ゴミ出し・2




 バタン、と玄関の扉の閉まる音が聞こえ、アカギはカイジがようやくゴミ出しに出て行ったことを知る。
 ヘッドボードの上の灰皿を持ち、立ち上がって窓の方へと歩いていく。
 咥えタバコのまま、カーテンと窓を大きく開け放つと、新鮮な光と空気が部屋の中に流れ込んでくる。

 よく晴れた、気持ちの良い朝だ。
 ……朝、といっても、時刻は既に、午前十時を回っているのだけれど。

 窓枠に灰皿を置き、アカギが外を眺めていると、ややあって、両手にゴミ袋を提げたカイジが視界の端に現れた。
 左右の手に、一個ずつしか袋を提げていない。
 さっきはアカギに手伝って欲しそうな素振りを見せていたが、けんもほろろに断られたから、しぶしぶ部屋とゴミ捨て場を二往復することにしたのだろう。

 だるそうな足取りでヨタヨタ歩いていく後ろ姿を見て、さては二日酔いが相当ひどいなとアカギは見て取った。昨夜はカイジにしては結構な深酒をしていたから、きっとまだ酒が抜けきっていないのだ。

 危うげな歩き方の猫背を目で追う。道のど真ん中をフラフラと歩いて、車など通ろうものならあっさり轢かれてしまうのではないかと危ぶまれるほどだったが、幸いにしてゴミ捨て場はアカギの方からも見えるくらい近い場所にあるので、車が通る前にカイジは無事、ゴミ捨て場へと辿り着くことができたのだった。

 コンクリートの塀に囲まれた場所には、すでに大きなゴミ袋が山と積まれている。
 その山の上にゴミ袋を乱雑に放り投げると、カイジはくるりと踵を返してアパートの入口の方へと引き返していった。

 太陽が眩しいのか俯きがちに、大欠伸をしながらだらだら歩いていたカイジだったが、ちょうどアカギが見下ろしている窓の下辺りで、足を止めて緩慢に振り返った。
 アカギが眺めていると、ひとりの中年女性が小走りでカイジを追いかけてきた。
 どうやら、その女性に後ろから呼び止められたものらしい。

 女性はすぐにカイジに追いつくと、間髪入れずに甲高い声でなにやら話し始めた。
 大仰な身振り手振りを交え、ものすごい勢いでなにかを捲し立てている。
 どうやら、怒っているようだ。ときおり、ゴミ捨て場の方を指さしてはなにか喚いているところを見ると、おそらくゴミ出しのことについて、なにか物申しに来たのだろう。

 大方、出す時間が遅いだとかなんとか、カイジに注意しているのに違いない。
 まだ回収されていないとはいえ、時刻は既に十時を回っているのだ。ゴミ出しの時間としては、どう考えたって遅すぎる。

 おそらく、女性はこの近隣の住人で、前々からゴミ出しのマナーの悪さに怒り心頭だったのだろう。
 偶然か、はたまたゴミ捨て場を監視していたのかは知らないが、こんな時間にゴミ出しをする不届き者を発見し、ここぞとばかりに文句を言いに出て来たのだろうと、アカギには容易に想像がついた。

 近所中に高らかに響き渡るような金切り声で、鼻息荒くなにかを主張している女性に対し、カイジはいかにも『面倒なのに捕まっちまった』というような顔で、ひたすら覇気のない相槌を繰り返している。
 一応、神妙そうな雰囲気を取り繕ってはいるけれども、反省の色などこれっぽっちも感じられないカイジの態度に、女性の怒りのボルテージは上がる一方のようだ。

 興奮のあまり女性がカイジの方へと大きく身を乗り出し、そのテンションに辟易した様子のカイジが逆に一歩退いたところで、ふたりの上から一連の出来事を傍観していたアカギが、静かに口を開いた。

「カイジさん」

 決して大きく声を張り上げているわけでもないのに、淡々としたテノールは、喧しい女性の声を遮るように、不思議とよく響く。
 窓の外にいるふたりの耳にも当然、アカギの声は届いたようで、甲高いお説教はピタリと止み、四つの目がほぼ同時にアカギの方を見た。

 アカギの姿が目に入った瞬間、カイジと女性はポカンと口を開いたまま、滑稽なほど似通った驚愕の表情をその顔に浮かべた。

 カイジはともかく、女性が驚くのは最もな話だ。
 見上げた窓から、上半身素っ裸の若い男が、自分たちのいる方を見下ろしているのだから。

 そこだけ時が止まってしまったかのように、同じ顔をして固まっている、ふたりの人間。
 だが、アカギは女性の方には目もくれず、カイジだけを無表情に見下ろして、冷淡な声でひと言、

「まだ、出さなきゃいけないゴミ、あるんだろ。……さっさと戻ってきな」

 静かなのに独特な威圧感のある口調でそう言うと、右手の指に挟んだタバコを口許に運んだ。

 切るような瞳でカイジの顔を見つめながら、深々と煙を肺に満たし、ゆっくりと吐き出していく。
 すると、白い煙で魔法が解けたかのように、窓の外のふたりがようやく動き出した。

 まず、女性がカイジの方へと視線を移し、ジロジロとぶしつけな目でその顔を見つめる。
 それに気づいたカイジはちょっとビクッとしたあと、急にあたふたし始めた。

 その様子を見届けてから、アカギは短くなったタバコを灰皿に押しつけ、ニコリともしないまま窓のそばを離れる。


 きっと幾ばくもしないうちに、カイジは解放されるだろう。
 さっきまでの騒々しさはどこへやら、水を打ったように静まり返ってしまった窓の外にはもう見向きもせず、アカギは口を開いて大きな欠伸をひとつ、したのだった。
 



[*前へ][次へ#]

65/75ページ

[戻る]