夜の鳥・2


 それ以降、赤木さんはオレの前に現れなくなった。連絡先など知らなかったから、赤木さんが訪ねてこなくなるとそれきり、ずっと顔すら合わせなかった。赤木さんとよく行った雀荘にも顔を出したりしてみたが、いつ行ってみてもその姿はなかった。

 次に会ったとき、赤木さんはもう冷たくなっていた。生きて、喋っている赤木さんを見たのは、だからあれが最後だ。
 あの夜、赤木さんはすでに自分の病気のことを知っていたのだろう。あの突飛な行動は、『なぜ、今、そんなことを言うのか』という問いを封殺し、強引にでもあの冗談みたいな約束を取りつけるための『脅し』だったのかもしれない。『麻雀やれよ』には、『たとえこの先俺がいなくなっても』って意味が含まれていたのだ、たぶん。

 歩道橋の半分まで来て、立ち止まる。
 あの夜、赤木さんが手をついていた辺りを掌で触る。太陽の光で温まった手すりは、ちょうど人肌くらいの温度だった。
 目を閉じて、あの夜の赤木さんの姿を思い描く。
 あの時は、赤木さんを安全な場所に戻らせるのに必死でそんなことを思う余裕がなかったけど、今こうして思い返すと、歩道橋から身を乗り出していた赤木さんの姿が、まるで鳥みたいだったなと思う。頭をもたげて暗闇を見据え、今にも飛び立とうとする真っ白い夜の鳥。彼は本当に飛び立ってしまったのだ、どこか遠い世界に。
 赤木さんがこの世を去って間もない頃は、その死をどうしても受け入れられなくて、こう思うことで自分の心を慰めていた。

 少し、身を乗り出してみる。赤木さんのようにあまりやりすぎると、周囲からあらぬ疑いをかけられそうなので、道路がのぞきこめるくらい、ほんのすこし。
 車。ひと。すべてが、眼下を川のように流れている。ひょっとすると赤木さんは今ごろ、世界のすべてをこんな風に見下ろせる場所にいるのかもしれないと思う。遥か高みを飛ぶ鳥の目線で。一緒に歩くオレのことを振り返り振り返り、笑ったときのような笑顔で。

『強くなれよ、カイジ』

 うつむくと、その拍子に涙が頬を垂れた。
 オレは顔をしかめる。死んでからずいぶん経つくせに、こんな他愛ない思い出で、なにも言わずに逝った薄情な人に泣かされるのは癪だった。だが、涙を拭うのはもっと癪だったので、オレは気付かないふりをして、そのまま流れるに任せた。
 雀荘へは時々行く。たいてい負けて、ときどき勝つ。赤木さんがこの世を去って間もない頃は、『麻雀なんて二度としない』『待っててやるなんて嘘ばっかりだ』と赤木さんを恨めしく思ったこともあったけど、赤木さんはこの手の約束を違える人ではない、と思い直した。待っててやる、と言ったからには、赤木さんはきっと待っててくれるのだろう。こことは別の、どこか遠い場所で。
 身も世もなく全身全霊で泣いていた頃、涙でふやけた心の中でもたったひとつ、それだけを強く思い続けていた。
 約束してしまったものはしょうがない。生きろよ、と言われたから、オレは生きなくてはならない。生きて、強くならなくてはならない。待っててやる、と言われたから。
 ポケットから潰れた箱を取りだし、片手でパッケージを開いてタバコをくわえる。瞬きひとつで涙を払うと、ぽつりと落ちた滴は遥か下の道路へと吸い込まれていった。





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