前髪 学パロ いちゃいちゃ



 その日、昼近い時間に登校したアカギは、偶然、よく見知った顔を下駄箱で見つけた。
 特徴的な長い黒髪、大きく吊り上がった目、シャープな輪郭。
 もう九月も半ばを過ぎたけれども、半袖の開襟の、白い裾をだらしなく出しっ放しにしている。
 欠伸をしながら薄汚れた上履きを脱ぎかけるその男子生徒は、伊藤開司ーーアカギの恋人であった。

 まだ四限の授業中のはずである。出席日数を稼ぐため真面目に登校してはいるようだが、サボり癖まではなかなか直らないようだ。
 左手に、弁当の包みを提げている。外は清々しい秋晴れだし、どこか陽当たりのいいところで早弁するつもりなのだろう。

 おはよう、と声をかけようとして、アカギはふと、瑣末な違和感を覚えた。いつものカイジの様子と、どことなく違うように感じたのだ。
「髪……」
 すぐに思い至った違和の正体をぽつりと呟くと、カイジの肩が大袈裟なほど大きく揺れ、その顔がアカギの方を向いた。
「あっ……、よぉ……」
 アカギの存在に気づき、ぼそぼそと挨拶してみせるカイジの、髪が全体的に昨日よりすこしだけ短くなっている。
「切ったでしょ?」
 アカギが言うと、カイジは前髪を落ち着かなさげに触りながら頷く。
「自分でやった。金、ねぇし……」
 カイジのことだ。親から支給された散髪代を、べつのことで散財してしまったのだろう。

 セルフカットの仕上がりに自信がないのか、カイジは顔を隠すように右手を顔の前に持ってきて、しきりに前髪を弄くっている。
 その仕草にうすく笑い、アカギはカイジに近づく。
 手首を掴んで顔の前から退けさせると、カイジはちょっと驚いたような顔をしたあと、それを取り繕うように渋面を作り直した。
「……んだよ?」
 内心の動揺を隠すようにぶっきらぼうな声を聞きながら、アカギはカイジの顔をじっくりと見る。
 カイジは意外に手先が器用だ。その長所は己の髪を切る上でも遺憾なく発揮されたらしく、全体的にスッキリと梳かれたその髪型は自然で、言わなければ自分で切ったのだと気づかれることはないだろう。
 ただ、前髪だけはすこし切りすぎたようだ。本人もそれを自覚しているから、太い眉にギリギリかかる位置にある毛先を、せわしなく触っていたのだろう。

 前髪の隙間から、いつもより広く覗いている額をアカギがなんとなく眺めていると、沈黙に焦れたカイジがぼそりと言う。
「おい……」
「ん?」
「いい加減、手ぇ離せ……」
 仏頂面の目線は、うろうろと彷徨いながら斜め下へ逃げている。
 アカギはニヤリと笑った。
「嫌だ」
 右手首を掴んだまま、逃げる視線を捕まえようとするように覗き込むと、カイジは舌打ちして嫌そうに顔を背ける。
 切りすぎた前髪のせいでただでさえ幼く見えるのに、意地っ張りなその表情が拍車をかけ、見たことのない中学生の頃や、あるいはもっと前の、少年だった頃のカイジの面影が重なって見えるような印象をアカギに与えた。
 その顔を眺めるうち、なんとなくカイジの気を引きたくなって、アカギはカイジの肩の前に垂れた髪に手を伸ばし、昨日よりちょっとだけ不揃いになった毛先を、指で掬うようにして撫でてみる。
「っ……」
 瞬間的に息を飲み、カイジはその身を硬くした。
 意外な反応にアカギは目を丸くし、それから可笑しそうに喉を鳴らす。
「髪の一本一本にまで神経が通ってるみたいに、敏感なんだな、あんた」
 肩を揺らして笑われ、カイジは吊り上がった眦を鮮やかに染める。
「うるさいっ……お前が、気色わりぃことするからっ……!」
「あらら……オレのせい?」
 くっくっと笑い続けるアカギを、カイジは恨めしそうな顔で睨みつける。
 真正面からぶつかってくる視線に、アカギはますます目を細め、カイジの手を離さぬまま言った。
「カイジさん、昼飯、つき合わせてよ」
「……嫌だ」
 すぐさまバッサリと切り捨てられたが、アカギは軽く受け流して言葉を続ける。
「まぁそう言うなって。オレの飯買うついでに、購買で好きなもん奢ってあげるから」
 アカギの言葉に、頑なだったカイジの表情がぴくりと動く。
 目の前に餌をちらつかされた警戒心の強い犬のような顔でしばらくアカギを見たあと、カイジは低い声でぼそりと呟いた。
「……焼きそばパン」
「わかったよ」
「笑うなっ……! くそっ、メロンパンも追加してやるっ……!!」
「はいはい」
 適当に返事をしながらもアカギは笑いを収めることなく、掴んだままのカイジの手を引いて購買へと足を向けるのだった。





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