Reunion しげカイからのアカカイ
死んだとは思っていなかった。
だけど、再会があるとも思っていなかった。
古ぼけたビルの二階、うら寂れた雀荘。
別れのときと同じくらいの唐突さでカイジの目の前に現れたその男は、淡々と
「こんばんは、カイジさん」
と挨拶してみせた。
赤木しげるという名の少年と、この雀荘で出会ったのはもう五年以上前のことになる。
当時はそこそこ繁盛していたが、今は客足も疎らだった。訪れが絶えて久しいそこへ、今日なんとなく足を運ぼうという気になったのは、もしかするとこの男に引き寄せられたのかも知れないと思いつつも、カイジは戸惑いを隠せなかった。
別段、ドラマティックな再会を夢想していたわけではない。
だけど、半ば諦めの境地で日々を過ごしていたカイジには、こうもあっさりと、日常と地続きみたいに訪れた『再会』という出来事があまりにも唐突すぎて、言葉がうまく出てこなかった。
「お前……赤木しげる、なのか?」
正しく『面食らっている』という心理状態の中、ようやくカイジが捻り出した質問に、男は軽く眉を寄せる。
「なに、その他人行儀な呼び方」
「……だって、」
だって……、あまりに唐突で、目の前にいる男がしげると同一人物なんだってことを、頭でわかっていても、心が受け入れられないでいる。
会わなかったのはたったの数年。しかしその月日は、思春期の少年をカイジの見たことのない『男』へと変化させていた。
この数年の間に、いったいなにがあって、どんな目に遭ってきたというのか。聞くのも躊躇われるほどの変貌ぶりを、カイジは感じていた。
無論、しげるの面影はちゃんと残っているし、若いのに真っ白な髪や意外な声のやわらかさなんかは、数年前となにも変わっていない。それでも、別人なんじゃないかと疑ってしまうのは、見ているだけで浮き足立ってしまうような、男の持つ怪物じみた鋭さのせいだろうか。
カイジがかつて『しげる』と呼んでいた少年は、今よりもずっと背が低くて体も華奢で、神懸かり的な博才を持つくせにちょっとからかうと忽ち不機嫌になるような、クソ生意気なガキだった。
目の前の男は、カイジの記憶の中の少年とあまりにかけ離れすぎていて、
「ねぇ、昔みたいに呼んでみてよ。『カイジさん』」
男にそう言われても、現実を受け止めきれないカイジの舌は固まって動かず、とりあえず落ち着くためにポケットからタバコを取り出し、一本抜いて咥える。
ライターで火をつけていると、男の肩が揺れた。
「変わらねえな、あんた。動揺してるんでしょ」
笑いながら指摘され、カイジの眉が寄る。
図星だった。動揺すると無性にヤニが欲しくなって、つい吸ってしまう。
それはずっと前から染みついているカイジの癖のようなもので、それを知っているということはやはり、この男はあの少年なのだろう。
苦い顔でフィルターを噛み潰すカイジを眺めつつ、男もまた、四角いパッケージをポケットから取り出した。
白と水色。ハイライトか、吸ったことねえなと思いながら、タバコを薄い唇に挟むゆったりとした仕草をカイジは見つめる。しげるがタバコを吸うのを、当然だがカイジは見たことがない。重たい煙を深々と吸い込む男の慣れきった様子を、なんとも形容しがたい気分で眺める。
ふわりと漂ってくる、嗅ぎ慣れない匂い。なにもかも、数年前とは違いすぎる。この真っ白な頭も、ずっとずっと目線の下にあったはずなのに……
なんてことをぼんやり考えながら、カイジは左手を、自分とほぼ変わらない高さにある白い頭の天辺へと伸ばした。
ほとんど、無意識の動作だった。ぼーっとしたまま白い髪を掻き混ぜてから、己の行動の突拍子もなさにハタと気づく。慌てて手を引っ込めかけたが、男の表情を見て動きを止めた。
「……なに? いきなり」
「い、いや……」
不審そうな男の声を聞きつつも、カイジは食い入るように男の顔を見つめたまま、固まっていた。
カイジの掌の下にある、温度の低い怜悧な表情。それが微かに、歪んだように見えたのだ。
色つきの水をほんの一滴だけ、透明な水の中に垂らしたみたいな、一瞬のごく淡い変化だったけれど、カイジは確かにそれを見た。
ちょっとふて腐れたような、不機嫌そうな顔。
記憶の中の少年も、よく同じような顔をしていた。いつも少年のワガママに振り回されていた腹癒せに、思いっきり子供扱いして、目線の遙か下にあった頭を撫で回してやったときなんかに。
実年齢よりずっとずっと大人びていた十三歳の少年は、煩わしそうにしながらも無表情を貫いていた。憤りを顔色に出せば、余計にからかわれると解っていたのだろう。
それでも、隠しきれずにほんのわずか、滲んだ表情の変化にカイジは気がついていた。
ついつい、笑ってしまいそうになるのを堪えるのに苦労したものだ。常に冷静沈着な少年が覗かせる、どんな時よりも幼く子供めいた表情。
その時の少年の姿が、目の前の男が垣間見せた表情に重なる。
瞬間、鍵がカチリと回って急に扉が開いたかのように、しげると過ごした日々の記憶がカイジの中に溢れ出てきた。
心の奥深くに長いこと眠ったままで、カイジ自身すら忘れかけていたはずのそれらは、鮮やかに息を吹き返し、色とりどりの洪水のようになって押し寄せてくる。
今よりもずっと背が低くて体も華奢で、神懸かり的な博才を持つくせにちょっとからかうと忽ち不機嫌になるようなクソ生意気なガキは、数年の時を経て姿こそ変わっているけれど、確かに今、カイジの目の前にいた。
「お前……本当に、しげるなんだな」
ぽつりと漏らしたカイジの呟きに、男は眉を顰める。
「今さら、なに? 寝惚けてんのか、あんた」
呆れたような男の声は、今初めてカイジの耳に懐かしく響き、
そうか。
ぽつりとそう呟いて、カイジは笑う。
「デカくなったな、お前」
もう一度、白い髪をくしゃりと撫でてやると、男は煩わしそうにカイジを睨みつける。
「なんなんだ、あんたは……」
不機嫌そうにぼやいて、それでも昔の名残か、黙ってされるがままになっているのが可笑しくて、カイジはやっぱり笑う。
笑って、笑いすぎて咳き込んで、目端に滲んだ涙を拭いながらも、しばらく笑い止まなかった。
終
[*前へ][次へ#]