Va où tu peux,  カイジ視点


 そのディーラーがイカサマをしてるってことに気がついたのは、ゲームに参加してしばらく経った頃だった。

 いい加減負けがこみすぎてうんざりし始めていたけれど、それも日常茶飯事と言えば日常茶飯事で、それまではさして怪しさなど感じたりしていなかったのだ。
 目の前から回収されていくチップを歯噛みしながら眺めていると、隣の男が声を上げた。
 チップを置いていた場所を示して、怒った様子でディーラーに何事か話し掛けている。ディーラーは顔色をさっと変え、謝りながら回収したチップを男の前に戻した。
 どうやら、勝ったのにチップを回収されてしまったらしい。新人なのだろうか? 落ち着き払ったカード捌きを見る限り、そうではないように思えたのだが。
 しかし、黒服の男が後ろから、このゲームを常に監視しているのも異様だ。オールバックに撫でつけられたディーラーの額に光る汗もすごいし、もしかすると調子が悪いのかも知れない。

 チップの回収ミスがあると、元々置いてあったチップはもっと多かったとごねて、より多くの配当を得ようとする客がいるらしいが、黒服の監視の目もあってか、男はしばらくぶつくさ言っていたものの、それ以上クレームをつけたりはしなかった。
 ディーラーは明らかにホッとした顔になり、気を取り直して次のゲームの準備にとりかかる。

 これで最後のゲームにしよう、と思いながら、雀の涙程度に残ったチップの半分をベットする。
 ゲームが始まり、ふとなにげなくディーラーの手許に目を遣って、一瞬、時が止まった気がした。
 その時感じたのは、ほんの些細な違和。ちいさな刺が指先にたったぐらいの、危うく見過ごしてしまいそうな引っかかりだった。
 ディーラーの手許を食い入るように見つめる。カードを操る鮮やかな手捌き。その素早さを目で追うのは非常に困難で、目を凝らしてもどこがおかしいのかわからない。だが、やはりどうしてもしっくりこない感じが拭い去れないまま、カードの配布が終わり、ゲームが進んでいく。

 結局この回もオレは負け、ベットしたチップは回収されてしまった。卓についた五人の客のうち、勝負に勝ったのはひとりだけ。思えば、オレがゲームを眺めていたときから、こういう勝敗がずっと続いている。些か、ゲームがディーラー側に傾きすぎているように思えるのは、ただ単に降って湧いた疑念にそう思い込まされているだけなのだろうか?

 隣の男が、首を横に振りながら席を立つ。迷った挙げ句、オレは意を決して残りのチップをテーブルの上に置いた。
 素寒貧になるかもしれない。だけど鉄火打ちとしての己の感覚が、どうしても見過ごせないと言っている、この些細な違和感を。

 ディーラーがカードを集め、シャッフルする。
 一挙手一投足も見逃すまいと、まじろぎもせずに見つめていると、ふと視線を感じた。
 ディーラーがオレの目線を追っているのだった。すぐに向こうの方から逸らされたが、刺すように鋭い視線だった。それはちいさな刺のようだった違和感を増大させるのに十分な異様さを孕んだ目つきで、オレはますます男の挙動を穴があくほど注視する。

