悪巧み・2


「飲まないの」
 隣で缶飲料を飲みながら歩くアカギを恨めしげな表情で見ていたカイジは、いきなり話しかけられてギクリとする。
「喉、渇いてるから買ったんじゃないの」
「……」
 カイジはなにも言えず、手の中の赤い缶に視線を落とした。
 アカギの言う通り、カイジの喉はカラカラに渇ききっている。
 だが今、この缶をあけたら大惨事になることは、誰よりもカイジがいちばんよくわかっていた。
(くそっ、出来心であんなこと、しなけりゃ良かった……)
 自業自得というやつである。
 蒸し暑い夏の夜の空気が、どうしようもない喉の渇きをますます煽る。

 悄然と眉を下げるカイジに、アカギはぼそりと言った。
「飲む?」
「えっ」
 弾かれたように顔を上げると、目の前で軽く缶を揺すられる。
 缶の中で液体の跳ねる軽い音に、カイジの喉が鳴った。
「いいのか? じゃ、遠慮なく……」
 へらりと笑って腕を伸ばす。
 カイジの手が触れる直前、アカギはすっと腕を引いた。
 肩透かしを食って瞬くカイジに、見せびらかすように缶飲料を大きくあおり、そのまま一歩、カイジに近寄る。
 そこでようやく、カイジはアカギの思惑に気がついた。
「い、いい! やっぱいい! いらねえっ!」
 大慌てで自分の発言を撤回するカイジだが、アカギの顔にうっすら浮かんだ笑みを見て、もはやなにを言っても無駄だと悟る。
 結局、ぐいぐいと肩を押され、抵抗虚しくコンクリートの塀に背中を押し付けられてしまった。
 アカギは時折、驚くほど大胆な行動に出ることがある。
(こ、こんな場所で……っ)
 カイジは困り果てた顔でうつむいた。

 アカギのこういう行動は、行為そのものを目的としていない。あたふたするカイジの様子を眺めて、楽しみたいだけなのである。
 カイジはあちこちに激しく視線をさまよわせる。
 幸い、周りに人影はない。この辺りが昼間でも閑散としていて、夜など滅多に人通りがないということも、アカギはちゃんと把握済みなのである。
 カイジが嫌がりながらもギリギリ許容できるラインを的確に見極めてこういう行動に出るのだから、カイジにとっては本当にタチが悪いのだ。

 アカギはわずかに顔を傾け、カイジの顔に近づける。
 カイジは全身を緊張させ、きつく目を瞑った。唇を固く閉ざし、意地でも開くまいとする。
「……」
 アカギは軽くため息を漏らし、カイジの鼻をひょいとつまんだ。
 沈黙が流れる。
「……」
「……」
「……っは! てっ……め、殺す気か……っ!!」
 酸欠で顔を赤らめながら、とうとう叫んだカイジの口に、すかさずアカギは舌を差し込む。
「んっ! んんーっ!!」
 隙間なくぴったりと密着する唇。
 ねっとりと絡む舌から、アカギの口に含まれた液体が少しずつ少しずつ送り込まれてくる。
 ぬるい。甘い。
 カイジはアカギの肩を強く叩く。
 鼻をつままれたままなので、酸素をうまく取り込めない。
 おもに酸欠によって力の抜けていくカイジの手から、缶が滑り落ちて固いコンクリートの上で跳ねた。
「……」
 どこか遠くのほうから小さく、救急車のサイレンが聞こえる。
 いよいよカイジの目の前が暗くなりはじめたころ、アカギはようやくカイジを解放した。

 唇を離したとたん、体を折って激しく咳き込むカイジを見て、アカギは心底可笑しそうに笑う。パチンコで大勝しても眉ひとつ動かさない癖に、こういうときだけこんな晴れやかな笑顔を見せる辺り、やはりこの男は悪魔であると、苦しい息のもとカイジは痛感した。
「はい」
 ぜいぜい肩で息をするカイジの目の前に、さっき落とした缶が差し出された。
 高いところから落ちたせいで、それは大きくへこんでしまっていた。
「そろそろ、飲める頃なんじゃない」
「……」

 なにもかも見透かす底意地の悪い笑顔を見ながら、カイジは心に誓う。
 たとえ他愛のないいたずらであっても、この悪魔を陥れようなどと大それたことは金輪際考えまい。

 大きくため息を漏らすカイジを慰めるように、遠くの方でどこかの犬が侘しげに遠吠えた。





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