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過去拍手
白夜・2




 彼は、その日も独りで夕食と向き合っていた。
 壁際の一番奥の小卓。食堂内は勤務から開放された兵士達の程好い喧騒に満ちていると言うのに、彼と共に食事を取ろうとする者は誰も居ない。
 部隊に戻ればほんの僅かながらも彼の考えに同調する部下達が居るのだが、隊長級以上の者のみが使用できるこの食堂では、常に彼は孤独であった。
 もっとも彼自身も、話し相手を求めてこの食堂へ来ている訳ではない。無料で提供される夕食を胃に収めてしまえば、取り立てて用は無いのだ。
 何時もと同じ様に長居は無用とばかりに黙々と食事を口へ運んでいた彼だったが、その日は少し様子が違っていた。


 ――ざわ、と。
 出入り口付近に陣取った兵士達から、声にならない驚きの気配が上がる。
 それはゆっくりとさざ波の様に食堂内を行き過ぎ‥‥やがて、彼の座る卓の前で止まった。
「同席してもよろしいですか?白夜隊長」
 歯切れの良い朗らかな声に名前を呼ばれ、顔を上げた彼の視線の先に居たのは、清々しい笑みを浮べた一人の青年。
「‥‥」
 そのまま何も言わずにじっと見詰めてくる彼・白夜の様子に、青年は少し首を傾げ。やがて、ああと納得した様に頷いた。
「お食事中すみません、同席‥‥」
「聞こえております。虹補佐官」
 先程の問い掛けを繰り返そうとした青年・虹の言葉を遮ると、白夜はどうぞと向かいの席を指し示す。
「ありがとうございます、白夜隊長」
 途端、ぱっと笑み零れながらいそいそと椅子へと座る虹の姿を眺めながら、白夜は内心ひっそりと溜息を吐いた‥‥まったく、面倒な人物が現れた。
「白夜隊長、今夜は魚料理なんですね。お酒は飲まれないんですか?もし良ければ葡萄酒でも、」
「――虹補佐官。この様な場所へどの様な御用事で?」
 再び虹の言葉を遮ると、白夜は物静かに問い掛ける。
 虹と白夜は、私的にも公的にも何ら関係の無い間柄である。とは言え将軍である父親の補佐役をそつなく勤め、近いうちに後任となるであろう虹の噂は、出世の道から完全に外れた白夜の耳にも届いていた。
 機転が利き、性格は明るく、上からも下からも受けが良い。実力も家柄も申し分の無い、将来を約束された好青年が一体何をしに?「――まさか、私と酒を酌み交わす為ではないでしょう?」
「いけませんか?」
 皮肉で聞いたつもりが素直に聞き返されてしまい、白夜は一瞬言葉を失う。
「貴方と話をしたくて来たのですが、駄目ですか?」
「‥‥」
 ざわ、と、再び周囲の卓から声にならない驚きの気配が巻き起こるのを感じ、白夜は思わず表情を顰める。
 その歯に衣着せぬ言動から、ただでさえ非友好的な視線を浴びる事の多い白夜である。他人の評価などさほど気にしてはいないが、必要以上に悪目立ちをする気は無い。
 ましてや相手は各部門から注目を集める、当世一の出世頭だ。普段なら話す事も無い遥かに高い階級の、しかも年下の上司などと酒なぞ飲める筈も無い。
「わざわざ御足労頂いて申し訳ありませんが、私には話をする理由がありませんので」
 失礼しますと一礼すると、丁度食べ終わった食器を片手に立ち上がる。
「あの、白夜体長?」
 よもや立ち去られるとは思っていなかったのだろう。慌てた様に呼び掛ける虹をそのままに白夜は返却口へと食器を押しやると、食堂中の視線を全身に感じつつ、足早に扉へと向かった‥‥まったく、今日はとんだ厄日だ。
 大方、取り巻き連中から「撤退ばかりする臆病風に吹かれた隊長が居る」と聞いて興味でも持ったのだろう。衆人環視の中で振って来たのだ、もう二度と近寄っては来ない筈だ。
 今までにも、「その考えを更生させる」だの「お前は間違っている」だのと近付いてきた者は幾人か居る。しかしその度に慇懃無礼に追い返し、今では誰も近寄らない存在となっていた。
「‥‥」
 ――他人の評価などどうでも良いのだ、と白夜は思う。
 勇猛果敢さ、散り際の潔さを美徳とするこの国で、自分の考え方が異端である事は十分承知している。理解して欲しいとも思わない。
 ただ自分は、救える命は救ってやりたいのだ。拾える命は拾ってやりたいのだ。無事に家族の元へ返してやりたいのだ。
 ただ、それだけなのだ――



「待ってください」
 人気の疎らな夜道を宿舎へと戻ろうとした白夜の背に、声が掛けられた。
 まさかと思い振り返ると、虹の姿がある。しかし月明かりに照らされたその顔には、先程の様な万人受けする愛想笑いは浮かんでいなかった。凝視する様に白夜の顔を見詰めてくる。
「貴方と話がしたいんです」
「敗戦処理係の私などから、面白い話は出てきませんよ」
「そんな事はありません、是非、」
「それに、こんな臆病者と関わっては貴方の経歴に傷がつきます」
 では、と今度は軽くあしらう様に手を振ると背中を向けた白夜に、今度は虹の怒り混じりの声がぶつかってきた。
「そんな事はない!」
「、」
 虹の言葉の中身と言うより、まだ話し掛けてきたと言う事に驚きながら、白夜は再び虹へと向き直る。
「貴方は臆病者ではない!戦嫌いの偏屈者でもない!」
 そこには父親の跡を継ぐ順風満帆な後継者は居なかった。ただ真っ直ぐに白夜を見据える、一人の青年が居るだけだった。
「貴方は誰よりこの国を、西風の人々を守る気持ちで一杯なのに!ただ、そのやり方が違うだけなのに!」
「‥‥」
 もしかしたら、と白夜は思う。
 もしかしたらこの青年になら、自分の想いを伝えられるのかもしれない。
 東雲の様な活気も人材も無く、南波の様な青海も闊達も無く、北雪の様な技術も資源も無く、何事においても一番にはなれない国。
 しかし、どんなに優秀な隣国達よりも、このささやかな小国を愛する、自分の想いを。
「話をしたいんです、白夜隊長。貴方の考えを聞かせて下さい」
「‥‥分かりました」
 暫くの沈黙の後。
 その日、初めて虹の目を真正面から見詰めた白夜は、やがてゆっくりと頷いた。




◆◇◆◇◆

 西風主従の過去話、でありました。
 怪しい動きをしている虹ですが、彼もまた自分の信じる道を歩いているというわけで。
 西風の事情も、いつかは書いてみたいなあと思っております。

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あきゅろす。
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