cherry ゲロ甘 バカップル


 なんでも好きなものを頼め、と赤木が言うと、「言われなくても、そうします」なんて険しい表情で答えたくせに、いざメニューに目を通し始めると、カイジは急に、モジモジし始めた。

「決まったか?」
 赤木が手許を覗き込もうとすると、慌てて隠すようにメニューを閉じてしまう。
 しかし、どうやら一歩遅かったようで、赤木の目には、バッチリ映ってしまっていた。
 直前までカイジがじっと見つめていた、ひときわ目立つデザートの写真。
「遠慮なんてすんなって言ったろ。食いたいもん、頼めばいいじゃねえか」
 苦笑して言いながらも、カイジが自分に遠慮してその煌びやかなデザートを頼むのを躊躇しているわけではないということが、赤木にはわかりきっていた。

 ここ最近ワガママを言いすぎたせいで、すっかり臍を曲げてしまった恋人への、ご機嫌取りのためにここへ来ているのだ。
 臍を曲げている当の本人が、赤木に遠慮などするわけがない。

 案の定、カイジはムッとした顔で唇を尖らせ、
「わかって、るよ……べつに、あんたに気ィ遣ってるわけじゃねえし……」
 ボソボソとそう言って背中を丸め、周りをチラチラ窺い始める。

 この青年が気にしているのは、赤木の懐事情ではなく、周囲からの眼差しなのだ。
 ……と言っても、平日の夜、ラストオーダー間際という時間帯に、このちいさな喫茶店にいる客など、数える程度しかいないのだが。

「誰もお前のことなんて、見ちゃいねえよ」
 最早こういうことには慣れっこになってしまった赤木がのんびりそう言ってやると、カイジはちょっと赤くなって、それを誤魔化すかのように呼び出しベルのボタンを強く押下した。




「ホットコーヒー。それから……」
「……オレも、同じもの……」
 やって来た若い女性の店員に、赤木が手短に自分の注文を伝えると、それに被せるように、カイジがおずおずと呟いた。
 赤木が眉を上げ、意外そうにその顔に見入っていると、カイジは赤木の視線から逃れるようにうつむきながら、
「……と、コレ……ひとつ……」
 手許に広げたメニューの中の、目的のものの写真を指さした。

 デラックスキャラメルフルーツパフェをおひとつですね、と、敢えて商品名を口に出さなかったカイジの意図など察した風もなく、静かな店内に響き渡るような可愛らしい声で注文の確認をする店員に、カイジはビクリとして、それから居た堪れなさげに小さくなってコクコクと頷いていた。


「……なに、笑ってんだよ……っ」
 少々お待ちくださいませ、とにこやかな笑顔を残して店員が去っていったあと、対面からキッと睨みつけてくる涙目に、赤木は肩を揺らしながら言い訳をした。
「だってお前が、あんまり面白くて、可愛いから」
 空気を読まずに注文を高らかに読み上げられてしまったことだけでなく、おそらく飲みたくもないであろうホットコーヒーを敢えて注文したところも、赤木の笑いを誘ってやまないのだった。

 大方、デラックス某のみを単品で注文するよりもインパクトが薄れるとか、そんなことを考えて頼んだのだろう。
 そういう単純明快な思考回路が、想像を巡らせるまでもなくクリアに透けて見えるのが、赤木にはたまらなく可笑しくて、いとおしい。

「なぁ、カイジ」
 穏やかに呼びかけてもむくれたままの横顔に、赤木は重ねてやわらかく問いかける。
「コーヒー、お前の分も貰っていいか? どうも、一杯じゃ足りない気がしてきてよ」
 これは、赤木なりにカイジの機嫌を取ろうとしての発言だった。
 余分に注文してしまった熱々のコーヒーと、冷たいフルーツパフェという組み合わせを前に辟易するカイジの様子がまざまざと目に見えたから、先回りして助け船を出してやることにしたのだ。

「え……、でも、一杯目を飲んでる間に冷めちまいますよ?」
 眉間の皺をちょっとだけ浅くして一応の気遣いを見せるカイジに、赤木は笑って首を横に振る。
「いいんだよ。この店のコーヒーは、ちょっと冷めてるくらいが俺は好きなんだ」
「はあ……そうなんすか……」
 いまいち納得していないような顔でカイジは頷いたが、無論、そんなのは赤木の嘘である。
『ホット』コーヒーなんだから、冷めているより熱々の方が、圧倒的に美味いに決まってる。

