわけでも、ブクブクに肥えているわけでもなく、すらりとしなやかで均整の取れた体型をしている。

「でも、こんなに警戒心が強いのに……?」
 半信半疑といった様子のカイジに、
「飼い主にしか懐かねえヤツも、いるだろうさ」
 赤木がそう答えると、カイジは仏頂面で項垂れてしまった。

 要らぬ世話を焼こうとして、損をしたとでも思っているのだろう。
 手に取るようにわかりやすいその姿に笑い、赤木は狭い階段下のスペースで、カイジと肩を並べるようにしてしゃがみ込んだ。

 やさぐれたような目つきで黒猫を眺めるカイジの顔を、赤木はすぐ傍から覗き込んで、目を細める。
「かわいいな」
「……どこがですか。憎たらしいだけだろ、あんな愛想なし」
 どうやら、赤木が猫のことを言っていると勘違いしているらしい。

 苦虫を噛み潰したような顔で、つんと取り澄ました様子の黒猫を睨んでいるカイジに、赤木はクスリと笑う。
「ここにも、お前さんに構われたい猫が一匹、いるんだがな」
「……は?」
 大きな目が怪訝そうに瞬いて、ようやく自分の方を見たので、大きなトラ猫は悪戯っぽく、
「にゃあ」
 と鳴いた。





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