午睡


 激しい蝉しぐれと、窓から吹き込むぬるい風の膚ざわり。
「しげる」
 自分の名を呼ぶ低い声に、しげるはふっと目を覚ます。
 なにか柔らかい感触が、鼻先を擽った。


 ぼんやりとなんどか瞬いて、自分が目の前の人間にしがみついて眠っていたという状況を把握する。
 しげるの方が背は低いが、相手の頭はちょうど顎の下あたりにあって、深く抱き込むような形になっている。
 鼻先を擽っているのは、微かに湿った黒い髪だった。

 一時間ほど前にカイジと一緒に入眠したときは、もちろん、こんな体勢じゃなかった。
 寝相が悪いとかいうレベルではないと、呆れを通り越して自分で自分に感心していると、目の前の体がもぞもぞと動き、
「暑い」
 と不満を漏らした。

 確かに、体の重なった部分が熱を持っている。
 しげるの体温はそう高くないのだが、カイジは暑がりなのだ。密着した膚が、うっすら汗ばんでいるのがわかった。
「うん」と生返事をして、しげるがそのままじっとしていると、喉のあたりにカイジが吐いたため息が当たった。
「『うん』じゃなくって……離れろって」
「うん」
「……」
 しげるに動く気がないことを悟ったのか、カイジはウンザリした様子で沈黙する。再度吐かれたため息で、しげるの喉元が熱く湿った。

 カイジを解放する代わりに、しげるは黒い頭を抱き、髪に顔を埋めて軽く息を吸う。
 一時間ほど前にシャワーを浴びたばかりの髪からは、清潔な匂いがする。
 水とせっけんと、それから微かなカイジの匂い。
 なんとなく、しげるはそのまま唇を動かし、硬い髪を草食動物のようにもそもそと食んでみた。

 カイジは諦めきったように、力を抜いてしげるの好きにさせていたが、やがて、
「お前……、さては腹減ってんだろ?」
 ぼそりとそう言った。

 思いがけない言葉に、しげるは動きを止める。
 そんなことない、と否定しようとして、止めた。言われてみれば、確かに腹が減っているような気がしてくる。
 自覚したとたん、空腹感はたちまち大きく膨らんでその存在を主張し始め、空っぽの胃がキリキリと痛み出した。
「ほら……メシ作るから、お前も手伝え」
 問いかけの返事も待たずにそう言って、カイジはしげるの背をぽんと叩く。
 促されるまま、しげるはしがみついていた腕と足をゆるゆると解き、カイジから離れた。

「それにしても暑いな……メシ、なんにしよう……」
 欠伸混じりに大きく伸びをして、カイジはベッドから降りる。
 だるそうに立ち上がる後ろ姿を寝転んだまま見ながら、しげるは、
「なんで、あんたにはわかっちまうんだろう」
 そう、ぽつりと呟いた。

 しげる自身でさえ見過ごしてしまうような、空腹だとか疲れだとか体の不調だとかを、カイジはいつも容易く見抜いてしまう。
 己の体に割と無頓着なしげるは、カイジに指摘されて初めて、それらを自覚することがほとんどだった。

 熱さを伴って痛む胃のあたりに掌をあて、しげるは目を閉じる。ただ、本当はそこよりも、もっと上にある臓器の方が強く脈打ってうるさく存在を主張しているのだった。
 悔しい、と、嬉しい、が、ちょうど同じくらいずつ混ざり合って斑になる。
「カイジさんは、オレよりもずっと、オレのことよくわかってるんだね」
「……ん? なんだって?」
 振り向いて聞き返すカイジに、なんでもない、と言い返したあと、しげるはすこし考えて、
「すきだよ」
 とつけ加えた。







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