撹乱 夏風邪の話 短文



 寝起きの悪いカイジが重い瞼を持ち上げる頃、寝起きの良いアカギはすでにベッドから出ていて、見るともなしにテレビを眺めたり本を読んだりしているその後ろ姿に、寝ぼけた声でカイジがおはようと声をかける。
 それが、二人で朝を迎えるときのお決まりの風景だった。
 だからその日起きたとき、アカギの姿がまだベッドの上にあったので、カイジは強く目を擦った。
 どうやら夢ではないらしい。
 珍しいこともあるもんだなと、その隣に体を起こし、シャツの下に手を突っ込んで腹を掻きながらあくびをする。 
「……はよ」
 起き抜けのふやけた声に、アカギは反応しない。
 深くうつむいているアカギの顔を覗きこんで、カイジは違和感に眉を寄せた。
「なんかお前、おかしくねえ?」
 アカギは返事をしない。
 しばらくアカギを観察して、カイジはその原因に気付く。
 アカギの呼吸が、不規則に乱れている。聞き耳をたてると、呼吸音に混ざってノイズのような音が、薄く開かれた唇から吐き出されている。
 まさか、と思い、カイジはアカギの首筋に手を当ててみる。
「熱っ……」
 予想を遥かに越えた熱に、カイジは思わず声を上げる。
 アカギの平熱の低さから考えると、異常といってもおかしくない熱さである。
 カイジの眠気が吹き飛ぶのと同時に、アカギが背中を丸めて苦しそうに咳き込んだ。
「おい、大丈夫かよ……?」
 気遣わしげな声に、アカギは今日初めてカイジを見て、無言で頷いた。
 咳き込んだせいか、はたまた熱のせいなのか、その目にうっすらと透明な膜が張っている。

 これは、間違いない。
 風邪だ。

(あのアカギが……風邪っ……!!)

 弱っているアカギ。
 どんなパチンコのレア演出よりも貴重な光景だと、病人なのに悪いと思いつつも、カイジはついアカギの様子をじっくりと観察してしまう。
 よく見ると、こころなしかいつもよりアカギの目が据わっている。もともとの迫力も相まって、もはや目だけで人を殺せそうな不穏さである。もともと色素の薄い頬は普段に輪をかけて青白く、まさに病的という言葉がぴったりだ。
 珍獣を観賞するような目付きで自分を見るカイジに舌打ちし、アカギはベッドから降りようとする。
「おっ、おい! どこ行くんだよ」
「帰る」
「はっ? 帰るって、お前」
 窓からは夏の太陽が燦々と降り注いでいる。
 外はかなり気温が上がっているだろう。そんな高熱で歩き回ったら、さしものアカギもぶっ倒れかねない。
 カイジはとっさにアカギの腕をつかんだ。
「無理だろっ。今日はここで一日、安静にしてろよ。オレ、今日は家にいるから」
「はっ。今日『も』の間違いだろ」
 アカギは色を失った唇の端に笑みをのぼらせる。
口の悪さは体調の悪さと比例するのかもしれない。カイジはこめかみをひくりとさせたが、その通りなのでなにも言わなかった。
「とにかく、今日はここでおとなしくしてろ。な?」
 引き下がる様子のないカイジを見て、アカギは物憂げにため息をつく。体がだるくて、つかまれた腕をふりほどく気力すらわいてこないようだった。
 諦めてベッドに戻ったアカギに、カイジは目を丸くする。
(なんか、いつもより素直だな)
 なにか言いたそうな顔でじっと自分を見るカイジを無視し、アカギはさっさと横になって目を閉じた。
「な、なぁアカギ」
 そわそわした声で名前を呼ばれたが、どうせロクなことではないだろう。アカギはシカトを決め込む。
 カイジはしばらく迷っていたが、今しか言えないであろうことをここぞとばかりに口に出してみる。
「知ってるか? 夏風邪って、バカしかひかねえらしいぞ」
 いつもなら冷笑に付されるところだが、アカギは目を閉じたまま、あえかな呼吸を繰り返すばかり。
 最初こそ、弱っているアカギをからかってやろうとも思ったが、いつもと明らかに違う様子のアカギを見るにつけ、根がお人好しのカイジは若干良心が痛んできた。
 そこで、目を瞑ったまま、アカギがぼそりとなにかを言った。
「? なにか言ったか?」
 うまく聞き取れなかったカイジが聞き返すと、アカギはうすく目を開き、カイジを手招きする。
 うまく声がでないのだろうと、促されるまま近づいたカイジの手を、アカギは強く引っ張った。
 バランスを崩し、アカギの体の上に倒れこんだカイジの体を、アカギは素早く体の下に巻き込む。
「……バカしかひかねぇんだろ?」
 熱のせいか、いつもより低く掠れた声でアカギが言う。
 呼吸のたび喉から風のような音が鳴り、額に玉のような汗を浮かべながら。
 それでもアカギは片口を吊り上げ、目を白黒させているカイジの唇をペロリと舐めた。

「本当かどうか、確かめてみねぇとな」


 かくして。
 アカギの風邪は、一晩ですっかりカイジに移ってしまったのだった。






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