始まり・2


「しかしお前、そんな怪我でよく平然としてられるな」
 カイジのアパート。
 渡されたタオルで髪を拭いていた男――彼は、アカギシゲルと名乗った――は、手を止めてカイジを見た。

 カイジはアカギに背を向けたまま、タンスの中を探っている。
「ケガ?」
「そうだよ。雨で流れてなかったら、もっと酷かったろ、その血」
 カイジは乾燥したタオルを持ってアカギに近づく。
「ほら、見せてみろ。傷」
「……これ、オレの血じゃないんだけど」

 一瞬、空気が固まる。

「え、お、お前のじゃないって……」
 動揺するカイジを見て、アカギはククッと笑った。
「怪我人だと思い込んで助けてくれたのか。イイ人だな、あんた」
 明らかに嘲笑を含んだ言い方に、カイジはむっとする。
 だが、食ってかかりそうになるのをカイジはぐっと堪えた。
(だとすると、あれは返り血か? あんな量の返り血を浴びるなんざ、絶対カタギじゃねえ……)
 もしかすると、さっきも酔っぱけて眠っていたのではなく、気を失っていたのではないか。
 何をしてきたのか、どうしてあんなところにいたのか。
 俄然興味が湧いたが、それを無理矢理押さえつけてカイジは黙っていた。
 余計なことを聞いて、ややこしいことに巻き込まれるのはごめんだ。

 そんなカイジの心中など預かり知らぬように、アカギはポケットから潰れたタバコの箱を取り出した。
 一本取り出し、火を点けようとするが、湿気っていてうまくいかない。
「カイジさん。悪いんですけど、一本くれません」
「あ、ああ……」
 受け取ったタバコに火を点け、旨そうに吸うアカギを、カイジは同じくタバコに火を点けながら見守る。
 顔立ち、体格は普通の青年のそれなのに、アカギはどこか穏やかならぬ空気を纏っていた。
 それは、明らかに異質な髪の色と、ナイフのように鋭い眼光のせいだろうか。

 押さえつけたはずの興味が、またむくむくと頭をもたげる。
 理性は、この男は危険だと告げているのに、頭のどこかがこの男と関わることを強く望んでいる。
 それは、ひどく抗い難い欲求だった。


 その後は、特に会話もないまま時間だけが過ぎていった。
 徐々に弱まる雨と雷の音だけが、静かな部屋に際立って響く。
 
 やがて、短くなったタバコを揉み消すと、アカギは立ち上がった。
「じゃあオレ、そろそろ行きます」
「あ? ち、ちょっと待て……」
 カイジも慌ててタバコを消し、立ち上がる。
「……礼は」
「……は?」
「雨宿りさせて、その上タバコまで恵んでやったんだ。礼のひとつもねえのかよ」
 カイジはわざと下卑た笑みを浮かべる。
 本当は、そんなみみっちいことを言うつもりなんてなかった。だが、この男の反応が見たいという気持ちがカイジに行動を起こさせた。

「……ああ、」
 アカギは上着の懐の中無造作に手を突っ込むと、
「これでいいですか」
 そこから封筒を取り出し、カイジに突き出した。
(な……っ)
 封筒の中を覗いたカイジは驚愕した。
 中に入っていたのは札束。それも、かなりの分厚さだった。
 その上これにも、そこかしこに剣呑な血がこびりついている。
「お前……っ、これ、いいのかよ!?」
「別に。オレには必要ないものなんで」
 さらりと言ってのけるアカギに、カイジは戦いた。
(正気か!? こいつ……。それとも、こいつにとってこんなもん、はした金ってことなのか……!?)
 どうやっても、この男と関わりを作りたい。
 カイジの心ははっきりと決まった。

「こ、こんな物騒な金、受け取れるかよっ……!!」
 出された金を撥ね付けながら、カイジは思考を巡らせる。
 何か、何かないか。
「ちょっと待ってろ!」
 カイジはタンスの中から自分の服をひっぱり出し、アカギに突き出す。
「……」
「ずぶ濡れで気持ち悪いだろ。貸してやる。着替えろっ」
 ふたりの間に沈黙が落ち、綿に包んだような遠雷の音だけが響いた。
 唇を引き結んだカイジの、何かに挑戦するような面差しを、アカギは無表情に眺める。
 やがてふっと笑うと、腕を伸ばして着替えを受け取った。
「それじゃ、遠慮なく」


 着替えを終えたアカギは、濡れた自分の服を持って玄関に向かう。
 カイジはかなり迷ったが、その背中に向かって口を開いた。

「それ、気に入ってる服なんだ。絶対、返しに来いよ」

 アカギはそれには答えず、ちらりと笑っただけだった。


 だが、カイジには確信があった。
 あの不自然なタイミングで着替えのことを切り出した、こっちの意図はアカギには透けているはず。
 だとしたら、こっちの意図をわかっていながら、あえて着替えを受け取ったのは、奴の承諾の証だ。

(返しに来いよ。アカギ、お前自身が)

 カイジはアカギが去ったドアを、しばらくの間睨み続けていた。





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