熱帯夜の眠り方(※18禁) 本番なし 恋人未満のしげカイ 



 雨が降っている。
 時が経つにつれ次第に激しさを増していく雨音は、窓を打ち、薄い壁から天井から、耳を穿つように響く。
 エアコンもなく窓も閉め切ったままの、蒸し風呂のようなアパートの一室。灯りの消えたその部屋の中で、カイジは目を閉じ、息を潜めるようにして過ごしていた。
 
 眠れない。
 灯りを消してから、二時間ほどが経過している。だけどカイジは、未だ寝付くことができないでいた。
 止まない雨音と、不快な暑さ、湿気。絶えずじわじわと滲んでくる汗で、よれよれのシャツの首周りや背中が濡れている。
 窓を開け、空気を入れ換えることができればすこしは違ったのだろうが、こんなひどい雨ではそれすらできない。雨は気温を多少下げてはくれるが、それでも確実に二十五度を越えていそうだった。
 熱帯夜。まさにその表現がぴったりの、寝苦しい夜。
 目を閉じても眠気は訪れないばかりか、感覚は冴えていく一方。皺の寄ったシーツは汗で湿り、上がりきった体温で温もっている。

 深くため息をついて何十回目かの寝返りをうった拍子に、なにかが肩がぶつかった。
 はっとしたカイジは、隣で眠るしげるの方を見る。
 しげるはカイジに背を向けていて、その背中が呼吸に合わせて規則正しく動いているのを確認したあと、カイジはほっと息をつく。
 体がぶつかって起こしてしまったかと思ったが、杞憂だったようだ。こんなに不快な夜なのに、よくもまあこうまで穏やかに眠れるものだと、感心と羨望の入り混じった思いを抱く。
 疲れているのだろうか。起こしてしまっては可哀想だと、カイジはできるだけ音をたてないようにそろそろ起き上がると、ベッドから抜け出した。


 眠れる気配すらないのにじっとしているのが苦痛で、こうして起き出すのももう三度目だ。
 相変わらずひどい雨音を聞きながら、ぬるい水で喉を潤し、タバコを一本吸ってから戻る。
 足音を忍ばせてベッドに上がり、カイジはしげると背中合わせで寝転がる。多少、シーツは冷たさを取り戻していたが、またすぐに体温が移って元の木阿弥になるだろう。

 一向に重くならない瞼で瞬きながら、目の前の壁を睨みつけていると、
「眠れないの?」
 ふいに背後から声がして、カイジは飛び上がらんばかりに驚いた。
 しげるが目を覚ましてしまったらしい。
「起こしちまったか、悪い……」
 言いながらカイジは寝返りを打ち、しげるの方に向き直ろうとした。
 だが、体が動かない。ギョッとして目線を下ろすと、いつの間にか腹の前に回された二本の腕に体を固定されていた。
 何をしてる、と訊こうとして、カイジは言葉を飲み込む。体温の低い掌が、シャツの裾から忍び込んでぺたりと腹に充てられたからだ。
「ひねもすダラダラ過ごしてたんだろ。熱が体に籠もっちまってるんだ」
 淡々とした声で分析され、カイジは「はぁ、」と気の抜けた返事をする。確かにしげるの言うとおり、昨日はバイトも休みだったし、昼間の暑さに外へ出る気力も削がれ、日がな一日家でゴロゴロしていた。
 だから眠れないのだ、とでも言いたいのだろうか? カイジが黙っていると、しげるは雨垂れに掻き消されそうなほど密やかな声で囁いた。
「眠れるよう、手伝ってあげる。一宿一飯の恩義」
 手伝うって、なにを? そう問いかけるより早く、下穿きの中に手を入れられてカイジは軽く悲鳴を上げた。
「! っ、なに……」
 泡を食って振り返ろうとするが、背中にぴったりとくっつかれているせいで叶わない。おまけに、乾いた掌でやわらかい刀身を躊躇なく握り込まれ、カイジの腕にぞわりと鳥肌が立った。
「オレ、寝起きだから。あんまり動かれると力の加減間違えて、握り潰しちまうかも」
 できるだけじっとしててね、とやわらかく脅されて、カイジは背筋がスッと冷たくなるのを感じる。
 反射的に身を固くするカイジの脚に、しげるの脚がするりと絡みついてくる。滑るようなしなやかさといいひんやりした感触といい、まるで蛇にでも這われているかのようだった。

