祭りの前 『???の嫁入り』の続き しげるが神さまなパラレル ケモ耳しっぽ注意


「面倒くさい……」

 夕飯を食い終えた途端、そう呟いて机に突っ伏してしまった同居人(?)に、カイジは口いっぱいに頬張った飯を急いで噛んで飲み下した。
「どうしたんだよ、いきなり。なんかあったのか?」
 白い髪の間から見え隠れする、これまた真っ白な狐の耳を見ながら問いかけると、その耳がピクリと動き、少年が不機嫌そうな顔を上げた。
「あんた、明日がなんの日なのか、知らねぇのか?」
 問い返され、カイジは一瞬答えに詰まる。

 一つ屋根の下での奇妙な同棲生活が始まって、約一年と二ヶ月。少年から『明日はなんの日?』などと問いかけられたことなど今までなく、カイジは暫し、考え込んでしまう。
 沈黙が続く間も、少年の物憂げな表情は晴れない。
 その顔と、さっきの『面倒くさい』という言葉を統合して考え、ピンときたカイジは壁掛けのカレンダーを見る。
「祭りか……」
 八月の第二日曜日。確かその日は毎年、近所の神社で祭りが行われているはずだ。
 案の定、気怠げに頷いてみせる少年に、カイジは呆れた。
「お前が面倒くさがってどうするんだよ。一応、主役なんだろ?」
 この獣耳の少年は、件の神社に奉られている神さまなのである。今は人間の姿をとっているが、本当の姿は白銀の見事な毛並みをもつ狐で、訳あってずっとカイジのうちに居候しているのだった。

 ふん、と馬鹿にしたように鼻を鳴らし、少年はごろりと床に横になる。
「仰々しいことも煩いことも、性に合わねえ……あんたと遊んでるほうが、よっぽど面白いよ」
「お前なぁ……」
 カイジはため息をつき、頭を掻く。
 少年がストレートにそう言ってくれるのは正直、悪い気はしないのだが、カイジの行くところにならどこにでもついてくるこの神さまに、カイジはパチンコだの競馬だのといった類の、偏った遊びばかり教えている気がするのだ。

 もちろん、カイジだって好きで教えているわけじゃない。
 ついてくるなと何度言おうが狐耳東風で、道中撒いてしまおうと画策しても神さま相手に通用するはずもなく、いつの間にか先回りされてしまう。
 食指が動くと、子供らしくあれこれ質問してくるのだが、カイジが適当なことを言ったり黙したりして少年の機嫌を損ねれば、得体の知れない神通力のようなものを行使して無理やり聞き出そうとしてくるので、結局そうなる前に慌てて教えてやる羽目になる。

 計り知れない力を持つ子供というのは、本当に始末に負えなかった。
 目下、人間のことについてお勉強中のこの神さまが興味を示すのは、専ら下界の博打のことばかり。
 しかも、どうやら少年は天界から厳しく監視されているらしく、渋々とはいえ少年にあまりよくないことばかり教えている自分にもそのうち罰が下るのではないかと、カイジは最近ヒヤヒヤしているのだった。


 だから少年の口から祭りの話が出たことで、カイジは些かほっとした。
 出会ってから初めて、少年がちゃんとした神さまらしいことを口にしたからである。

「祭りの時って、お前なにしてんの?」
 興味本位でカイジが訊くと、少年はごろんと寝返りをうちながら答える。
「いろいろ……古い結界を張り直したり、参拝した人間たちの願いを聞いたり、それを叶えたり叶えなかったり、とか」
 話しているうちに思い出してきたのか、少年はまるで日曜の夜のサラリーマンみたいにげんなりした表情になると、
「今日はもう寝る。……明日のことは、明日考える」
 そんな、神さまらしからぬことを口走って、床に伸びた体をもぞもぞと丸めてしまう。
「あっ、おいっ……! そんなとこで寝るなって……、」
 いつも言ってんだろうがっ、と続ける前に、少年はさっさと目を閉じてしまう。
 すると、たちまち少年の体の輪郭が、空気に溶け出すように白くぼやけ、次にはっきりと像を結んだときには、すでに一匹の白狐へと変化していた。
 ドーナツみたいに体を輪っかにして、ふかふかとした自身のしっぽに顔を埋め、すやすや眠る神獣を見て、またオレがベッドに運ぶのかよ、とカイジは今日何度目かのため息をつく。
 この神さまと一緒に暮らし始めた当初は、多少なりとなんらかの御利益など期待したカイジだったが、変わったことといえば、ため息をつく回数がぐんと増えただけである。
 おかしい。逃げてってねえか? オレの幸せ……。
 そんなことを思いながら、カイジは食べかけの晩飯を、ヤケクソのように勢いよく掻き込んだ。