 だが。と、赤木はカイジの顔を見て、目を細める。
 もともと飲む気などなかったホットコーヒーから逃れられたカイジは、明らかに安堵したような顔つきを見せていて、たとえ冷めきって不味いコーヒーを飲む羽目になろうとも、わかりやすいこの表情を愛でられたことが、赤木にとってはなによりも価値のあることなのだった。




 お待たせいたしました、という声とともに、テーブルの上にドンと置かれたフルーツパフェは、デラックスを自称するだけあって、かなり迫力のある見た目をしていた。

 透明なガラスの器の中で、生クリームやキャラメルソースやシリアルが幾重にも層を作っているのが見える。
 そして、その土台の上にはこんもりと丸いバニラアイスに、サイコロ状に切られたガナッシュ、生クリームで糊付けされたバナナやイチゴやパイナップルなどのフルーツが零れ落ちんばかりに盛りつけられ、まるでド派手なタワーのような様相を呈していた。

 その、名が体を表すパフェを目の前にして、思わずといった風に頬を綻ばせてから、慌てて表情筋を引き締めているカイジに、赤木は笑って口を開く。
「なぁ。ひとくちでいいから、俺にもあとでーー」
 そう口にした瞬間、ずい、とカイジが手を突き出してきたので、赤木は口を噤み、目を丸くした。

 無骨な指先に摘まれているのは、丸みを帯びた赤い果実。
 白い生クリームがわずかにくっついているそれは、パフェのてっぺんに乗っかっていたさくらんぼだった。

「これ。あげます」
 ニコリともせずに平らな声で言うカイジに、赤木はちょっと眉を下げた。
 こういう事務的なのじゃなくて、もっと甘い雰囲気での『あーん』を期待していたのだが。
 しかし、外で食い物を奢ってやるたび、赤木はその礼がわりと称して、このようなことをねだってはカイジを困らせてきたのだ。流石のカイジも知恵をつけ、今回は先手を打って赤木を牽制する狙いで、こんなことをしてきたのであろう。

 あからさまにガッカリした赤木が深くため息をつくと、年下の恋人がニヤリと片頬をつり上げる。
「してやったり」とでも言いたげなその悪い笑みを半眼で見遣ってから、赤木は素早く身を乗り出し、仕返しとばかりにカイジの指ごとその果実にパクリと食らいついた。
「……ッ!!」
 不意打ちを食らって鋭く息を飲むカイジに、赤木はニヤリと片頬をつり上げると、舌先でカイジの人差し指の腹を舐め、軽く吸う。
「……に、してるんですかっ……!!」
 慌てて手を引っ込め、朱に染まった顔で怒るカイジに、赤木はさくらんぼの軸を咥えたまま、しれっと答えた。
「お前が、くれるって言ったから」
 モゴモゴと、口から突き出た細い軸を動かしながら子供みたいに答えると、カイジは憤怒の形相を浮かべたが、結局なにも言わぬまま乱暴にスプーンを手に取った。

 煌びやかなフルーツパフェに八つ当たりするような勢いで、スプーンを突き立てては黙々と口に運んでいくカイジ。
 だが、冷たくて甘いものに目がないカイジは、早々に仏頂面を保っていられなくなったらしく、アイスクリームのようにとろけてしまいそうな表情を無理に引き締めようとして、ヘンテコに歪んだ顔を上気させながら一心不乱にパフェを食べ進めていた。
 その表情は嬉しいのを必死にこらえている子供のそれによく似ていて、目つきの悪い三白眼の黒い双眸はキラキラと輝き、ひたむきな熱い視線を冷たいパフェだけに注いでいた。

 その様子を愉しげに見守りながら、赤木は口内の甘酸っぱい果肉をゆっくりと咀嚼する。
 やがて、さくらんぼが種だけになってしまうと、細い軸を器用に舌でひょいと巻き取り、それも口の中に入れてしまった。

