シエスタ ゲロ甘 カイジが乙女思考


 カラン、と軽やかなドアベルの音に送り出されてカイジは外に出た。洗いたての髪と頭皮を、撫でるように風が吹き抜けていく。

 冬の間、無精をして伸ばしっぱなしだった髪を切った。

 最近めっきり暖かくなり、騒々しく春めく世間の様子に促されて、穴ぐらに籠っていた熊が起き出すようにカイジもようやく重い腰を上げた。
 深夜勤のバイトのおかげで昼夜逆転生活を送っていたカイジは、まだ日の高いうちに出掛けるのも本当に久しぶりだった。

 髪を切った、といっても、痛みに痛んだ毛先を整え、目を覆うほど伸びた前髪を短くしただけだ。でも、久々に清々しい気分になった。頭は軽く、視界も明るい。
 柄になく浮き立った気分になるのを自覚して、カイジは二、三度咳払いする。

 桜が咲いている。春だな、などとぼんやり思いながら、白い花びらがちらちら落ちるアスファルトの上を歩いた。


 アパートの階段をのぼって、カイジは目を丸くした。
 自分の部屋の前で突っ立っていたのはアカギだった。
 こんな昼間に訪ねてくることなど滅多にない。珍しいこともあるものだと思いながら側に寄ると、陽光の下白い髪が眩しかった。

 アカギはカイジの方を見ると、微かに眉を寄せ、
「散髪屋くさい」
 と言った。
「お前な……第一声がそれかよ……」
 カイジは憎々しげに吐き捨てたが、その実表情が緩みそうになるのを堪えていた。なんだかんだでやはり、好きな奴に会えて嬉しくない人間なんていないのだ。

 カイジはアカギの目の下に、くっきり青黒いクマがあるのに気付く。徹マン帰りか。アカギは眠いといつもの倍ガラが悪そうに見える。
 部屋のカギを出すためポケットを探るカイジを、アカギはぼさっと見ていたが、おもむろに手を伸ばしてカイジの髪に触れた。
 ぎょっとするカイジの、肩に垂れた髪が手櫛で鋤かれていく。整えたばかりなので、アカギの指は一度もひっかかることなく通り抜けた。何度か繰り返し、アカギは無表情のまま
「へぇ……」
 とつぶやいた。

 こいつ……眠すぎておかしくなってないか?

 ご近所にこんなところを見られてはたまらないと、カイジは慌てて部屋のカギをあけ、アカギをひっぱりこんだ。
 そのまま居間に押し込み、こもった部屋の空気を入れ換えるため窓をあける。
 上着を脱ぎながら、アカギに声をかけた。
「待ってろ。今、茶でも……」
 と、言いかけたカイジの腕が、アカギによって強く捕まれる。
「茶とかいいから。寝る」
 そのままカイジの腕を引き、アカギはずんずんとベッドへと歩いていく。
「なっ……! ばっ……!」
 こんな昼間っからっ……! そのままベッドに引き倒されそうになり、カイジはさすがに抵抗した。
 互いに掴み合うような形になり、アカギは面倒くさそうな顔になる。
 鋭く息を吸うと、腕の上からカイジの背中に腕を回し、すっと体を反転させて一気に引き寄せる。
 次の瞬間、カイジの視界がぐるんと回転した。体がふわりと浮き、気づいたらベッドに背中から倒れこんでいた。
 一瞬のことでなにが起こったかわからず、カイジは目をしばたたく。
「な、んだ、今のっ……!?」
 アカギは答えず、カイジの隣にどかっと寝転ぶ。そして、有無を言わさぬ強さでカイジの頭を引き寄せた。
「……!」
 こうなるともう、逃げられない。カイジは内心悲鳴をあげながらぎゅっと目をつぶった。

 が、いつまでたっても、アカギはなにもしてこない。うっすら目を開けると、アカギの薄い瞼が閉じられていて、肩が規則正しく上下している。

 カイジはぽかんとした。
『寝る』って、睡眠のことかよ! 脱力とともに、勝手に早とちりした自分が猛烈に恥ずかしくなって、カイジはひとり真っ赤になって震えた。
 しかし、眠るだけならなぜ自分を隣に寝かせる必要がある?

 アカギはカイジのほうに体を向け、さっきの続きのように髪を撫でている。まだ完全に眠りに落ちてはいないようだ。
 カイジはもぞもぞと体ごとアカギの方へ向く。
「今回は、いつまでここにいるんだ」
 返事は期待していなかったが、眠そうに掠れた声が返ってきた。
「……三、四日……」
 そこで言葉を区切り、アカギは軽く息を吐く。
「……に、しようかと思ってたけど、気が変わった……」
 もうすこし、世話になるかも。
 アカギはカイジの髪を手で掬って指の間からさらりと流した。

 もしかして、髪をさわるため隣に寝かせたのだろうか。アカギの様子は、気に入りのおもちゃを見つけた子どものように見えなくもない。
 安らいだような寝顔を眺めながら、カイジは体の力を緩めた。心臓の上あたりが、じわりとあたたかくなる。

 気が変わったと言った、もうすこし長くここにいると。
 アカギの心をひきとめたのは、切りたての髪なのだろうか。

 頓着なく体用の石鹸で洗っていたけど、シャンプーでも買ってみようか……

 そこまで考えて、カイジはゾッとした。
 腕にさぶいぼがたつ。なんだこの思考。まるで思春期の女学生じゃねえか。
 冗談じゃねえよ! と思いつつ、でも……とアカギの顔を見る。

 でも、やっぱり嬉しいのだ、アカギがすこしでも長くここにいてくれること。いや、『嬉しい』というより『ほっとする』という方が近いかもしれない。
 相手が普通の人間なら、こんなことは思わない。
 常に死と隣り合わせで生き、一度離れたら再会があるかどうかわからないアカギだからこそ、そう思ってしまうのはある程度仕方のないことだ。

 そして……それほど自分はこの男にほだされている、どうしようもなく。
  それはカイジにとって目を背けたくなるような事実であり、カイジはうーとかあーとか唸りながら頭をバリバリとかきむしった。
 するとアカギがうるさそうに片目をあけて、頭をかきむしるカイジの手首を掴んだ。
「……邪魔……」
 そのままその手を下ろされ、動きを封じるようにぎゅっと握られる。

 次から次へと襲いくる恥ずかしさに、カイジはふたたび心中で絶叫した。
 体は何度も重ねてきたけど、こんな風に手を繋いだことはほとんどない。
 寝惚けてるんじゃねえのか、こいつ。
 それとも、春ボケしてんのか?
 さっきまで自分が考えていたことはぜんぶ棚に上げ、カイジはそんなことを思う。


 手のひらから伝わるぬるい体温。
 窓から入る風は心地よく、ときどき車の走る音が遠く聞こえる。

 カイジの髪に指をくぐらせたまま、かすかな寝息をたてるアカギに、カイジもやがて眠気を誘われ、大あくびをひとつする。

 そして眠りに落ちる間際、やっぱりシャンプーを買おう、と心に決めたのだった。




アカギがカイジにかけたのは「大腰」です



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