 これからいったいなにをされるのか、得体の知れない恐怖にカイジの心臓がバクバク鳴る。少年の腕の中で身じろぎすらできぬまま、渇いた喉でごくりと唾を飲み下す。その音を合図に、しげるの手が明確な意思をもって動き始めた。
「アホっ……! お前、なにを……っ!」
 カイジは仰天し、目を白黒させながらしげるの腕を押さえ込もうとする。そんな抵抗どこ吹く風といった調子で、しげるはしゃあしゃあと言った。
「汗をかいて、熱を逃がすことがいちばん大事なんだよ」
「は? ……え?」
「まぁ……よく眠れるまじない、みたいなもんだと思ってさ。力抜いてなよ」
 気楽そうな口振りに、カイジの脳味噌が混乱で沸騰する。
 まじない、だと? いったいコレのどこにそんな要素がある? ふざけたこと抜かしやがってと怒鳴りつけたくなるが、しげるがあまりにも動じていないので、怒るのも間違っている気がしてカイジは結局、どうすればいいのかわからない。
 急所を握られ、碌な抵抗もできずにされるがまま、敏感な部分を規則的な動きで擦られていると、困惑を上回る性感に腰のあたりが疼き始める。
「お、い……マジ、やめろ、って……」
 声が上擦ってしまうのを懸命に抑えながら、カイジはしげるを窘める。他人の手で触られるのなんて何年ぶりだろうか。最近、自分の手ですらご無沙汰だったから、きもちよくないはずがない。
 自分より遙かに年下の、まだ十三歳の少年の手でこんな風になってしまうなんて、ものすごくダメな気がするけれども抗えない。窮屈な下穿きの中で、激しく勃起している己が情けなくて、カイジは唇を噛み締める。
 相手は男なのに、大した嫌悪感がないのも不思議だった。猛る雄をあやすように絡みつき、絶頂へ導こうとするその手が、まったくべつの生き物のように感じられるからだろうか。
「っ……は、ぁ」
 全身から熱湯のような汗が吹き出してきて、カイジは吐息を漏らす。密着した素肌がぬるぬる滑ると、蛇のような二本の脚がより強くカイジに絡みついてきた。
 しげるが呼吸するたび、吐き出される息で項が熱く湿っていく。
 あんなに耳障りだった雨の音が、今はほとんど聞こえない。代わりに耳に入るのは、荒くなった自分の呼吸音と卑猥で粘着質な音だけ。
 ひたすら見つめている目の前の壁がじわりと滲む。それが目に入った汗のせいなのか生理的な涙のせいなのか、カイジにはもうわからない。そんなことどうでもよくなってしまうほど、カイジの体はしげるの手によって、ものすごい力で絶頂へと押し上げられていく。
「あ、しげ……る、もう、やめ……ッ」
 切迫した声を受け、しげるの手の動きは止むどころかさらに激しさを増した。
「出そう? ……いいよ、出して」
 汚れないようにしてあげるから。そう囁く声が引き金となり、カイジは尿道まで込み上げていたどろどろした熱い飛沫を、爆ぜるように迸らせた。
「ーーっ……!!」
 きつく閉じた瞼の裏側に白い火花が散る。思わず声が漏れそうになるのを、両手で口を塞いで耐えた。思いきり射精する快感にカイジの体がビクビク跳ね、足の爪先がきゅうっと丸まる。
 カイジが精を吐き出している間中、しげるはそれを手助けするように砲身を扱きつつ、もう片方の掌で撒き散らされた粘液を受け止めていた。
 頭の中がスカスカになりそうな絶頂感の中で、カイジは虚ろな目をして呼吸を整える。絡まっていた脚が解かれ、下穿きからしげるの手が抜け出ていっても、カイジは動くことができずにいた。
 なぜこんなことになってしまったのか? そんなことを考える余裕すらなく、ただただ絶頂の余韻を漂っていると、枕許のティッシュで汚れた手を拭い終えたしげるが、ふたたびカイジの背に体を沿わせてきた。
「眠りなよ」
 静かな声にそう告げられて初めて、カイジは眠気が体を浸しているのを自覚する。
 ぐったりと弛緩した体の隅々までを満たす疲労感と、渇きゆく汗で火照りを鎮められていく膚。内に籠もっていた熱が解放され、やってきたのは寄せては返すさざ波のような微睡みだった。
 窓ガラスを強く叩く雨音すら子守唄のように感じられ、とろとろとした眠りに釣り込まれていく。あれだけ待ち望んだ睡魔の訪れに、カイジは眠りに落ちる前にしげるになにか言わなければと思ったけれど、ひんやりとした指先で重たい瞼に触れられ、
「おやすみ」
 と言われると、もう、口を開くことすらできず、波に巻かれることしかできなかった。




 翌朝。
 昨夜の豪雨が嘘のように空はスッキリと晴れ渡り、カーテンの隙間から射す太陽の光に顔を顰め、カイジは瞼を持ち上げた。
 蝉の鳴き声が煩い。呻きながら時計を確認すると、午前十時を回ったところだ。
 今日のバイトは深夜勤だから、まだまだ時間はある。深く息をつき、そのまま二度寝を決め込もうとしたカイジだったが、やにわにガバリと起き上がった。

