恋はあせらず


 皿によそってやったカレーライスを、口いっぱいに頬張るしげるの顔を、カイジは頬杖をついてじっと見る。
 あどけなさすら感じさせるその顔は実にふつうの子どもめいていて、微笑ましさと同時に少しの戸惑いをカイジに与える。

 今までもときどきこのアパートに顔を見せていたしげるだが、最近その頻度が以前より増してきていた。しかもどうやら、月末――カイジが料理をする時期を狙ってやって来るらしく、こうやって飯を食わせてやる機会が増えた。

 カイジにとっての料理とは、単に月末の糊口を凌ぐための手段であり、それ以上の意味はない。だから食材も安さだけで選んでいるし、レパートリーも限られている。
 麻雀帰りに立ち寄ることが多いようだが、別段このアパートがしげる行きつけの雀荘から近いというわけでもない。

 だからカイジは不思議だった。
 ふつうの中学生だったなら話はべつだが、好きなものをたらふく食っても有り余るほどの金を持つしげるが、どうしてこんなボロアパートにせっせと通い、しみったれた貧乏男の手料理を食いに来るのか?

 そんな疑問が顔に出ていたのか、しげるがスプーンを持つ手を止めてカイジの顔を見た。
「なに?」
「ん? いや……」
 カイジは頬杖をついたまま、考えていたことをしげるに伝える。
「お前、最近よく来るよなぁ……って思って。しかもオレが飯つくる時に」
「迷惑?」
「や、そういうわけじゃなくて」
 カイジは慌てて否定する。生活はカツカツだが、しげるに食べさせる分を惜しむほど逼迫しているわけではない。
「ただ単に、なんでかなって。お前ならもっといいもん食えるだろ?」

 その言葉に、しげるはカイジの瞳をしばらくじっと見詰め、やがてぽつりと呟いた。
「好きだから」
 カイジは軽く目を見開く。
「こんなシケた飯が好きなのか? お前って変わってるよなぁ」
 呆れたように言いながらも、カイジは嬉しそうな顔をする。どんな簡単な料理でも、作ったものを『好き』と言われて嬉しくないわけがない。
 緩んだ表情に合わせるように、しげるもカイジに微笑してみせる。

『好き』と言ったのは、本当は飯のことではないのだけれど。
 そんなことは、まだ黙っておこうと、しげるは思う。

 男一人暮しにしては片付いた部屋、料理の匂い。裏の世界で生き、決まったねぐらのないしげるにとって、ちょくちょく通うカイジの部屋は世間一般の言う『日常』を感じる場所でもあった。
 そしてそれが、案外悪くないものであることに気付いたから、本当のことを伝えるのはまだもう少し先でいいと最近思い始めたのだ。
 兄のような保護者のような、この距離感に飽くまでは、このままでいい。
 そんな風に思う自分に最初は驚いたが、今はもう慣れた。恋とは人を変えるものらしい。

 この鈍感なお人好しと恋をするからには、もとより長期戦は覚悟の上だ。
 道のりはまだまだ遠い。
 焦ることはない、回り道さえ楽しむくらいの気持ちでいればいいのだ。

 そんなことを思いながら、しげるはスプーンで大きく掬った最後のひとくちを頬張る。
 殊更ゆっくり、噛みしめるように咀嚼し、すっかり空になった皿をカイジに差し出して「おかわり」と言った。







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