髪を切る? アカカイ+神カイ



「あぁ……っちぃ〜〜……」

 唸り声をあげてフル稼働する扇風機に齧りつき、カイジはうんざりしたように叫んだ。
 扇風機の羽に当たって震える大声を聞き、アカギが雑誌から顔を上げてカイジの方を見る。
「そんなに暑いなら、エアコン点けたら?」
「あ……?」
 淡々と、至極もっともな提案をしたアカギを、しかしカイジは据わった目でじとりと睨みつけた。
「電気代……」
 もはや口を動かすのも面倒くさい、とでも言いたげな、たった一言での返答に、アカギは納得したように「……ああ……」と呟く。

 開け放った窓の外からは蝉の大合唱。それが、エアコンなしの部屋で過ごす三十度越えの午後を、より一層暑苦しいものにしている。
 風はそよとも吹かず、涼を得る手段は古ぼけた扇風機だけだというのに、先ほどからその前に齧りついて動かないカイジには、アカギに対する配慮というものが微塵も感じられない。
 アカギはそんなことに文句を言う性質ではないし、暑さ寒さには耐性がある方だけれど、こうも暑い暑いとデカい声で繰り返されると、さすがに鬱陶しさを禁じ得ない。

 カイジは黒いタンクトップにカーキ色のハーフパンツ姿だが、そのどちらもすでに汗でぐっしょりと濡れ、色が濃く変化している。
 細かな汗のびっしり浮かぶ剥き出しの肌は、触ったらぬるぬると滑りそうだ。

 背中に垂れた長い黒髪も、まるでシャワーを浴びたあとのように毛先までしとどに濡れそぼっていて、扇風機の風で重たげに揺れているそれを見ながら、アカギは軽い苛立ちに任せ、思いついたことを口に出してみた。

「そんなに暑いなら、髪、切れば」

 その言葉を耳で拾ったカイジが、アカギの方を見る。
「そんな髪だらだら伸ばしてるから、余計に暑いんでしょ」
 目に入る汗のせいで充血している三白眼を見返しながら、アカギはそっけなく言った。

 急に、狭い部屋に沈黙が満ちる。

 薄水色の扇風機の羽だけが、己の存在を主張するように唸り続ける中、カイジはちょっと考えるような顔をして、

「……まぁ、それもいいかもな」

 そう、呟くように言った。


 瞬間、アカギの鋭い目が、軽く見開かれる。
 自分から提案しておきながらその返事は予想していなかったとでもいうような、驚きを露わにした珍しい表情に気づいた風もなく、カイジは己の長い後ろ髪を片手で掬い上げ、後頭部の低い位置できゅっと纏めて正面からアカギを見た。
「こんな感じか……涼しいし、悪くねえかもな。……どう?」
 即席で短髪のイメージを作り、悪戯っぽくニッと笑うカイジに、アカギはしばし黙りこくっていたが、
「……そうだね。悪くない」
 低い声で、ぼそりとそう言った。

 アカギのその反応に、カイジはにわかに色めき立つ。
「そうか? そうだよなぁ。……今年は猛暑だっていうし、思い切っちまおうかな、この際」
 いやにはしゃいでいる様子のカイジに、アカギはやにわに立ち上がると、音もなくそっと近づいた。

「ん? どうし……」
 暑苦しい中、急にそばに寄られて怪訝そうにするカイジの、剥き出しの項にアカギは指を触れさせる。
「うひゃっ!?」
 びくんと体を跳ねさせて情けない声を上げるカイジに、アカギは口端をつり上げた。
「そうしたら、ここ、剥き出しになるわけだ……」
「あっ、ば、ばかやろっ……!」
 罵声も気にせず敏感な首裏を冷たい指で思うさまなぞったあと、アカギは日に灼けないそこへと顔を伏せる。

「こういうことも、」
「……ッ!!」
 舌を出して塩辛い肌をつうと舐め上げると、カイジの背に強く緊張が走る。
「……し放題ってこと」
「あ、あ! やめ……ッ」
「クク……悪くねえ……」
 逃げようとする体に腕を回し、軽く吸い付きながら執拗に舐め回していると、カイジは震える声でアカギに怒鳴りつけた。
「な、に……しやがるっ、この、変態っ……!!」
「その変態の前で弱い部分曝すってのは、つまり、こうなるってことだぜ……」
 くつくつと喉を鳴らしながらそこを嬲り続けてやれば、カイジは息を乱しながら涙目で叫ぶ。
「くそっ……、も、やめろアホっ……!!」
「髪、切る?」
 項に唇をつけたまま、膚の奥の神経に響かせるように問いかけると、
「だれ、が、切るかよっ……!! っの、どスケベ野郎っ……!!」
 すぐさま飛んできた勝気な台詞に、アカギはカイジに気取られぬよう、密かにニヤリとほくそ笑んだ。







 ちなみに。

「暑……っ、もう、切っちまおうかな、こんな髪……」
 うんざりしたようなカイジの呟きに、白髪の男は細い眉を上げた。

「ほら……ど、どう……すか? 赤木さん……」
 自らの手で後ろ髪を持ち上げ、ちょっと照れたように見つめてくるカイジに、男は顎に手を当てて緩く首を傾げる。
「ん〜…………、悪かねえな。」
「そ、そう? そうかな……」
 満更でもなさそうな様子のカイジにふっと笑い、男はそっと立ち上がる。

「でも、ちょっと、惜しいなぁ……」
 言いながらカイジに近寄り、そのそばにしゃがみこむと、きょとんと見つめてくる黒い双眸に笑いかけ、男はその長い髪に触れた。

「俺は、お前のこの髪、割と好きなんだよ」
「……ッ」

 慈しむような手つきでやわらかく梳いてやると、カイジが目を見開いて息を飲む。
「冷たくて、触り心地いいしな……」
「あ、の……赤木さん?」
 戸惑いを隠せないみたいにせわしなくうろつき始める視線に低く喉を鳴らしながら、男は黒い髪を一房掬い上げ、目を伏せてその毛先に唇を落とした。

「寂しいな……これが、なくなっちまうのは」

 残念そうなため息混じりにぽつりと漏らせば、カイジは顔を真っ赤にしたあと、それを隠すように深くうつむいた。

「じ、じゃあ……切らねえっ……」
 もごもごと不明瞭な言葉に、男はわずかに顔を上げる。
「……ん? いいのか? 俺のために」
 穏やかな声で問いかけると、カイジは赤い顔のまま、こくこくと何度も頷いてみせた。

 長い髪に隠れがちなその横顔を、男は目を細めて見つめたあと、
「そうか……ありがとうな、カイジ」
 うんと甘い声でそう囁いて、もう一度、黒い髪に口付けた。





 ……と、いった具合に、歳を重ねて丸くなった彼なら、素直に心情を吐露することで、カイジを好きに懐柔することもできただろうが、

「んっ、や、やめろっつってんだろっ……! くそ暑いっ、離れろ、このアホっ……!!」
「……あんた、『体は正直だぜ』とか、そんな陳腐なこと、オレに言わせたいの?」

 まだ若く、ひどく捻くれている今の彼に、そんな風に振舞えるはずもなく、

「ふふ……ね、カイジさん……髪、短くしたら、イイ時の顔も隠れなくなっちまうね……」
「うっ、くぅっ……だ、からぁっ、切らね……っつってんだろうがっ……!!」

 こんな回りくどいやり方でカイジを翻意させて、
「……あらら、残念」
 などと、心にもないことをしたり顔で呟き、十九歳の赤木しげるは、悪魔めいた顔でニヤリと笑うのだった。





[*前へ][次へ#]

59/75ページ

[戻る]