病葉 神域没後 ただの日常話 短文



 マルボロのカートンが入ったコンビニ袋を提げ、一年にほんの数回だけ歩く道を行く。
 風に吹かれてざわざわと、数多ある腕を競って撓らせる並木道。
 鮮やかな緑の中に、明らかに異質な色を見咎めて、カイジは足を止める。

 それは、カイジの目線よりすこしだけ高い場所に張り出した、一本の梢の先にあった。
 燃え盛る炎の色に染まった、一枚の葉。
 瑞々しく生い茂り、輝く青葉の中で、まるで生き急ぐかのようなその色は、カイジに強い既視感と目眩を齎した。





「病気なんだよ」
 かつて、笑ってそう自分に告げた男の瞳も、同じ色をしていた。
 疎らな短い睫毛の下でちらちらと、静かに揺れる炎の色。

 すこしずつ物事がわからなくなっていく病なのだと、男に説明されるまでもなく病名を聞いた時点でわかっていた。
 動揺は、もちろんあった。その頃すでに、病気は脳の大部分を蝕んでいただろうに、男がその片鱗をちらとも覗かせず、一見するとなにも変わらないように振る舞っていたから、その告白はまさに青天の霹靂のようにカイジの体を打ったのだ。
 しかしその後に聞かされた、男がひっそりと下した決断の方が、病の告白よりもなお、強い衝撃をカイジに与えた。

 病気というなら、その男の生き方こそが、ほとんど病と呼ぶに相応しい。その時、カイジはそう思ったのだ。
 自分が自分であるうちに自らの命を絶つ、などと、そんな考えは常人のそれではない。よしんば頭を過ぎったとしても、実際それを実行に移す手筈を整えたりはできないだろう。
 そして、そこまで行き着いてしまった以上、この男は必ず成し遂げる。なにがあろうとも、誰が止めようとも、きっと。

 狂おしいほど、そんな生き方しかできない男だったのだ。
 わかっていた。けれど、止めずにはいられなかった。
 そんなことをしても無駄だと絶望的にわかっていながら、カイジは泣いて縋ったのだ。
 男はすこしも表情を変えることなく、白い瞼で瞬いては、灯のような瞳にカイジを映していた。




 名残蝉の声が頭蓋の中で反響して、わんわんと響く。
 ひどくなる目眩に、とうとうカイジは立ち止まった。
 汗が額から噴き出し、輪郭を伝って流れ落ちていく。

 あの時止めなければ、静かにただ見送ることができていれば、未だこんなに引き摺ることはなかったのだろうか、とカイジは思う。
 だけど考えれば考えるほど、そんなことできたはずがなかった。死を選んだ男が自らの生き様を貫き通したというのなら、心のどこかで諦念を抱きながらも全力で止めたカイジもまた、自身の生き様を貫き通したといえるのだ。

 首筋を濡らす汗が冷えていくのを感じながら、カイジは深呼吸をし、不安定にぶれる視線を定める。
 
 この目眩も未だ苦み走る胸も、いずれは消化し、乗り越えていかなくてはならない。

 風が吹き、そこだけべつの色の絵の具をなすったように視界の中を揺れる朱殷の葉。
 命を燃やして死に急ぐようなその色と同じ瞳を持っていた男の墓へ向かうため、カイジはコンビニ袋の持ち手を確と握り直すと、その場から一本、踏み出した。






 

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