蛇足 学パロ




 アブラゼミの声が窓の外から響く、蒸し暑い洗面所の鏡の前。
 ハーフパンツから伸びる二本の足でカイジは突っ立ったまま、腑抜けた顔で鏡に映る自分の虚像を、ぼさっと眺めていた。

 ふと、思い出したかのように青い歯ブラシを手に取り、先端の方に歯磨き粉を絞る。
 口に突っ込み、惰性のように手を動かしながら、カイジは昨夜のできことを、ぼんやりと回想していた。




 あれから。
 なんだかんだあって、アカギとふたりでアパートに帰ることになって。
 勉強会やかき氷の礼として、人混みが嫌いなアカギに、自室の窓から花火を見せてやろうとカイジは考えていたのだけれど、部屋に入ってすぐ、
「花火よりも見たいもの、あるんだけど」
 なんて、アカギに言われて。

 なにか訊くより、言うより早く、唇を塞がれ、ベッドに押し倒された。

 それから、アカギが見たいって言ったものーー
 カイジの方は、常日頃からあまり積極的に見せたくないと思っているようなものを、たくさんたくさん、アカギの下で曝すことになってしまった。


 閉め切られたままの窓を、低く空気を打つような音が微かに震わせ始めたころ、ようやく火照りのおさまった体を捩り、カイジは涙声で罵った。
「スケベ……変態……」
 罵られた男は、悪びれもせずにクスリと笑い、
「ひでえな。オレだけ悪者にするんだ」
 なにもかもお見通しだと言うように、そう言った。

「っ、どういう意味……っ、」
「下心、あったんでしょ。あんただって」
 言葉を重ねて遮られ、カイジは口籠る。

 アカギの言うとおりだった。
 本当は、ただふたりきりになりたくて。
 花火なんて半分は、口実みたいなものだった。

 母も姉も直接花火を観に行くだなんて、言わなくてもいいことまで口に出して、だから今夜は家に誰もいないんだってこと、遠回しに伝えようとして。
 そんなことまでしてふたりきりになりたかったのは、アカギとしたいことがあったから。

 下心なんて感じさせないよう、精一杯さりげなさを装ったつもりだった。
 でも、無駄だった。この悪漢には、結局すべて見抜かれてしまうのだ。

 口をへの字に曲げるカイジに、アカギは笑ってひらりとベッドから飛び降りると、ジーンズの上に青いTシャツを身につけながら、窓の方へと歩いていった。
「あんたがせっかく誘ってくれたんだ。花火も、観ようぜ」
 そう言って、アカギが窓を大きく開け放ったので、カイジは慌てて掛け布団で自分の体を隠し、「早く来なよ」とすました顔で促す恋人を、涙目でギロリと睨みつけたのだった。




「…………」

 鏡の中でたちどころに赤くなっていく己の顔にげんなりし、カイジは蛇口を捻って口を濯ぐ。
 洗った歯ブラシをコップに立ててから、生ぬるい水を手で掬い、ジャブジャブと荒っぽく顔を洗った。

 丸めていた背を起こし、飛び散った水滴に濡れた黒く長い髪に、ふと目を留める。

 昨夜さんざ弄られ、好き勝手もてあそばれた、その髪。
 意地悪な長い指の感触を反芻するかのように、肩の前に垂れたそれを摘んだり離したりしていたカイジは、同じく顔を洗いに来た姉に、またしてもおちょくられる羽目になるのだった。






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