地球は丸い 過去拍手お礼




「地球は丸いからね」

 別れの間際、アカギが漏らしたそんな呟きを、カイジは眉を寄せて聞いていた。

 アカギとカイジ。ギャンブルに脳を焼かれたふたりが出会い、別れたのはずっと前のこと。
 真逆に見えて根底は同じ、博打狂いのふたりは出会うべくして出会い、そして別れるべくして別れた。

 死に物狂いで生きるカイジと、死にたがりのアカギ。
 そんな真逆のふたりがともに歩むには、いずれ限界がやってくることを、ふたりは薄々感じていた。

 それでもどちらかが相手の人生に沿うように生き方を曲げることなど、ふたりはそんなこと望んでいなかった。自分が曲げることも、相手が曲げることも、どちらも良しとしなかった。

 正反対ながら、ふたりは互いの生き方を心から尊重し、敬愛していたのだ。
 しかしそんなふたりだからこそ、遅かれ早かれ別離がやってくるのは、当然のなりゆきであったといえた。根底に流れる博打に対する姿勢は限りなく似ていて、惹かれ合っていることを自覚しながらも、ふたりは離れていく運命なのだった。



 最後の日、アカギはカイジの部屋でゆっくりとタバコをふかしながら、呟いた。
「これ吸ったら、行くよ」
「……ん」
 カイジはアカギの方を見ないまま、頷く。
 鋭いその眼差しがどんな色をしているのか見たくなったアカギが、
「泣いてる?」
 横顔を覗き込んで茶化すと、カイジはアカギをすこし睨んだ。
「アホか。泣くかよ。泣くようなことなんざ、いっこもねえんだから」
 はっきりとそう言い切ったカイジの強い眼差しを正面から見て、アカギは静かに口角を上げる。
「そうだね」
 この別れはふたりにとって必然だった。互いの生き方を貫くための別れなのだから、決して暗いものではない。別れという選択さえ、自分たちらしさに溢れているとカイジは思っていた。

 短くなっていくタバコを眺めながら、カイジは口を開く。
 そのまま、長いこと逡巡してから、
「……死ぬなよ」
 結局その言葉をアカギに投げた。

 アカギはわずかに目を細め、白い煙を吐き出しながらカイジを見る。
「あんたもそのまま、いきなよ。立ち止まるな。そうすれば、いつかーー」
 そこで言葉を切り、意味深な浅い笑みを浮かべてアカギは続けた。

「地球は丸いからね」
「は?」

 唐突な言葉の意味を理解できずに眉を寄せているカイジにそれ以上なにも言わず、アカギは灰皿にタバコを押し付け、いつも持ち歩いている鞄を手に取って部屋をあとにした。

 扉の閉まる音がして、カイジはふっと息をつく。

 死ぬなよ。

 アカギの出ていった方向を睨むようにして、もういちど、心の中で呟いた。

 







 世界は広い。

 自分の真逆の生き方をしているアカギには、もう二度と会うこともないだろうと、カイジはそう思いながら、不器用な自分の生き方を貫き、命からがら這いつくばるようにして、なんとか今まで生き延びてきた。


「ーーなのに、どうしてお前がこんなとこにいるんだよ?」


 蹴りつけられた背中の痛みも忘れ、カイジは驚きの声を上げる。
 その目線の先で、床に胡座をかいたアカギが口端を吊り上げた。

「相変わらずだね。元気そうでなによりだ、カイジさん」
 まるでまた出会うことがわかりきっていたかのようなアカギの台詞に、カイジは呆然と呟く。
「お前とは、二度と会うこともねぇと思ってたのに」
「……再会を喜ぶ前に、とりあえず、体起こしたら」
 冷静に声をかけられ、カイジは無様に床に蹴り転がされたままだった体をようやく起こす。
 そこで初めて、体のそこここに鈍く走る痛みを自覚し、顔を歪ませながらもカイジは改めてアカギを見た。

 最後に会ってから、五年以上が経過している。
 にもかかわらず、派手になった服装以外を除いて、アカギは別れた時とそう変わらないように見えた。
 アカギの白いスーツには、ところどころに赤いシミがついていて、酷薄そうなうすい唇の端にも、よく見ると赤茶色の血が固まっていた。その様子を見るだけで、アカギがだいたい自分と似たような経緯でこの場所へ連れてこられたのだと、容易に察することができた。

