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過去拍手
蒼川・2


「ただいま」
 自室の扉をそっと開けながら、月明かりの差し込む室内へと蒼川は小さく声を掛けた。
 視線を巡らした後、机上に佇むその姿を認めた緑の瞳は、和やかに細められる。


 なおん。


 扉が開く随分と前から主人の帰宅には気付いていたのだろう、窓から覗く十六夜を背に行儀良く座っていた彼は、愛想の良い啼き声を上げた。


 とん。


 軽い音を立て優雅に床へと降り立ち、蒼川の足元にじゃれついてきたのは‥‥一匹の小柄な茶色い縞猫。
「悪いな、練習試合が長引いた」
 なおん。
「腹減ったか?ちょっと待ってろ、今から飯、用意するからな」
 腰を屈めその小さな頭を一撫ですると、蒼川は手際良く深皿に餌の準備を始める。





 ‥‥蒼川が彼と出会ったのは、前回の海賊征伐の帰りに立ち寄った、小さな港町だった。
 昼間目一杯太陽の光を浴びた家屋からは夜になっても熱がじわじわと染み出ている様な熱帯夜、呑屋街の蒸した細い裏道で、啼く元気も無く踞っていた前を一度は通り過ぎ‥‥逡巡した挙句、結局は堪らなくて駆け戻り、その前にしゃがみ込んだ。


『うちに来るか?』


 その傷だらけの耳に、蒼川の問い掛けが聞こえていたのか否か。
 弱々しく上げられた薄汚れた顔の中、しかし琥珀色の瞳に浮かんだ剥き出しの警戒心に、蒼川は連れ帰る事に決めたのだった。





「美味いか?」
 一心に深皿へと顔を突っ込んでいる姿を眺めながら、蒼川は酒瓶と杯を用意する。
 がりがりに痩せ細り泥塗れだった身体も、丁寧に清め食事を与え根気良く付き添った結果、綺麗な毛並と健やかなしなやかさを取り戻していた。
 今では何処へ出しても恥ずかしくない、立派な茶虎の仔猫である。


「ゆっくり食べろよ」
 その威勢の良い食べっぷりに微笑みを浮かべながら、今度は自分の番だと杯に酒を注ぎつつ。
「‥‥どうするかなあ」
 自分の髪と同色の眩しい銀月を見上げながら、小さく呟いた。


 寒期は北雪国から吹き付ける山颪に海が大いに荒れ海賊共もなりを潜めているが、空気が温む時期になると穏やかな波に誘われ黒い帆を揚げる様になる。
 南波国の警備船と連動して毎年討伐に当たるのだが、なかなかどうして翌年には再びもぞもぞと暴れ出すのが常だった。
 今はまだ寒の真中で蒼川も都城に居るが、この寒さが緩む頃には陸地を離れ、危険海域を駆らなくてはいけない。


 船上に連れて行くか、若しくは桜木に――何だかんだで奴は小動物に滅法弱い――預けようかと考えていたのだが。
「‥‥あ、」
 ふと最適な場所を思い付き、蒼川は彼の方へと視線を向けた。




「なあお前、本は好きか」
 なおん?
「薬草はどうだ」
 なおん??
「じゃあ、優しい美人は?」
 なおん!
「――よし、決まりだ」




 会いに行く口実にもなるし一石二鳥だな。
 今度、猫が苦手かどうかさり気無く聞いてみよう、と蒼川はにんまりと笑った。



◆◇◆◇◆


 にゃんこを相手に会話をする孤独(笑)な蒼川、でありました。
 このにゃんこは、後々本編にも登場する予定ですv



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