 シャッフルを終え、右端から順にカードが配られる。
 オレの番がやってきて、ディーラーを真正面から見る。周囲の雑音が消え、視覚のみが研ぎ澄まされる。一瞬の出来事が引き延ばされ、スローモーションのように映る。
 ディーラーの指先がカードを弾いたその瞬間、オレは反射的に身を乗り出してディーラーの手を掴んでいた。
 完全に無意識下での行動だった。周りのざわめく声に、はっと我を取り戻す。
 掴まれた手を止めたまま、ディーラーは静かにオレを睨みつけていた。
 しまった、と思った。不審、あるいは好奇の目線に取り囲まれながら、オレはゴクリと唾を飲む。
 確かに見えたのだ、デッキの一番上ではなく、二番目のカードを繰り出すディーラーの指先。そうやって配るカードを調節していたから、不自然なほど勝率を上げることができたのだ。
 しかし咄嗟の行動だったとはいえ、いきなり相手の手を掴むのはマズかったと思う。この目で確と見たといっても、証拠がない限りは言い掛かりで片付けられてしまうだろう。
 かと言って、ここまできて引き下がるわけにもいかない。なにも知らずに楽しむ客を食い物にする、これはかなり悪質なイカサマだ。正義漢ぶるわけじゃないが、こういう卑劣な行為だけはどうしても見過ごすことができなかった。
 秀でた額に青筋をたて、ディーラーはオレに何事か捲したててくる。やたら早口でほとんど聞き取れないが、その顔面は蒼白で、見開かれた目は怒りというより、なにかに怯えているように見える。
 その表情を見て、やはりクロだと確信した。沸々と怒りが湧いてくる。撥ね退けられようとする手を強く握ったまま、男と睨み合う。
 異様な光景に辺りが騒然となる中、どう糾弾するのが最も効果的かを考える。衆人環視の中なのだ、大声でストレートに指摘してやるのがいいように思えた。たとえ言い掛かりだと一蹴されたとしても、この出来事がきっかけでディーラーに疑念を持つ客は少なからず出てくるだろう。
 軽く息を吸い、声を張り上げようとしたその瞬間、物凄い力で後ろから引っ張られた。
 一瞬なにが起こったのかわからなかった。スツールが派手な音をたてて倒れ、足が宙に浮く。このゲームを監視していた黒服の男に、後ろから羽交い締めにされているのだと気付いた頃には、無理やり引きずるようにされてあっという間にテーブルから遠ざけられていた。
 焦燥に背中が冷たくなる。畜生。まさか店側もグルだったなんて、考えつきもしなかった。いや……すこし落ち着いてさえいればその可能性に辿り着くこともできたのかもしれないが……今さらだ。
 ともかく、このままではマズい。暴れようと必死に藻掻くが、黒服は屈強でビクともしない。
 抵抗虚しく連行されていくオレを憤怒の形相で見て、ディーラーが舌打ちとともに独りごちる声が耳に入る。

『なんなんだ……あの男といい、こいつといい……とんだ厄日だぜ』

……"あの男"? 疑問に思う暇もなく、オレは人気のない場所まで力尽くで引き摺られていく。



 その後は別室に連れ込まれ、反吐が出るほど予想通りの展開が待ち受けていた。
 しこたま殴られ、蹴られ、床に這いつくばったところを銃で脅される。
 死にたくなければおとなしく言うことに従え、と、顎で示された先の倉庫らしき部屋の扉。
 そこに閉じ込められ、最後に行き着く先は目に見えている。海の底か土の下。ここで死ななくても、数時間後にはいずれ殺されるのだ。

 血の滲んだ唾液を吐き棄て、ギリギリと歯噛みする。
 圧倒的な怒りと悔しさ。真っ黒に煮え滾る感情が渦巻く心に、唐突にある人物の姿がふっと浮かび上がる。
 絶体絶命の窮地に立たされたとき、必ず思い出すひとりの男。
 自分とは真逆の生き方をするその男は、けれど泥臭く地に這いつくばり生きることにしがみつくようなオレの生き様を尊重してくれた。

 だからこそオレは、こんなところでみっともなくおっ死ぬわけにはいかないのだ。
 両掌を相手に向け、ゆっくりと手を上げる。こんな状況でも、恐怖は感じない。男のことを考えると、自然に口角が上がった。
 あいつとはもう二度と会うことはないだろう。それでも、オレはあいつが大切にしてくれたオレの生き方を貫き通すのだ。

 こんなところで死んでたまるか。
 行けるところまで行く。生きてやる。
 なんの勝算も打開策もないこの状況で、眠っていた闘志を、オレは静かに燃え上がらせる。





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