 
 翌朝。
「……ねぇ、そろそろ起きなってば」
 強く肩を揺さぶられ、ムニャムニャいいながらカイジは目を覚ます。
 焦点のぼやけた視界の中、学生服姿の少年が、ベッドの上に胡座をかいてカイジを見下ろしていた。

 窓の外は薄明るくなってはいるものの、感覚的に明らかに眠りが足りていない気がする。
 眉を寄せて枕許の携帯を引き寄せ、カイジが時刻を確認すると、まだ早朝の四時半を回ったところだった。
「……どうした、こんな朝早く……」
 欠伸を噛み殺しながらカイジが訊くと、苦虫を噛みつぶしたような顔で少年はぼそりと言う。
「いい加減そこを退いてくれねえと、神社に行けねえんだけど」
『神社』というワードで昨夜の少年とのやり取りを思い出し、半分寝ていたカイジの意識がわずかにはっきりとする。
「えっ、お前……ひょっとして、今から祭りの準備に行くのか?」
 少年はその質問を無視し、ギロリとカイジを睨みつける。
「いいから、そこをどけ。……本当に罰当たりな人間だな、あんた。オレのしっぽを枕にするなんて」
 言われて、カイジはハッと気づく。
 頬に当たるふかふかの感触、ひんやりとした極上の毛並み。
 思わずガバリと起き上がると、少年は下敷きにされていた太いしっぽを、忌々しげにバサリと大きく振った。
「はは……悪ぃ悪ぃ」
 ヘラヘラとカイジが謝り、少年は横目でカイジを睥睨する。

 カイジがこうして、少年のしっぽを枕にして眠るのは、実は初めてではない。……というか、かなりの頻度でやってしまっている。
 数ヶ月前、獣姿で眠る少年を見て、興味本位でやってみたら、見事にハマってしまった。
 罰当たりな行いだということは百も承知だが、ちょうどいい冷たさと抜群の肌触りがもたらす心地よい眠りは、病みつきになるなと言う方が無理な相談である。
 ほぼ毎晩、しんどい思いをしながら眠る少年をベッドに運んでやっているのだから、これくらいのご褒美はあってもいいだろう、と思う部分もあるし、一応、神さまらしい慈悲の片鱗なのか、少年も嫌そうな顔はすれどもカイジの頭を無理やりしっぽから落としたりはしないので、カイジはすっかり少年のしっぽを自分専用の枕のように扱ってしまっていた。

 大きな欠伸をしながら、首の骨をポキポキと鳴らすカイジを横目に、少年はふわりとベッドから降り、スタスタと玄関に向かう。
「おい、ちょっと待てっ……!」
 カイジが声をかけると、少年は立ち止まって振り返る。
「オレも、一緒に行っていいか?」
 軽く見開いた目を瞬いたあと、少年は細い眉を不審げにぎゅうっと寄せた。
「……なんで?」
「なんでって……、お前が神さまらしいことすんの、オレ見たことねえし」
 要するに、興味本位なのである。
 頬をぽりぽりと掻きながら、「ダメか?」と訊くカイジに、少年はやや呆れ顔で答える。
「オレが仕事する祠の中には、人間は立ち入れないよ。残念だけど」
「なんだ、そうなのか……」
 あからさまにがっかりするカイジの様子を見て、少年はしっぽを軽く揺らした。
「だけど、まあ……鳥居の前までついてくるくらいなら……」
 ぼそりとそう言って、顔を上げたカイジと目が合うと、少年はまたしっぽをひとつ揺らす。
「あんたの言う『神さまらしさ』ってのがどういうのかは知らねえけど。ひさびさに正装するから、気になるならついて来ればいい」
 少年はそこで言葉を切り、カイジの顔をじっと見る。
 正装?
 それってどんなんだよ、と尋ねようとして、カイジはやめた。
 様子を窺うような、少年の赤い瞳を見る。考えてみれば、少年がカイジになにかを提案したことなんて、今までなかったかもしれない。
 せっかく神さま自ら誘ってくれたのだ。それに乗らないなんて、それこそ罰当たりだといえよう。
「待っててくれ。すぐ着替えるから」
 少年に向かってそう言うと、カイジは急いでベッドから飛び降りた。


 夏の朝の空は高く、雲ひとつなく澄み渡っている。
 相当な早起きをしたために、少年と並んで歩きながらもカイジは欠伸が止まらなかった。
 だが、息を大きく吸い込む度に、朝の清浄な空気が体の中に入ってくるようで、歩を進めるごとにはっきりと体が目覚めていく感覚は悪くない。

 少年は耳としっぽを隠し、普通の中学生のような顔をして堂々とカイジの隣を歩いている。
 不思議と日中より暑苦しく感じない蝉の声を聞きながら、偶には早起きもいいもんだなとカイジは素直に思った。




