噛む

 アパートの階段を上りきったところで、カイジの眉間に深いしわが寄った。
「おかえり」
 部屋の前に座り込んでいた人物が、ゆっくりと立ち上がる。
 目に眩しい半袖のカッターシャツと、それに負けじと真っ白な髪。
「暑いね。早くうちに入ろう」
「しげる……、お前オレん家をなんだと思ってやがる……」
 脱力とともに吐き出された台詞は、競って鳴くセミの声にかき消された。

 どうやら近所に住んでいるらしいこの中学生は、こうして猫のように気まぐれにカイジのもとへ顔をだす。

「カイジさん。この部屋、暑い」
「……そうかよ。ならガキはガキらしく、おんもで遊んでろ」
 とっとと部屋でくつろいでいるくせに減らず口を叩くしげるに、カイジはわざとらしく、子どもを諭すように言う。
 ほんの少し、しげるの顔が不快そうに歪むのを見てとって、ニヤニヤしながら窓を開ける。
 こもっていた熱気が、窓の外に押し出されていく。

 しげるの周りの人間は、どんなに年長者でも、絶対にしげるを子供あつかいなどしない。
 この、伊藤開司ただひとりを除いて。
 とはいっても、しげるの才能には一目おいているらしく、ときどきふたりでやるごっこ遊びのようなギャンブルのときだけ、カイジはしげるを対等にあつかう。
 だが普段のやりとりになると、とたんにガキだ子どもだとなめたあつかいをしてくる。
 カイジはしげるに日ごろ負け続けているので、せこい鬱憤晴らしのつもりなのかもしれない。

 カイジは冷蔵庫から麦茶を出して、コップに注ぐ。
 口をつけようとして、乱暴に横からひったくられた。
「……おいっ、なにしやがるっ」
「まずは、客に出すのが礼儀でしょ」
 白い喉を上下させてグラスを干すしげるに、カイジは苦々しく毒づく。
「お前なんか客じゃねえよ。単なる闖入者だ」
 仕方なく、新たにコップを取り出しながら、カイジはせせら笑うように言った。
「まぁ、許してやるよ。なんせお前はガキだからな」

 次の瞬間、カイジの左耳にしげるの手が触れた。
 むごい傷跡の残る耳を、引きちぎらんばかりに引っ張られる。
「……っテメ……っ!!」
 カイジの声が強張った。
 昔の傷だとはいうものの、恐怖心は残っているのか、耳をかばうように大げさに体が傾ぐ。
 しげるは口許に笑みを浮かべ、ちょうど目の高さにやってきたその耳に、息を吹きこむようにして囁いた。
「許してくれるよね。オレはガキだから」
 そのまま耳たぶに思いきり噛みつくと、カイジの口から派手な悲鳴が上がった。



[次へ#]

1/3ページ

[戻る]