 思い出したのだ。
 昨日の、夜のできこと。

 意識が一気に覚醒し、暑さのせいではない汗がじわりと背中に滲んでくる。
 隣に寝ていたはずのしげるの姿は既にない。そのことにほっとしつつも、カイジは頭を抱えた。
 昨日されたことは、果たして現実のことだったのだろうか? しげるの手によって一方的に導かれている間中、その顔を見ていないということが、現実味のなさに拍車をかけている。
 あれはひどく寝苦しい夜の、奇妙な夢だったんじゃなかろうか。いや……そうあってほしい、そうあるべきだと願いながら、カイジは体を起こす。
 喉がカラカラに干上がっていた。とりあえず、水でも飲もうとベッドを降りたカイジの足は、台所の床を踏む前にぴたりと止まった。
「……」
「おはよう」
 鉢合わせたカイジにそう挨拶したしげるは、既に半袖の開襟とスラックスに身を包んでいた。
 洗顔を終えたところらしく、首にかけたタオルで顔を拭いながら、黙りこくっているカイジを不思議そうに覗き込んでいる。
「……起きてる? カイジさん」
 その言葉にハッとして、カイジは慌てて口を開く。
 何事もなかったかのように、あまりにも落ち着いた様子のしげるを前に、カイジは返って混乱してしまい、
「昨日……」
 と言いかけて口を噤んだ。
 馬鹿、自分から蒸し返すヤツがあるかと内心で己を叱咤するカイジの様子をじっと眺め、しげるは目を細めてクスリと笑う。
「ああ……あんたあの後、よく眠ってた」
「!!」
 しげるの言葉に、カイジは愕然とした表情になる。
 あの後。あの後っていうのは、もちろんアレのことで、つまりは夢じゃなかったってことなのかーー!?
 一縷の望みを砕かれ、みるみるうちに顔を真っ赤に染め上げていくカイジを見て、しげるは可笑しそうに肩を震わせる。
「昨日のこと、夢だったってことにしといてあげてもいいかなって思ってたんだけど……そんな顔見せられちゃったら、からかわずにはいられないじゃない」
 笑われて、カイジはさらにカッと顔を赤くする。
 しかし、昨日のことが頭を過ぎるせいで、クスクス笑うしげるの顔が直視できず、カイジは目線を床に落としてぼそぼそと言った。
「なんで、あんなこと……」
「言ったでしょ。一宿一飯の恩義だって」
 あっけらかんとそう言われ、カイジは頭がクラクラするのを感じる。
 なんだそれは。コイツの貞操観念はいったいどうなってるんだと、白い靴下の爪先を眺めながらカイジは重々しく口を開く。
「お前な、ああいうこと……」
 もう二度とするなよ、と言いかけて、言葉が喉にひっかかる。
 本当に言いたいことはそれじゃないと、声帯が言葉を紡ぐのを拒否している。じゃあいったいなんなんだ、オレの言いたいことって?
 カイジは眉を寄せながら、心の中で言葉を転がす。

 一宿一飯の恩義ってなぁ、お前ああいうこと、二度とするなよ。
 ……オレ以外に?

 心臓がドクンと脈打って、その音がしげるに聞こえたのではないかと、カイジは思わず顔を上げる。
 だが、しげるは挙動不審なカイジを静かに眺めているだけだ。
 ほっとしつつも、明らかになった思いがけない自分の本音に、カイジはひとりパニックになる。
 いやいや……、オレ以外にはするなって、それじゃあただの変態じゃねえか。確かにすげぇよかったけど……って、問題はそこじゃねえだろっ……!
 うぐぐと唸って己の気持ちに葛藤するカイジをしばし眺め、しげるはニヤリと笑う。
「しないよ」
 ずい、とカイジの顔に顔を近づけ、距離の近さに見開かれた大きな目をじっと覗き込んで、なにもかもお見通しだというようにしげるは告げる。
「……あんた以外には」
 意味深な笑みを浮かべ、しげるは呆気にとられて固まっているカイジの傍を通り抜けてさっさと居間へと向かう。
「カイジさんのスケベ」
 すれ違いざまそう揶揄されて、カイジは目を吊り上げた。
「なっ! それ、お前だろっ……!」
「まあ、否定はしないけど。でも、カイジさんも、たいがい」
 歌うように告げられて、カイジはぐうの音も出なくなる。
 こと、こういうやり取りに関しては、しげるの方が一枚も二枚も上手なのだった。

 なにかうまいことやり返したいと思っても、
「じゃあ、また来るね」
 学生鞄を提げて去り際、玄関の扉を開けてひらひらと手を振ってみせるしげるに、
「二度と来んな、クソガキ」
 などと心にもない台詞を投げかけて、これ以上ないほどの渋面を作ることくらいしか、結局できないカイジなのであった。






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