 デラックスなんとかパフェに夢中だったカイジは、赤木の不審な行動に気づきもしない。
 だが、やたら豪華なタワーが半分の大きさになったところで、ようやく赤木がコーヒーにまったく口をつけていないことに気がついて、不審げに眉を寄せた。
「……冷めてる方が美味いって、本当なんですか?」
 半信半疑といった風に問いかけてくるカイジに、赤木はニッと満面の笑みを浮かべる。
 悪戯小僧のようなその表情にカイジが身構えるより早く、赤木は手を伸ばしてテーブルに置かれているカイジの左手を掴んだ。
「!! な、にを……っ!?」
 驚愕の声を聞き流しながら、赤木はカイジの手を強く引き寄せ、その掌のうえに唇を寄せた。

 ……その光景は、傍から見れば、赤木がカイジの掌に口づけているように見えたであろう。

 思いもよらぬ行動に固まってしまったカイジの、大きく見開かれた目を上目遣いに見ながら、赤木はフッと口許を撓める。
 べ、と舌先を出し、そこに乗っかっているものをカイジの掌に押し付けてから、ゆっくりと顔を上げる。

 赤木が手を離してやると、カイジはハッと我に返り、口をパクパクさせ始めた。
「な、なな、なん……ッ!!」
 面白いくらいに真っ赤に染まった顔で、ただただアワアワしているカイジに、赤木はカラリと笑って言う。
「おっ。初めてやってみたが、やりゃあ意外とできるもんだな」
「……はっ?」
 奇矯な言動の意味がまったくわからず、ポカンとしているカイジに、赤木は「だから、ソレだよ、ソレ」と言って、その左の掌の上を顎で示した。
 不審げな顔で己の掌の上に視線を落としたカイジの口から、「あっ」とちいさな声が上がる。

 そこには、種と繋がったままのさくらんぼの軸が、くるりとちいさな輪っかになって乗っかっていた。
 しかもそのちいさな輪っかは、よく見るとしっかりとした固結びになっている。

 掌の上のものを呆気にとられた顔で見つめるカイジを見て、赤木は満足げにペロリと唇を舐め、目を細める。
「どうだ。すげぇだろ」
 もう一度、子供のように胸を張って言えば、カイジは顔を上げて赤木の方を見て、その表情を渋いものに変えた。
「確かに、すげぇ、けど……、けどなぁ……っ」
 そう呟いて、突拍子もない赤木の行動を責めるようなことをボソボソとぼやくカイジ。
 どうやら飄々とマイペースな赤木に力が抜け、怒るに怒れなくなってしまったらしい。

 なんとも複雑そうなカイジの表情に、赤木はクスリと笑い、未だ開かれたままのその掌の上を指さす。
「舌だけで、これ結べるヤツってさ。なにかが上手いらしい、って聞いたことあんだけど……」
 含みを持たせるような言い方をして、対面の眉間の皺がますます深くなっていくのを愉快そうに見ながら、赤木は幼子のように緩く首を傾げた。
「なにが、上手いって言われてるんだっけ? なぁ、カ」
「知りません」
 赤木の質問にほとんど被せるようにして、きっぱりとした返事が返される。
『そんな問いに答えるつもりなど毛頭ない』という意思を表すかのように、カイジは左手の上に乗っけられたものを紙ナプキンにくしゃくしゃと包んでテーブルに置くと、また黙々とパフェを崩し始めた。

 自分の方には目もくれず、うつむいてパフェにだけ集中しているカイジの顔を見て、赤木はくっくっと可笑しそうに肩を震わせる。
『知りません』なんて答えが嘘っぱちであることは、より一層赤くなった顔が、なによりも雄弁に物語っていた。

 行儀悪く机に伏せるように姿勢を低くして、赤木は下からカイジの顔を覗き込もうとしつつ呼びかける。
「なぁ、カイジ」
「……………」
「俺のキスって、上手いと思うか?」
 無言を貫く恋人にニヤニヤと問いかけると、テーブルの下ですぐさま蹴りが飛んでくる。
 それを難なく躱し、やっぱりコイツは面白くて可愛いと、怒ったようにパフェにがっつく恋人を頬杖ついて眺めながら、赤木はすっかり冷めてしまったホットコーヒーにようやく口をつけたのだった。






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