 乾いた血のついた唇を歪め、アカギは笑う。

「言っただろ。地球は丸いって」

 唐突な言葉。
 確かな既視感に眉を寄せ、そしてカイジは思い出す。
 アカギが数年前の別れのとき、最後に呟いた言葉。考えても意味のわからなかったそれを、カイジは今このときまで、すっかり忘れていたのだ。

 アカギは愉しそうに続ける。
「まったく真逆の方向へ向かっていても、進むのを止めない限り、きっとあんたとまたこうして巡り会うって、オレにはわかってたよ」
 言葉どおり、この再会を予期していたかのように落ち着き払っているアカギの様子に、カイジは眉間の皺を深くする。
「……地球は丸いから?」
「そう」
 ーーふざけたことを言うヤツだ。
 静かに頷くアカギに、カイジは舌打ちしたい気分になる。

「お前、そういうこと言うヤツだったっけ」
「あんたに感化されたのさ」

 忌々しげなカイジの台詞にも、アカギはすこしも動じない。
「ーー久しぶり」
 改めてアカギに言われ、カイジはなんとなくそっぽを向く。
 尖った目許が、心なしか昔よりも和らいでいる気がする。離れていた年月のギャップが、こういう些細なことに顕れている。
 しかしそれはカイジから見れば決して悪くない変化だと思えたし、再会だって喜ばしいことだとは思う、けれど。

 あーとかうーとか叫んで、カイジは頭をバリバリと掻き毟る。
「……べつに、いいけどよ。なんか、格好つかねえ……っ」
 二度と会わないだろうと思っていた相手に、こんな場所でバッタリと出会し、しかもそう思い込んでいたのが自分だけだったという事実に言いようのない気恥ずかしさを覚え、唸り声を上げるカイジに、アカギは喉を鳴らす。
「……なにが可笑しいんだよ?」
 横目で睨んでくるカイジの目を覗き込むように見て、アカギは悪戯っぽく笑った。
「嬉しいのさ。あんたが曲げてなかったって、わかったから」

『あんたもそのまま、いきなよ。立ち止まるな。そうすればーー』

 別れの間際にアカギが呟いたこの言葉の意味を、カイジはここへ来て初めて理解した。
 互いに真逆の生き方をしているふたりが、自分の生き方を曲げずに進み続ければ、丸い地球の上、こうして再会できるとアカギは言っていたのだ。

 言葉どおり、やたら嬉しそうな様子のアカギに見つめられ、カイジは照れ隠しのように口をへの字に曲げた。
「……お陰で今、このザマだけどな」
 ため息をつきつつ、カイジは辺りを見渡す。

 倉庫のような、埃臭くて狭い部屋。ふたりが閉じ込められているのは、そういう場所だった。
 無論、出口のドアは固く閉ざされている。

「……お前、あいつのイカサマ見抜いたんだろ?」

 カイジの問いかけに、アカギは「まぁね、」とだけ答える。

『あいつ』というのは、つい今しがた、カイジが糾弾したカジノのディーラーだ。
 カジノというのは普通、イカサマなどしない。しかしそのディーラーは違った。恐らく荒稼ぎした金を、いくらかピンハネしているのだろう。

 カイジはそれを看破したが、騒ぎが大きくなる前に黒服に押さえつけられ、この場所へと連れてこられたのだ。どうやら、店側も儲けを得るため、イカサマを黙認していたらしい。
 アカギもここに閉じ込められているということは、相手のイカサマを見抜いたに違いないとカイジは踏んだのだ。

「お前のことだ。どうせイカサマ逆手にとって、派手に毟りでもしたんだろ」

 カイジが言うと、アカギはクク、と笑い、カイジに顔を寄せる。
「ーーここから出るには、ひとりじゃちょっと厄介そうだと思ってたんだ」
 やっぱり愉しそうなアカギの顔に、カイジは目線を上へ投げてため息をつく。
「相変わらずだな、お前も」
 そう言いながらもカイジは腰を上げ、汚れた服をパンパンと手ではたく。

「ここ出たらあいつらに絶対、ひと泡吹かせてやる。ーー行くぞ」

 目の前の扉をひたと見据えるカイジの横顔を見上げ、アカギは別れたときそのままの顔で笑い、静かに立ち上がった。







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