視線・1 やきもちの話

 横断歩道の信号が青に変わり、塞き止められていた人の群れが大きな交差点にどっと流れ出す。カイジはポケットに手を突っ込んだまま、猫背気味に歩く。

 日曜の午後、街中は人でごった返している。
 落ち着かない。
 ちくりと肌を刺すような周囲からの視線を感じ、カイジはますます伏し目がちになる。
 もともと人の多い場所の苦手なカイジだが、このところ特にその傾向が顕著になってきた。

 なにをしているわけでもないのに、すれ違う人々とやたら目が合うからだ。
 原因はわかっている。
 カイジは隣を歩く白髪の男を横目で睨んだ。

 アカギは目立つ。
 街に出れば、老若男女問わず、すれ違う人のほぼ全員がまず白い髪と見た目の若さのギャップに驚いた顔をする。
 これはまあいい。
 些か不躾すぎる視線を送ってくる人間もいるが、事実アカギの見目は珍しいのだからしょうがない。カイジだって、こんなヤツと街ですれ違ったら多少はじろじろと見てしまうだろう。
 だがアカギの場合、それだけでは済まないことも多々あって、問題はそっちなのだ。

 前から歩いてきた若いカップル。年の頃は、カイジ達と同じくらいだろうか。仲睦まじく手など繋いでいる。
 距離が近くなると、やはり二人ともアカギに気を取られてはっとした顔になる。彼氏の方はすぐに興味を失ったように目線を反らしたが、彼女の方はアカギの顔に釘付けになっている。
 惚けるという表現が相応しい表情。彼女の歩調が緩くなっているのを見咎め、彼氏が不機嫌そうに繋いだ手をぐいぐい引っ張っている。
 そんな彼氏の様子などお構いなしでアカギに注がれていた視線が、ふとカイジの方へ逸れる。
 カイジと目が合った瞬間、彼女は気まずそうに目を伏せて小走りで彼氏の方へ駆け寄った。
 不貞腐れる彼氏の声と、それを宥めるような彼女の甘い声が後ろへ流れていく。
 カイジはアカギに聞こえないほど小さく舌打ちし、ため息をついた。

 今みたいな反応は少なくない。
 アカギはこうして街を歩く大半の人々とは別の世界で生きている。そういう、常人ではない雰囲気を敏感に察知する人間は意外と多いのだ、ということに、アカギとこうして歩いたりするようになってカイジは初めて気付いた。そういう人間はそれこそ老若男女問わず一定数いるが、やはり女性の方が多い。雌としての本能がアカギの強さを見抜くのかもしれないし、少し陰のある危険そうな男に弱い女性が多いのかもしれない。

 さっきの彼女の反応は、そういうアカギに惹かれた人間の典型的なパターンなのである。アカギを食い入るように見詰める、そしてその後ついでのように隣のカイジに視線を移す。すると誰もが必ず、そそくさと視線をそらすのだ。
 そんなつもりは全然ないのに、目付きが悪いせいでおそらくガンを飛ばしていると思われている。しかも、頬にはいかにもな傷まであるし、要するに怖がられているのだ。
 つまりカイジは、アカギが目立つせいでとんだとばっちりを被っているのである。
 アカギに向けられる視線とのこの温度差は一体なんだと、カイジにとってはすこぶる面白くない。人にジロジロ見られたい訳ではないが、ここまで判を押したように反応が同じだと、ねじけた気分にもなろうというものである。

 視線に悪酔いしたように、歩みが鈍くなった。
 隣を歩くアカギは、周りの視線など気にならないというようなあっけらかんとした態度で歩く。自分が見られていることに気付いていないわけではないだろう。慣れきっているのだ、見られることに。
 カイジの心に理不尽な苛立ちが芽生える。それを振り払うように緩く頭を振り、雲ひとつない青空を見上げた。

 本当のところ、人々の自分を見る視線は、ひとりで歩いていた時とそう変わらないのだ。それがこんなに気になるようになったのは、頻繁に目が合うからで、頻繁に目が合うようになったのは、カイジの方が見ているから。アカギを見詰める人間を、カイジが目で追っているからに他ならないのだ。
 とどのつまり、カイジが本当に面白くないのは自分に対する反応ではなく、アカギに対する反応なのだ。あんな風な目で、他人にアカギを見られるのが癪なのだ。
 この結論に思い至る度にカイジは気分がふさぐ。
 胸に渦巻く感情がなんなのか、わからないほど鈍感ではない。
 生まれてこのかた二十一年、こういう生臭い感情とはほぼ無縁で生きてきた。
 慣れていないから、胸でどろどろと粘るわだかまりが気持ち悪い。無意識にポケットの中のタバコに手を伸ばしたが、こんな人混みの中では吸えない。つるりとしたパッケージを、未練がましく指で撫でた。
 息苦しいような人いきれの中。おまけに気温はどんどん上がっていて、それがまたカイジの気分を滅入らせる。

 歩みはどんどん遅くなり、隣に並んでいたはずの白髪頭が今は斜め前にある。視界を遮断するためカイジは軽く目を閉じた。周りの音が少しだけ遠くなり、気分がいくらか楽になる。ぶつかりそうになったのか、すれ違う誰かに舌打ちされたが構わなかった。皮膚の感覚が冴え、首筋を流れる脂汗の感触をはっきりと感じる。
 が、すぐに腕をぐいと引かれて目を開いた。前を歩いていたはずのアカギがいつのまにか側に立っていて、カイジの腕を掴んでいた。立ち止まっている二人を避けるようにして、周りを人が流れていく。
 無言でどうかしたのかと問うてくるアカギに、思わずカイジは本音を漏らした。
「疲れた……」
「ジジイかよ。こんな少し歩いたくらいで」
 アカギはすぐさま鼻で笑ったが、反論する気力もないカイジがじっと黙っていると、口をつぐんで少しだけ眉を上げた。
 それでも、掴んだ腕を離すと何事もなかったかのようにまた歩き出す。カイジは遠ざかる背中を見て緩く息を吐き、足を踏み出した。

 しばらく歩いたところでアカギは立ち止まり、ちらりとカイジを振り返った。近付いていくと、そこが喫茶店の前であることに気付く。無言のまま、スタスタと店の中に入っていくアカギの後ろ姿を見て、カイジは少しだけ表情を緩めた。
 アカギなりに気を使っているのだ。ものすごく珍しいことだった。面映ゆいような気持ちになりながらも、あの傍若無人なアカギに気を使わせるほどひどい顔をしていたのかと思うと少し情けなくなり、カイジはドアのガラスに映った自分の顔を見ながらそっと頬に触れた。
 なんとも複雑な思いのまま、カイジは店のドアをくぐった。



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