人生は上々だ 短文 暴力・嘔吐注意



 今まで味わったことのない痛みが体の中を突き抜けて、オレは猛烈に吐いた。さんざオレを蹴っていた黒い革靴に吐瀉物が跳ね、舌打ちとともにふたたび、鳩尾に蹴りを入れられる。
 とても立っていられなくて、オレは固いコンクリの上に崩れ落ちた。自らの熱い吐瀉物の中に手をついて、なんとか息を整えようとする。

 肋骨が折れているようだ。呼吸だけで、体が裂けるような激痛が走る。
 殴られ過ぎてもはや、前後不覚。鼓膜がイカれちまったのか、立て、と言われた気がするけれどそれも定かではない。
 ぐわんぐわん回る視界に胸が悪くなり、またしても吐いた。吐き出したそれは赤黒い血の塊で、地面の上の白っぽい吐瀉物と混ざり合って斑になる。その中に欠けた白い歯が数本、点々と散らばっていた。

 のらりくらりと取り立てから逃げ続けた結果、今までになくタチの悪い連中が送られてきた。素人相手に、容赦の欠片もない。どうやら先方はそうとうご立腹らしい。
 うまく立ち回ったつもりだったけど、捕まっちまった。逃げられると自負していた。それが命取りになった。追い詰められて、ヤクザなめんじゃねぇぞ、とか言われて、舐めたつもりはこれぽっちもなかったけど、ボコボコになぐられた。今までたくさん痛い目は見てきたが、さすがに今回はちょっと、ヤバい気がする。

 目の前が霞んできた。
 死ぬのか、オレは。
 そう思ったとき、林立する黒服の中に混じって、あいつの白い姿がぼうっと浮かんで見えた。

(死ぬのか、あんた)

 あいつが話しかけてくる。状況にそぐわない、平らな声で。
 もちろん、そんなものはすべてオレの脳が作り上げた幻だ。そんなことはわかっていた。

 ――あいつ、本当は今ごろどこでなにしてるんだろう。

 などと、どこか暢気に考える。死にかけているのに。

 あいつとは何度か賭け事をした。だが結局、一度も勝てていない。悔しくて悔しくて、いつか絶対にあいつに勝つのだと心に誓った。
 あいつと勝負するときの、張り詰めた空気がたまらなく好きだった。だった? なぜ過去形なんだ。どうやらオレの無意識は、すでに死に向かっているらしい。
 顔をあげる。陽炎のようにゆらめく、白い幻を見る。
(死ぬのか)
 幻はもう一度問いかけてくる。
 ゆっくりと目を閉じ、オレはそれに答えた。
(死なねぇよ)
 そう――いつか、あいつに勝つまでは。

 死ねねぇよ、こんな所じゃ。

 そう思うと、不思議なことにそれはすぐ確信に変わった。オレは死なない、絶対に。
 死なない、そう心で唱えるたび、その思いはどんどん増幅していく。可笑しかった。こんな絶望的な状況なのに。
 死が怖いからというわけでなく、ただ単に、あいつに勝つまで死ぬわけにはいかない、という純粋な気持ちがオレを支配していた。
 目標があるというのはなかなかいいことなのかもしれないなと思った。端から見れば最悪な人生。でも、悪くないと思えるのだった。死にかけている今だからこそ。

 そしてオレは、唇を歪め笑う。
 人生のどん底で。地面についた拳を強く強く、握りしめて。





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