涙の器 短文


 真夜中、衣擦れのような微かな音に、しげるがふっと目を覚ますと、隣で眠っていたカイジがベッドの上に起き上がっていた。

 寝ぼけ眼で瞬きをして、斜め下の方にある後ろ姿を見る。
 シャツの首周りが寝汗で湿って、冷たい。カイジも蒸し暑さで目が覚めたのだろうか、などとぼんやり思いながら眺めていたが、暗闇に目が慣れ耳がはっきりと音を拾うようになるにつれ、そうではないということがわかってきた。

 カイジは泣いている。
 背中を丸めて、歯を食いしばって。
 こんな真夜中の暗がりの中でひとり、声を押し殺して泣いているのだ。
 仰向けに寝ているしげるからは、その後ろ姿しか見ることはできない。
 だが不自然なほど震える肩と、ときどき漏れるしゃくり上げるような嗚咽から、どんな顔をして泣いているのか、軽く想像がついてしまうほどだった。

 いったい、いつからこうして泣いていたのだろう。
 恐らくは、しげるを起こさないようにと配慮して、こんな風に嗚咽すら飲み込むような苦しい泣き方をしているのだろうが、現にこうしてしげるは起きてしまっているのだから、その気遣いは完全に空回りしている。

 カイジがこんな風に、しげるが寝ているときにこっそり泣くのは初めてのことではない。これまでに二、三度、しげるは同じようなシチュエーションに遭遇している。
 なぜ泣いているのか、理由はわからない。聞いたこともない。興味も、あまりない。

 とっくに成人しているくせに、カイジはよく泣く男だった。怒りも喜びも悲しみも悔しさも、すべての感情の高ぶりは涙を流すことで表現されているみたいだった。
 魂の欠片が溶け込んだみたいな、熱い涙の雫をたくさん溢して、いつだって全身全霊でカイジは泣いている。

 しげるは薄く目を開けたまま、息を潜めるようにして、カイジの後ろ姿を眺めた。

 最近になって、わかったことがある。
 カイジが涙を流すのを見ると、それに呼応してしげるの中にもなにかが溜まっていくのだ。
 どういう仕組みなのかはわからない。
 その器は心臓に近い場所にあるから、カイジが泣くと胸を中心に体が重くなって、カイジの傍から離れがたくなっていく。やがてそれが溢れれば、自分にとってもカイジにとっても、きっとあまりよくないことが起こるような気がしているのだけれど、今さらもう、どうすることもできなかった。
 
 声をかければ、カイジはすぐに泣き止むだろう。
 慌てて居住まいを正して、泣いていたってことがバレないように、真っ赤になるまで顔をゴシゴシ拭って、いつもより明るい声で返事をして、誤魔化そうとしてみるのだろう。

 だけど、もうすこしだけ、その泣き姿を見ていたい。
 いつか自分の中のなにかが溢れてしまうとしても、しげるはそうしたかった。
 興味本意や意地悪などでは決してなく、ただ単純に、泣いているこの人が好きだから。熱い魂の欠片に、触れることができるような気がするから。
 泣き止ませることができるのに、それをせずに眺めていたいのだ。

 カイジは泣いている。
 暗がりの中、ひとりぼっちで声を殺して。
 震える肩を抱きしめ、あるいはその手を握ってやることもしないまま、時が止まってしまったかのように静かな部屋の中で、やがて眠りに落ちるまで、しげるはひたすらカイジの後ろ姿を眺めていた。







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