 しばらく無言で歩いて、真っ赤な鳥居の前に到着した。
 傍らには少年の獣姿によく似た、白い狐の像が鎮座している。

 少年はカイジの顔をちらりと見ると、「あんたはここで見てな」と言い置いて、スタスタと離れていく。
 そして、鳥居のちょうど真ん中あたりまで来ると、顎を上げ、ぴんと背筋を伸ばして軽く息を吸った。

 少年が一歩、鳥居の中へと踏み込んだ瞬間、カイジは目を瞠った。
 一瞬、という言葉では長すぎるほどの刹那の間に、少年の姿が一変したからだ。

 一点の汚れもない、純白の狩衣。首許や肩の切れ目から覗く単と、指貫だけが鮮やかに赤い。
 よく見ると、同じ赤でも単と指貫の色は微妙に違っていて、単の方は黄みを帯びた朱に近い赤、指貫は満開の椿のような濃い紅色である。
 それらの色は、少年の紅玉のような瞳の赤ともまったくべつの色に見えて、それぞれ違う煌びやかさが、カイジの嘆息を誘う。

 朝日を照りかえすほどの光沢を持つ、黒くて高い沓を鳴らし、少年はカイジの方にきちんと向き直る。
 髪と、頭の上にある狐の耳、それから体の後ろにあるしっぽは、狩衣よりもずっと白く深雪のように輝いて、見る者の目にくっきりと焼き付く。
 両の狐耳の下には、黄金の紐で複雑に編まれた飾り紐が、左右対称になるようにつけられている。花を模した形のそれは、まるで夜明けの光を編んで作られたようで、そこから下に向かって垂らされている金色の房は、雲間から差しこむ一筋の光芒そのものだった。


 気高く荘厳で、人を惹き付けてやまない姿。
 これが、神さまである少年の、本来の姿なのだ。
 それなのに、なぜだか長く直視し続けることができないのは、カイジの中に自然と『畏れ』という心が芽生えたためであろう。
 不躾な視線など送ろうものなら、その神々しさに目を灼かれてしまう気がするのだ。

 まるで、時が止まってしまったかのような錯覚を覚え、口を半開きにしたまま、目も眩むようなその姿をちらちらと盗み見るようにしているカイジに、少年が言う。
「間抜け面……」
「う、うるせぇっ……ちょっと、ビックリしただけだっ……!」
 そう啖呵を切り、思い切ってカイジが顔を上げると、少年は意外にも落ち着かなさげな表情で、しきりに耳と尾をぴくぴくと動かしていた。

 当然だが、神さまの正装は、非の打ち所なく少年に似合っている。しかし当の本神は、まるで服に着られているみたいに、居心地悪そうな顔をしていた。
 正装に慣れていないのと、それを同居人であるカイジに見られているというむず痒さがあるのだろう。

 カイジはてっきり、その姿に圧倒された自分を、少年が嘲っているとばかり思い込んでいた。
 なんだか肩透かしを食ったような気分になり、カイジは思わず噴き出してしまう。
「……なに」
 口をへの字に曲げる神さまは、身を包む服こそ変わってはいるが、中身はカイジのよく知る少年のまんまで、カイジはそれに安心し、なぜだか無性に嬉しくなったのだ。
「馬子にも衣装ってヤツだな」
 多少、落ち着きを取り戻したカイジは、しみじみと少年の姿を眺めながら頷く。
「まご……?」
 微かに首を傾げる少年に、
「そうしてると、一応ちゃんと神さまらしく見えるってことだよ」
 カイジがそう言うと、少年はますますむくれた顔になり、ふいと顔を背けた。
「もう、行くから」
 硬くて歩きにくそうな沓をカラコロ鳴らしながら、踵を返す少年に向かって、カイジはニッと笑う。
「しっかり仕事しろよ、神さま」
「こっちの台詞……あんた、今日もバイトだろ?」
「終わったら顔出すから、ちゃんとオレの願い事、叶えてくれよな」
 カイジの軽口を鼻で笑い飛ばし、少年はしっぽを一振りして境内を歩いていく。
 金の雫が滴るような朝日に照らし出され、赤と白の陰影がより深まるその背中は、まるで一枚の絵のようで、やはり息を飲むほど美しかった。



 鳥居の前で少年の姿が見えなくなるまで見送ったあと、カイジは大きく伸びをして、体から力を抜いた。
 少年がいなくなっただけで、周りの風景が急にトーンダウンしたように見える。
 よくわかんねえけど、あいつって本当に、ちゃんとした神さまだったんだな。
 そんな、少年が聞いたらひどく怒りそうなことを思いながら、カイジもまた、鳥居に背を向けた。

 陽は既に空高く昇りつつある。暑くなっちまう前にさっさと帰ろうと、ポケットに手を突っ込んでカイジは歩き出す。
『早起きは三文の得』とは、なかなかどうして、言い得て妙なのかもしれないと思いながら。




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