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過去拍手
白夜・1



 躊躇いもせず。
 背後から薙払っていた。




 地面に膝をついた部下の脳天に今しも長剣を振り下ろそうとしていた東雲の兵士は、途端、糸が切れたように崩れ落ちた。
 間にあった身体が倒れた為に、血塗れの剣を握る私の視線と恐怖に見開かれていた部下の視線が束の間、合う。
「・・・・・・ぁ」
「立て!」
「・・・・・・しょう、た、」
「早く!!早く立つんだっ!」
「っ、」
 安堵と緊張で極限まで振り切れたのだろう、呆然とした表情でこちらを見上げていた部下は、私の怒声に弾かれたように立ち上がった。
「国境まで走れっ!!」
「!はいっ!!」
 転がるように走り出す部下の背中を束の間見送り、再び背後を振り返る。
 ・・・・・・先ほど切り捨てた兵士には、もう、目を遣る事は無い。
 眼前に広がる泥沼の様な戦場には、一瞬前の出来事でさえ振り返る余裕は無かった。



 『小隊長』



 それが、この戦場における私の役割だった。
 隊長、副長が相次いで討たれ、一体どれ程の時間が過ぎたのか。
 総崩れとなった隊内で何とか殿の体裁を保っているのは、私の率いる小隊だけだった。
 浮き足立ちそうになる部下達を――あるいは自分自身を――必死で鼓舞し、逃げ惑う西風兵の防波堤役を務めながらじりじりと撤退し。
 国境の山道まであと一歩、という場所まで漸く辿り着いていた。


――流石に山の中までは追って来ないだろう。
 長年、穏やかな治世が続いていた隣国・東雲だったが、数年前に帝妃を亡くした天帝の言動が年々奇怪になっている、という噂は耳にしていた・・・・・・それと共に政情が傾いている事も。
 勇猛果敢な東雲軍とは言え、国境へ追い遣るだけで手一杯だろう。



「急げ!国境はもうすぐだ!」
 振り下ろす。
 返す手で、突く。



 隊長は、決して悪い人ではなかった。
 確かに少し功名に逸る傾向にはあったが、報奨金が入ると気前良く酒を振舞ってくれるなど、気の良い処もあった。
 副長も、決して悪い人ではなかった。
 確かに些か小言が多く堅苦しい処もあったが、何事にも生真面目に取り組み不正を嫌う、私欲のない人だった。



「止まるな!死ぬ気で走れ!」
 頬で飛沫が弾ける。
 拭う、という行動はとっくに止めた。



 そう。
 あの人達は決して悪い人ではなかったのだ。
 ・・・・・・此処が戦場ではなく、平和な城下町であったならば。



「小隊長っ!」
「先に行け!!」
 白刃を弾く。
 弾く弾く弾く弾く。
 逃げろ逃げろ逃げるんだ、と呪いの様に繰り返す。






「・・・・・・」
 流石に息が上がってきた。
 喘ぐように、背後へ迫る山脈を振り返る。
――国境はまだか。
 夕焼けが、眩しいほどに山肌を染めてゆく。
 戦場に落ちる夕陽は血のように赤いと言うが、今この目に映る其れは、いっそ暖かみを帯びた長閑な橙色だ。
 地上にさえ目を瞑れば、耳を塞げば。そこに広がるのは淡々と繰り返される自然の営み。
――国境は・・・・・・



「っ!!」
 視界の隅を。
 鋭く白い光が走った。



 弾く。
 間髪置かず迫り来る白刃を何撃か防いだ後、隙をついてその長剣を大きく振り払う。
 飛びずさり距離を保つと、ようやく相手の姿を見る事が出来た。





 短く刈った赤銅の髪。
 額に巻かれた山吹色の護布。
 こちらを見据える茶色の瞳。





――この動き、「東の剣」か。
 内心舌打ちをしながら、慎重に剣を握り直す。
 今までの兵達とは明らかに違うその強い剣気は、東雲の最強軍団に属する剣士に違いなかった。
 助っ人として飛び込んできたのか、偶然居合わせたのか。
 周囲には他の「東の剣」は居ないようで、燃えるような夕陽の中、一人だけ異彩を放っている。


――食い止める。
 私自身も愛剣を相棒に何度もの修羅場を潜り抜けてきたのだ、それなりの腕だという自負はある。
 相対する剣士から滲み出る気配は、五分五分と見た。年格好も同じ様なものだろう。
 ・・・・・・しかし、最後の最後で厄介な相手が出てきたものだ、国境は目前だと言うのに。
 例え相討となってでも、仲間達は逃がさなければ。私にはその義務があるのだ。


「あっ!!」
 その時、仲間内から複数の叫び声が上がった。
「そいつだ!そいつが隊長を!」
「その赤銅の髪と護布、間違いない!」
「・・・・・・」



 睨み合いは。
 長くは続かなかった。



 激しく打ち合う。
 重く深く、恐ろしいほどに正確な斬撃を何とかやり過ごす。
 こちらからの決死の攻撃も、紙一重で避けられる。
 払う、突く、弾く、狙う。
「っ、」


――ここだ。
 相手の頸動脈を狙った切っ先は、しかし、寸の所で頬を斜めに裂いただけだった。
 外した・・・・・・と思った瞬間、ひやりと厭な感覚が左側面を襲った。
 切られる。
 とっさに防御の構えを取り掛けた瞬間、左腕に焼けるような感覚が走る。


――間一髪か。
 浅い傷ではなかったが、胴は何とか防御できた。裂かれた腕も激しく痛むが骨までは達しておらず、抱え込む程ではない。
 大丈夫、まだ利き腕は残っている。
 大丈夫、まだ自分は戦える。
 やれる。


「・・・・・・」
 相手の頬に与えた傷も、浅くはないが戦意を削ぐ程では無かったようだ。
 頬を滴り落ちる血は男の襟元を紅く染めてゆくが、拭う素振りも見せない。
 互いに視線を逸らさず、食い入るように相手を睨みつける。




 一瞬。
 頭の中から、全てが消えた。




 隊長も副長も、逃がすべき仲間すらも消えた。
 あるのはただ、目前の男のみ。
――倒す。
 示し合わせたかのように、互いに間合いを詰めかけた時。
「っ、」
 ・・・・・・まるでその場を見ていたかのような絶妙さで、東雲側の引き上げ笛が鳴った。






「お前、名は?」
 気がつくと、引き上げる背中へと思わず声を掛けていた。
 俺?と振り返るその顔は、先程までの殺気が嘘のような飄々とした明るい表情で。
 私を見返す茶色い瞳が、どこか楽しげに細められる。
「桜木だ。四剣が一人、華剣の隊に所属する」
「私は白夜。‥‥所属隊は消えた」



 危なかった。
 あの時、全てを忘れそうになっていた。
 仲間を逃がす事、無事に西風へ帰す事。その全てを投げ捨てて、この男に勝負を挑もうとしている自分がいた。
 冷静になり思い返してみると、その無責任さに改めて冷や汗が出そうになる。
 どれほど小規模であっても『長』と名付く者が決して犯してはいけない、しかし抗い難い危険な誘惑。
 それだけの力を、この男は持っていた。



「桜木、か」
「白夜、ね」
 男も・・・・・・桜木と名乗る男も同じ事を考えていたのだろう、彼の瞳の中にも同じ色を見つけ、その名をもう一度、口の中で呟く。
――また会いそうな気がする。
 今度こそ背を向けて去っていく男を見送りながら浮かんだ思いは、紛れもない確信だった。


◆◇◆◇◆

初めて桜木と出会った白夜、でありました。
桜木の頬の傷は、この時ついたわけであります。



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