視線・2

 店に入るとひんやりと心地よい空気がカイジを出迎える。空調のいきとどいた静かで明るい店内、だが一歩足を踏み入れた途端、広がる光景にカイジは喉奥で唸った。
 ほどよく埋まっている席の、ほとんどが女性客だったからだ。しかしよくよく考えれば、チェーン店ではないおしゃれなカフェに、日曜の午後、野郎二人で立ち入れば浮くのは当然かもしれない。

 そんなことはまったく気にならない風に店内をすいすい歩くアカギの姿はやはり注目の的になっていて、さっそくそこここのテーブルから送られている視線にカイジはうなだれた。気を使ってもらったのはいいが、これでは逆効果になりそうだ。
 カイジは背中を丸め、アカギと距離をとってこそこそ歩く。なにひとつ悪いことなどしていないのに、訳もなく後ろめたいような気分になった。

 窓際に席をとっていたアカギの対面に座る。大きな窓いっぱいに射し込む夏の光が眩しい。さっきまで歩いていた街の雑踏が見える。雑音とうだるような暑さが遮断され、快適な室内からガラス一枚隔てて見る街の姿はまるで別の世界のように映った。

「いらっしゃいませ」
 水を運んできたウエイトレスに、アカギはメニューを見もせずにアイスコーヒーを注文した。カイジも慌てて同じものを頼む。
 注文を確認しているウエイトレスの顔を、カイジはついじっと見てしまう。伝票に目を落としている彼女はカイジの視線に気付かない。仕事熱心なようで、アカギにもあまり興味を示していない。
 淡々と注文を取り終え、足早に去っていく後ろ姿をなんとなく目で追っていると、ガツンと足に強い衝撃が走った。
「いって……!」
 カイジは思わず声を上げた。テーブルの下で、アカギがカイジの足を蹴ってきたのだ。それもかなり強く。
「こっ、……の野郎! 急に何しやがるっ」
 突然の理不尽な暴力に、カイジはアカギの方へ身を乗り出してがなりたてる。アカギはただ、静かに笑って水を口に運んだ。
 脈絡のない行動にカイジは内心首を傾げる。だがアカギが一言も発しないので、ぶつくさ言いながら浮かせた腰を落ち着けた。

 汗をかいたコップを手にする。ちびちびと水を飲みながら、カイジは店内をぐるりと見回す。
 やはりというか、数人の女性がこっそりカイジたちのテーブルを伺っているのがわかった。どう考えても、アカギを見ているに違いない。
 あぁやっぱりこうなるのか、とうんざりするカイジの足に、ふたたび蹴りが入った。
「……!!」
 先ほどにも増して、情け容赦ない蹴り方だった。痛みのあまり声を失い、カイジは身を屈めて苦悶する。涙で滲む視界の先、アカギは『どうかした?』と言わんばかりのすました顔で、頬杖をついてカイジを見ている。
 さっきから何なんだよ! 言いてえことがあるならはっきり言え!
 ブチ切れて叫ぼうとする直前、ふと、カイジはあることに気付いて言葉を飲み込んだ。
 ぎこちなく、視線を斜め前の席に向けてみる。二人組の女性客が目に入った瞬間、すかさず蹴りが飛んできた。しかも今度は、爪先で脛を狙ってきた。
 頭がくらくらするほど痛い。今日蹴られたところはどれもアザになるに違いない。だが、そんなことはどうでもよくなっていた。

「お待たせいたしました」
 さっきとは違うウエイトレスがアイスコーヒーを運んできた。だがカイジはもう、その顔を注視したりしなかった。
 そのかわり、呆けたようにアカギの顔を見詰めている。手中のコップの中で氷が溶け、カラン、と鳴った。
 ごゆっくりどうぞ、と言ってウエイトレスが立ち去る。アカギの様子はいつもとなにも変わらない。無表情のまま、ストローで軽くグラスをかき回している。
 氷のぶつかる涼しげな音を聞きながら、カイジはさりげなく口元を手で覆った。油断すると頬が緩んでしまいそうだった。
 アカギはカイジが女性を見るから足を蹴ってくるのだ。彼女たちがアカギを見ているから、カイジは彼女たちを意識してしまうだけなのだが、アカギはそれに気付いていないらしい。
 
「アカギ」

 口元を隠したまま、くぐもった声で名を呼べば二つの瞳がカイジを見る。
 もしかするとアカギも、自分と似たような気持ちになったりしたのだろうか。
 アカギは顔色ひとつ変えないので、さっきの行動は単なる気まぐれなのかもしれなかったが、現金なもので、重かった気分はすっかり晴れていた。
 その代わり、ふって湧いたように心に劣情が兆した。

 カイジは落ち着かないようすでストローを噛みながら、不明瞭な発音で言った。
「もう帰ろう」
 そして、言葉で欲望を伝える代わりに、テーブルの下でアカギの足に自分の足をそっと絡めた。滅多に自分から誘うような行動はしないカイジにとっては随分と思い切った行動だった。
 気恥ずかしさを紛らわすように、ひとつ咳払いをして窓の外に視線を逃がした。

 しばらく二人とも無言だった。店内を流れるボリュームの絞られた音楽と、他の客の話し声だけが互いの耳に届いた。
 ちらりとアカギの方に目線をやれば、アカギは行動の真意を推し測るようにカイジをじっと見詰めていた。カイジの意外な行動に、少しだけ面食らっているようにも見えた。自分だけに注がれる視線に、カイジは満たされた気分になる。
 コーヒーはまだかなり残っていたが、足をほどいて立ち上がる。アカギはなにか言いたげな顔をしていたが、カイジは構わず伝票をつかんで歩き出した。
 黙っていても、振り返らなくても、もうひとつの足音がちゃんと後からついてくる。カイジは今日初めて、心の底から笑顔になった。





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