三秒



 湯気の立つ熱々のミートボールが、ぼて、と鈍い音をたてて机の上に落ちた。
 箸の先からそれを取り落とした張本人が、まるでそれに気付いていないみたいに、呆然とした表情で自分の顔ばかり凝視してくるので、しげるは逡巡した挙げ句、
「カイジさん……落ちてる」
 指さして指摘してやった。
「……えっ? ああ……!」
 ようやくそちらに目をやったカイジが、自分の粗相に気付いて慌てる。
 ころんとまるい肉の塊に、たっぷりかけられていた餡状のソースがべちゃりと机に散っている惨状をなんともいえない表情で見つめたあと、
「さ、三秒ルール、三秒ルールっ……!」
 と言いながら、カイジは落としたミートボールをつまみ直し、自分の口へと投げ入れた。
「あ、あっふ……!」
 瞬間、口中に熱さが広がり、盛大に顰めた顔を真っ赤にしてもごもごと口を動かしているカイジを見て、そりゃそうなるでしょと冷静に思いながら、しげるはグラスに入った麦茶を勧めてやった。

「三秒ルール……? ってなに?」
 麦茶とともに口の中のものを飲み下し、カイジが落ち着いたのを見計らってしげるが尋ねると、熱さの余韻に涙ぐんだ目でカイジはしげるを見る。
「お前、三秒ルールも知らねえのか……そうか……まあ、ヤーさんなんかは教えてくれねえよな、三秒ルール……」
 ぶつぶつと独りごちたあと、カイジは考えながらぽつりぽつりと説明する。
「落とした食い物は三秒以内なら汚れてないから、拾って食っても大丈夫っていう……そういうルールがあるんだよ、世の中には」
 うまく説明できているのかいないのか、歯切れの悪い言い方でそう締めくくったカイジに、しげるは不思議そうな顔で瞬きをする。
「ふーん……三秒? なんで三秒なの」
「知らねぇよ……決めたヤツに聞け。っつーか……」
 ぶっきらぼうにそう答え、カイジは箸先をぴたりとしげるに向ける。
「そんなことより、お前、さっきのアレは、な、な、なん……」
「さっきのアレ?」
 黒塗りの箸の先をじっと見つめてから、しげるはカイジに視線を移す。
 箸で人を指すのは良くないことだと、しげるに教えたのは他ならぬ自分だというのに、それすら忘れてしまうほど動揺しているカイジを見て、しげるは「ああ、」と声を上げる。
「あんたを好きだって言ったこと?」
「〜〜!!」
 途端に目を見開き、わかりやすく真っ赤になるカイジの様子に、ミートボールを取り落とさせたのは自分の告白だったのだと、しげるはその時初めて気がついた。
 大きな咳払いをひとつして、カイジは必死に平静を取り戻そうとしている。
「そ、それってつまり、どういう……?」
 可哀想なほどしどろもどろになっているカイジに、しげるはきちんと言い直そうと考える。
 三秒ルールのように簡単な世間の常識であっても、疎い自分にカイジは面倒臭がらず教えてくれるのだ。自分もカイジの疑問にはできるだけ誠実に答えてみようと、しげるは口を開く。
「……カイジさんはオレの知らないことをたくさん教えてくれるし、料理もうまいし、なにより面白くて一緒にいて飽きないから、好きだよ」
 言ってから、しげるは軽くため息をつく。どうにも言葉が足りないし、日ごろカイジに対して感じていることを言い尽くせている感じが全然しない。
 難しいなと思いながらカイジの顔を見て、しげるは軽く目を見開いた。
 うつむいて、せわしなく瞬きを繰り返すカイジはなぜか泣き出しそうに真っ赤な顔をしていた。
 初めて見るその表情に息を飲み、衝動を突き動かされるまま、しげるは言葉を続ける。
「……もちろん、ちゃんと下心もある。そういう意味での『好き』」
「っ、し、げ……!」
 ストレートな物言いに、カイジが顔を上げるのを待ってから、しげるは大きく身を乗り出す。
 箸を握ったままの右手を、己の左手で包み込むようにして握り、卓袱台越しに口づける。
 石のように体を固くして、それでも逃げずに受け入れるカイジに、しげるは目を伏せたまま、ふっと息を漏らして笑う。
「落としたら、三秒以内に食べなきゃいけないんだよね」
「……は?」
 聞き返したカイジの、うっすらと開かれた唇を割って侵入し、
「いただきます」
 礼儀正しくそう呟いて、しげるは自分の手に落ちた男の味見をするのだった。







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