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過去拍手
天帝と次男


「ねえ、父さん」
 何時もはさっさと稽古に行ってしまう次男が、幼い顔に珍しく神妙な表情を浮かべ父親の前に立ったのは、夕食後の長閑な一時だった。
「どうした、やけに真剣な顔して」
 自分と同色の真摯な瞳に見詰められ、父親は手にしていた報告書を横に置く。


 勉学好きで穏和な長男と、知識欲旺盛で人懐こい三男に対し、机に向かう事を些か苦手とする次男は、暇さえあれば剣術に打ち込む毎日である。
 将来的には政務を長男と三男に任せ、次男には武官を束ねる立場を担って欲しい‥‥と、密かな腹積もりをしている天帝であった。


「何か聞きたいことでもあるのか?」
 声を掛けたは良いが話し出し辛そうにしている次男――快活な彼にしては珍しい事である――の頭を軽く撫でてやると、あのね、と暫く考え込んだ後に漸く口を開いた。
「どうして父さんは、母さんと結婚したの?」
 予想外の質問に、おや、と目を見開いた父親だったが、すぐに優しく微笑む。


「そりゃあ、父さんが母さんを好きだからだよ」
 常に無い雰囲気に何事かと少し身構えていたが、まさかそんな質問だったとは。
 やれやれと安堵し、愛妻の淹れてくれた翠茶に手を伸ばす父親だったが。




「じゃあ、なんで樫山先生とは結婚しなかったの?」




 間髪入れず追加された質問に、危うく翠茶を吹き出しそうになった。
「か、かしやまだとっ!?」
 何故そこで樫山なんだっ、と唐突に告げられた親友――その腕を買い、息子達の剣術指南役も務めて貰っている――の名に、動揺を隠せない父親である。
「だって父さん、先生が好きでしょ?」
「あ、ああ、好きだよ」
「だったら、先生と結婚しても良かったんじゃないの?」


 あくまでも真剣に真面目に聞いてくる次男に、父親は唸らざるを得ない‥‥うーん、なんと言えば良いものか。
「好きにも種類があるんだよ」
「種類?」
「ああ。母さんの好きは、結婚したい好きだ。でも樫山は、結婚したい好きとはちょっと違ってね」
「どう違うの?」
「どうって‥‥」


 食い下がる次男に、再び口籠る羽目となる父親。
 汚れの無い幼い瞳を前に、何と答えれば良いものか。
 まさかこの年頃の子に、夜の事情を話す訳にもいかないし。
「もし樫山先生が女だったら、結婚してた?」
「‥‥恐ろしい事を聞かないでくれ」
 一瞬、女物の華やかな衣服を身に纏った親友を想像してしまい、本気で仰け反りそうになる父親である。


 筋骨隆々とまではいかないが、樫山はそれなりにしっかりとした身体つきをしている。あの長身の身体に着られては、繊細な布地が可哀想だ。
 むしろ女になるなら中背細身の俺の方が幾らかましなのでは‥‥って、いやいや、そういう事ではない。
 しかし、樫山はああ見えて、すっきりとした顔立ちをしている。もっと身長を下げて女性的な要素を強調させれば、なかなかのご婦人に‥‥って、だから違うだろう、俺。


「‥‥父さん?」
 不思議そうな次男の呼び掛けに、思わず眉間に皺を寄せて考え込む羽目に陥っていた父親は、妄幻の波からやっと抜け出す事が出来た。
 ふう、とかいてもいない汗をついつい拭ってしまう。
「え?ああ、うん、すまない。――いや、樫山が女でも、結婚しないよ」
「なんで?」
「樫山は、そういう枠には入らない存在だからだ」




 理由付けもいらない。
 考える必要も無い。
 契約も宣言も誓いも、形式的な事は何一つ。
 そうではない。
 そうではないのだ、あいつは。




 「側にいる」――ただそれだけが、当たり前の存在。




「‥‥そうなんだ」
 何故か不満そうな、それでいて安堵したような複雑な表情を浮かべると、次男はこくりと頷う。
 そこで漸く父親は、息子の言わんとしている事に、遅まきながら気付いた。
 何も彼は、自分の両親の馴れ初めを聞きたかった訳ではない。
 彼が聞きたいのは、


「――好きな人でも出来たのか?」
 途端、ぱっと頬に赤みが増した次男の顔に、父親は誰だ誰だ?と笑みを浮かべながら身を乗り出した。
「学舎の友達か?城下の若商人か?最近入った女官か?‥‥あ、分かったぞ」
 にんまりと、父親は笑みを深くする。「――樫山だろう?」
「っ、」


 驚いたように目を見開いた次男の表情に、だけどな、と父親は目配せした。
「駄目だぞ、樫山は」
「、え?」
「あいつは俺のものだからな、お前にはやれない」
 例え相手が息子でも、大人気ないと呆れられても、これだけは譲れない。
 あいつは俺のものだ、大事な大切な、生涯無二の存在なのだ。
 誰にもやる訳にはいかないのだ。


「‥‥知ってるよ」
 俯き加減のままぽつりと呟いた次男の横顔は、微かに悔しさを滲ませていた。
「先生が、父さんしか見てないって知ってるけどさ、でもっ、」
「――大丈夫」
 言い募ろうとした次男の頭に、父親はそっと掌を乗せる。
「大丈夫、いつかお前にも出来るさ」




 ――『貴方のために』




 揺るがない瞳で見つめてくれる人が。
 背中を安心して預けられる人が。
 唯一この人だと言い切れる存在が、お前にもきっと必ず現れるさ――。


「その為にも、人に恥じる事の無い、真っ直ぐな生き方をしなさい」
 軽く頭を撫でてやると、素直に頷きかけた次男だったが。
「じゃあ、父さんがもし女だったら、先生は綾菜殿と父さん、どっちと結婚するのかな?」
「‥‥だから、そういう意味ではなくてね、」




 父親と次男の問答は。
 まだまだ続くようであります。




◆◇◆◇◆

 幼い頃の次男とやはり若い頃の天帝、でありました。
 何故か樫山がもてもて?であります・・・あれ?


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あきゅろす。
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